第7話 もう一人の遭難者

 わたしよりも年上で、頼れるお姉さんのような力強い声――。

 引っ張られ、手を引いてくれる彼女の背中を追って、わたしも共に走る。

 声は体を表すのか、わたしの思い描いていたイメージと彼女の外見は合致していた。


 わたしよりも背が高くて、たぶん大学生くらいの人――髪型はちょっと子供っぽい、小さな黒いツインテールになっているけど、背が高くてスタイルも良いから、その髪型も上手く使いこなしている。きっちりとしている茶色いコートのような服を着ていて、ミニスカートを穿いている……、ちらちら、ではなく、豪快に見えている太ももが、色っぽかった。


 そう考えることができる程、余裕ができるくらいに、彼女の引率は頼もしかった。


 後ろから黒い狼が迫って来ていても――奇声を上げていても。


 形の固定化はまだ済んでいないのか、半分ほど液状になっていた体は、そのままだった――走るための足は固体化されていても、足と頭を繋ぐ胴体は半分液状になっていて、走っている最中にびちゃびちゃと垂れてしまっている。

 それでも気にせずにわたしとこのお姉さんを追いかけてくる狼は、あと少しでわたしの背中に追いつきそうなところで、でも、不本意な様子でいきなり、立ち止まった。


 あれ……? なん、で――?


「……安全区域に辿り着いたからよ――」


 と、お姉さんが言う。


 そう言えばわたし達も立ち止まっていた。

 追跡の恐怖から一応、現段階では不安があるものの――けど、逃げ延びることができたからこそ、冷静に周りを見てみたら――、ここは、見たことがあった。


 しかもついさっき――、

 この黒い世界に来る前の、あの楽しい世界に似ていた。


「似ているというか、そのまんまというか――」


 あの世界の一部分を切り取って、この黒い世界の一部分に上書きしたみたいな――。


 この黒い世界の、混沌としている、黒と赤が死を連想させるものとはまったく逆。

 場違いとも言える違和感しかないこの空間――。

 巨大化している大きなお菓子、棒付きのぐるぐるキャンディーや、カラフルなグミ、

 なによりもピンク色のその空間は、別に、黒の世界からさっきの世界に戻ったわけではなく、やはり一部分だけ、黒の世界に存在しているお菓子の空間でしかなかった。


 ――お姉さんは軽くだけれど、そんなような説明をした。


「安全区域――ここにいれば、あの黒い狼、と、あなたは言っていたわね……まあ私は『化物』ってストレートに言うけど、ここにいれば、あの化物はここに近づけないわ。

 で、もしもここにあの化物が入り込めば、あの化物は死ぬ。

 私はその光景を何度も何度も見てきたからね――」


 だから信じてもいい情報だと思うけど? と、薄らと茶色い髪を、片手でばさりと払いながら、お姉さんが、信じて、と遠回しに懇願してくる――ように見えた。

 疑う気はないのでわたしは信じることにする――。

 強気であっても、それが演技だと分かってしまうくらいに、お姉さんは分かりやすかった。


 直情的なのかも。

 初対面だけどぐいぐいくるお姉さんにわたしも負けずに返す。


「ここが、弱点……あの化物の、弱点ってこと?」


「弱点であり私達からあの化物達への、最大の攻撃武器ということね」


 さり気なかったけれど、確かにお姉さんは、『達』って言った。

 それってつまり、あの化物は一匹ではなく複数、あの狼だけではなくて、他にもいるってことになるけど、お姉さんは冗談を言っているようには見えない。


 冗談なんて、こんな状況で言わないでほしいとは思う――、

 だから冗談を言っていない今、お姉さんに向けた感情は、好意的なはずなんだけれど、複数いるという最悪……、そんなうんざりすることを言われて、好意的に見れていないのだ。


 溜息のような呼吸をしてから――とりあえず。


「さっきは助けてくれて――ありがとう。

 ……ところで、お姉さんは、誰なの?」


「…………」

 お姉さんは顔を歪めたけれど、すぐに、


「私は扉井とびらいしいか、よ――それで、あなたは?」


比島ひじまサナカだよ――」

 わたしは名乗り、

「これからよろしく、しいかさん」


 これから先、お世話になる気満々ということをしいかさんに、まずは告白した。


 ……聞いてからすぐに嫌な顔をしたしいかさんの表情を、見逃すことはなかった。


 ―― ――


「高校一年生とはとても見えない童顔で、髪型は黒髪ショート、肩につかないくらいの髪の長さ……服装は制服のブレザーを着ている――その制服のデザイン、見たことあるわね、えっと、名前までは忘れたけど……でも、ブレザーなんてそんなものか。

 黒のブレザーに赤いリボンをつけているっ、と――」


「……急に、どうしてわたしの外見を口に出して描写したの、しいかさん。そういうのって心の中でするものじゃないの? 困ることは、ないんだけど、そうやってあらためて値踏みされるように見られていると、恥ずかしいって言うか――」


「ああ、気にしないで、単なる確認だからね――ちょっと失礼」


 言いながら、しいかさんがわたしの腰――、横っ腹の少し下の所を両手で挟んできた。

 強めにがっしりと触られた、というよりは、掴まれた感じで、びっくりと、他人に触られた敏感な反応を、思わず声として発してしまっていた。


「きゃんっ」という声として。

 ……思わず出た声に恥ずかしくなって顔を俯かせる。


「ふむふむ……痩せている、ね――」


「も、もうなんなんですかもうっ!」


 わたしは突き飛ばすような勢いで、その場から、しいかさんの真横という近い位置からワンステップで、行ける所まで遠ざかった。

 このまま横にいたら腰から上までを、舐めるような手つきで触られるかもしれない……。

 そんな予感がした。


 その予感は当たっていたらしく、しいかさんの手はもみもみと――『なにか』を揉んでいるかのような動きをしていた。指の一つ一つが、違う動きをしていて、あれに揉まれたら……、

 くすぐったいを通り越してしまうかもしれない。


 ……具体的な、揉まれるであろう部位は、言わないけど。


「あー、残念、そのまま胸までいければ良かったんだけど」


「やっぱり――やっぱりやるつもりだったんだ!?」


 危なかった! この人のやること言うことは、もしも冗談だったとしても冗談として聞こえない。だから笑いながら言っているこの残念は、本当のことなのだろう――。

 しいかさんは、わたしの胸を本気で揉もうとしていた。


 ……ない胸を、揉もうとしていて――、


「……どうしたのよ? 一気にテンションが下がったみたいにがっくりと肩を落として」

「しいかさんには、分からないことだよ……」


「もう、なによ、もしかして貧乳だから落ち込んでいるの? 目の前に私という巨乳がいて、比べてしまったから、自分自身の絶滅的に小さいその貧乳をあらためて認識してしまって、落ち込んでいるの? 大丈夫よ、大丈夫。私だって、元々は小さかったんだし。

 いつかは大きくなるわよ、女なんてそんなもんよ」


「飴と鞭をいい具合に使い分けていて、

 どちらも加減が利いているから、文句も言うに言えない……っ!」

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