第3話 混沌の世界

「ぷにぷにー」


 指先でつんつんと、赤い楕円形の、柔らかいクッションのようなものをつつきながら、わたしはこれからどうするか考えていた。

 どうでもいいことかもしれないけど、今わたしがつついているこの赤い楕円形のクッションのようなもの、なんか見たことあるなーとか思って記憶を探ってみたら、わたしが昔からよく食べていて愛着のあるグミに似ていたことだと分かった。


 似ていた、から、似過ぎている? と疑問形にまで進展できたところで、似ているを越えてまったく同じものなのだと、証拠はないけど決定づけてみた。


 感触とか、一緒なんだもん。このグミはわたしの体、半分ちょっとを越えた大きさを持っていて、今わたしはグミをぎゅーっと抱きしめている体勢である。

 弾力が直線的に直接、感じ取れて、これがまた昔に食べていたグミの食感、噛んだ時の弾力と似ていて、だから証拠を出せと言われたら、わたしの中の証言になってしまうけれど、出すとしたらこれを出すだろう。


 こればかりは本人しか分からないものである。

 第一、この場にわたししかいないこの状況で、証拠を並べて納得させる人物なんてのはわたししかいない。そのわたしが証言で納得できるのならばそれでいいし、実を言えばもう証拠なんていらなくとも、このグミが昔に食べていたあの思い出のグミと同一だ、なんてことは分かってしまっている。


 納得しているし。


 だから無駄な思考。さっきでさえ、既に容量オーバーなのにこれ以上ややこしくて複雑なことを頭の中にぶつけないでほしい……、いいじゃん、感覚的なことで。

 本能的に納得できればいいじゃん――と、全部が全部、自分発端で決着が自分という身勝手でわがままなわたしだけれど、そのわたしを許すも許さないも同じくわたしなので、なんかもうどうでもいい――。


 容量オーバーで、気力が消えた。


 グミをぎゅーっとさらに抱きしめて、背中から倒れ込む。

 マシュマロの地面だからできることだった――。

 手を天に伸ばしてみる。空に浮かぶ棒付きキャンディーを掴めるかな、と遠近法を使って握ってみるけれど、当たり前に引き寄せることはできない。


 夢の世界みたいでなんでもかんでも自分の思い通りになるのかなとか、都合の良いことを考えてみたけれど、どうやらそういうわけでもないようだった。


 わたしの夢の世界……という可能性を考えてみたけど、さっき頬をつねってみたけど、現実世界には戻れなかったので、ああ、違うんだな、と頭が絶望に染まってしまった。

 でも、絶望とは言ったけど、そこまでの絶対絶命ってわけじゃない。


 気味が悪い程に好印象な夢――そう、好印象なのだ。

 別に危険があるわけじゃないし、不満があるわけでもない。


 わたしが気にしているのは今の場所や状況のことではなく、ここにわたしがいる過程であって、理由であって、これからではなくこれまでの詳細を知りたいだけなのだ。


 そこが分からないと、壊滅的に不安。


 絶望的と言うならばそこ――そこが一番、怖いところだった。


「……なんで、わたしだけ、いるんだろ――」


 目を覚ましたところから少し歩いてみたけど、空間が広いせいなのか、わたしの視界にわたし以外の人が現れることはなかった。

 わたしの居場所が悪いのではないか――もう少し歩けば、人一人くらいはいるのではないか、と思うけど、そんな希望を持つけど、でも分かってしまっている。


 分かりたくない事実を分かってしまっている。

 だって、気配が、ない。

 まるで中二病みたいなことを言っているけど、嘘じゃないし冗談じゃない。


 なんとなくで、はっきりとじゃないけど分かるものがあって、気配――、

 それが感じられないなんて、やっぱり、おかしい。


 家で一人、留守番している時と、今のこの世界の空気が一緒。


 一人ぼっち。


 分かってしまうと、途端に寂しくなった。


「いや、だ……いや――嫌っ!」


 事実に逆らいたくなって、わたしは抱きしめるグミを放り投げて、捨てて、走りづらいマシュマロの地面を走る。転びそうになっても、そして実際に転んでも柔らかいので、クッションになっていて、ダメージはない。だから遠慮なく怪我を気にせず全力疾走できる。


 何度か転び、その度に地面に体を突っ込ませるから、全身、白いマシュマロを付着させているけど――それでも気にせずに走り、


「誰っ、誰かいないの!? お母さん、お父さん、みんな――みんなっ!」


 わたしの声だけが響いて、寂しさが倍増してくる。

 これ以上、続けたら、精神が壊れてしまいそうで、だったらやらない方が、たぶん今はいいんだろうけど、でも、ここでやめたらきっとこれからに影響する。

 ここで折れた心を修復するのは難しいだろう――、だから、やめない。

 やめるわけには、いかなかった。


「はぁ、はぁ、ん、く――はぁッ!」


 走って走って走って走って走って――、辿り着いた先は、真っ暗だった。


 なにも見えない程の真っ暗ではない――世界観が、真っ暗で。


 今までの、絵本の中のような世界とは百八十度も違う真逆の世界――、混沌が支配する黒と赤しか存在しない、荒れて崩れて枯れている、繁栄を諦めたような世界だった。


 黒は分かるけど――なんで、赤?


 そんな疑問はすぐに解決された――。

 さっきまでの世界では、赤と言えばりんごやいちごや飴玉やお菓子たくさん、ジュースたくさん、子供の好みどストライクのところを任されていた色だった。

 それに対してこの混沌とした世界で赤と言えば、

 当たり前のように、それがもう当然のように、赤は一つのものを任されていた。


 赤は、それしかない。


 それだけのために、赤があるような――、



「ひっ、あ、あ――ああああああああああああああああああああああああああッ!?」



 頭を抱えてわたしは屈み込む――目を瞑って耳を塞いで、なにも聞こえない、なにも見えない状況を作り出しても、わたしの五感はまだある……、

 一部を塞いだところで全てを遮断などできるわけがなかった。


 足元に、水溜り。


 それが、水なのか、本当に本当の水なのか、答えを、導き出したくなかった。


 でも、そういうことに限って、脳は自然と答えを出してしまう――、

 ど真ん中の正解だと言える答えを、遠慮なく、主人の心情関係なく、答えを出してしまう。


 鉄の、匂い。


 見なくとも、分かってしまう。


 ――ち。


 ――地……違う。



 ――血。



 きっと、靴の裏は、真っ赤に染まっている。



「っ――!」

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