第2話 不思議な世界

 …………。


 病的にも思える、書きなぐったような文字――、ギリギリ読める程度の文字を見つけてから、見つめて、そしてわたしは言葉を失った。


 目が覚めた瞬間に目の前にこんなびっしりと、乱暴に石に刻まれた文字を見て驚いたのもあるけど、それよりも、内容だった……。


 内容を最初から最後まで読んで、しっかりと理解してから、お腹の底からくるぞわぞわ感のせいで、見えない恐怖のせいで、言葉を失った。


 嫌悪感は最大なのに目が離せない――、

 目が離せないから結果的に目の前の文字を見てしまうことになる。


 まぶたを下ろす努力すら忘れて、怖いもの見たさで見てしまっているとか、そういう心理的なものではなくて、なんだろう……見ておくべき、しっかりと頭の中に叩き込んでおくべきとでも言うのかな……はっきりとはしないけど、本能的な働きなのかもしれない。


 それでも、この本能からくる見ておくべきという忠告を遮って、わたしは無理やりに、仰向けで寝転んでいる体勢のまま、固まる体を横に転がして、体の向きと一緒に固定されている視線をはずした――視界から、文字をはずした。

 もう二度と見たくない……見るくらいならば――これは言い過ぎだけど、グロテスクな表現は控えて、目を真っ暗にしてしまった方がマシな気がする……。


「――っ、はぁ、はぁ、――んく、はあっ!」


 忘れていた呼吸を取り戻して、肺を活動させる。心臓が止まっているかのような錯覚がしたけれど、生きているのだからそれは錯覚でしかないのだろうと、安心した。

 仰向けから転がって最終的にはうつ伏せの状態で体勢が固定された。

 そこから動いて立ち上がろうとする――と、手を着いたところが沈んで、わたしの腕がずぽっと地面に吸い込まれる。


「わ、わわわ――きゃあっ!」


 二本の腕が沈み、支えが無くなり、地面に勢い良くキスするような感じで、わたしの顔面は地面へ突撃した。

 痛みを覚悟して目を瞑っていたけれど、一瞬後には期待はずれ――、別に、期待していたわけではないけれど、想定とは違い、唇に押し付けられた感覚は、柔らかかった。

 顔も地面の中へ吸い込まれるかのように沈んでしまい、ある一定の深さのところで、徐々に勢いは殺され、止まる。


 さっきは慌てていたけれど、腕はどうやら最深部についているようで、だから顔面が地面に当たる前に冷静に考えて行動すれば、恐らくは地面とのキスを回避することはできたのだろう――でも焦っている精神はしょうがない、気づかなくても仕方がない。


 腕の事情に気づいてから、腕を支えとして再機能させて、肘を伸ばす。顔を地面から出す過程で、これは狙ったものではない偶然なことだけど、そして今更、気づいたけれど、この真っ白な地面……、地面から顔を出す時にぺろりと地中を舐めてしまってから、気づいた。


「……、あれ、あま、甘、い……?」


 マシュマロだった――マシュマロの味がした。


 舌がとろけてしまうような甘さで、包み込まれるような甘さで、何度でもかぶりつきたくなったけどさすがに二度目、自分から積極的に舐めようとは思わなかった。

 だって、マシュマロだったとしても現在、地面として機能していたのだから、確かにここは地面なのだろう。


 わたしは今、寝転がっていたから安心だけど、地面としての役目を果たしていたのだとしたら、このマシュマロに乗っている人、歩いている人がいた、ということになる。


 土足で――汚い足で踏んだ、たとえ味に変化がなくとも汚れたマシュマロを食べようとは、甘いものが大好きなわたしでも思えなかった。


 さっきの舐めた部分も今すぐに吐き出したいところだったけど、勢いで今、飲み込んでしまったので吐き出すことは無理だった。……いや、別にできるけど、それは女の子として越えてはいけない一線を越えそうなのでやめておいた。


「って、いうか――」


 というか、ここはどこなのだろう?


 マシュマロの地面は沈んだりしてバランスを取りにくいけれど、両手を広げて飛行機のものまねをするように体勢を調整すれば、倒れることはない。

 わたしは起き上がり、立ち上がる。味は美味しかったけれど、踏んづけてみると気持ちの悪い感触がするマシュマロの地面の上に立つ。


 マシュマロが真っ白で、だから下に意識を持っていかれてばっかりだったけど、顔と視線を上げれば、思ってもみなかった世界が広がっていた。


 赤色青色黄色桃色白色紫色緑色――。

 その他にも挙げればきりがない数の色が世界を染めていた。


「う、うわあっ――」


 茶色や黒色、灰色のような画面を全体的に重くしてしまうような色はない、ということもなく、あるにはあるが、圧倒的に数が少なくて、恐らくは意図的に、この世界の色は『明るい色』、という決まりでもあるのだろう。

 見ているだけで楽しくて、見ているだけで安心できる、夢を見させてくれるような、子供のための世界に見える――。まるで、絵本の中にでも入ったような感覚を思い出す。


 もしもわたしが今、今の自分よりも身長が小さい見たままに子供と言えるような年齢だったのならば、怪しいとかいきなりどういうことなんだとか、そんな細かいことなど気にせずに暴れ回っていただろう。


 はしゃいでいただろう。


 それで、疲れ切ってすぐに寝ているはずである――そこまでは想像できた。


 ……うん、今も昔も性格ががらりと変わるような二面性な人格を持っているわけではない。わたしも、今、小さな子供のような対応ですぐにでもこの世界の隅々までくまなくはしゃいで遊び倒したかったけれど、残念ながら大人になっている……。付け加えれば少しだけ。


 と言っても高校一年生――だけれど、大人と言える『指先』に到達してしまっているわたしは、一旦、冷静に状況を分析してから、納得してから遊ぼうと思ってしまっている。


 それが正しいんだろうけど――でも、やっぱり悲しい。


 純粋に目の前のものを楽しめなくなったのは、悲しい。


 探って疑って難癖つけて、あることないことごちゃ混ぜにして、自分の不利を徹底的に潰して、なにか気に入らなければ連帯責任のように良い部分にも目を瞑り全身を平等に叩く――そんな、汚れた心を持つ大人に、わたしも足を突っ込んでしまっている。


「うう……、全部の大人をまとめて汚れていると言ってしまう自分に、嫌悪感だよ……」


 自分が作り出した思考に傷ついた――ショックだった。

 世間の大人は汚くて、基本的に悪く見えてしまうから、仕方のないことなんだけど。

 良い大人もいるのにそんな人達のことさえも、無自覚に悪い大人と思ってしまっている。


 観察対象が悪いのかな……。うーん、どうだろ。

 近所のおばさんとかお母さんとか担任の先生とか良い人は良い人だもん。

 でも反対に悪い人もいて、やっぱり良いことよりも悪いことの方が目立ってしまって目にも耳に残りやすいから、悪く思ってしまうのかもしれない。


 ――気をつけよう。


 意識的に大人を見れば、良いところも、悪いところを押し潰して記憶に残るような、強烈なものとしてわたしの中に入り込んでくるかもしれない――、

 わたし自身も成長しなくていけない……いつまでも育てられている、という受け身のままでなく、自分でしっかりと歩いて進む頃だ。


 大人になる頃だ。


 うん――じゃあ、目標を変えて、まずは一歩目を踏み出してみようか。


 一歩目、早速、ずぼっと足が沈む。

 真っ白なマシュマロの地面に沈み込んで足が取られた。


 前からばたり、と倒れて再び全身が地面に埋まる――、

 気を抜いたからこそ起きた、当たり前の現象だった。



「もう……もうなんなのよここ――――――っっ!」



 がばっと起き上がって、顔面にマシュマロをつけたわたしは天に向けて叫ぶ。


 棒付きキャンディーやチョコレートパフェによく乗っている棒状のお菓子が浮いている。


 背景バックは桃色のその空――天に向けて。

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