第44話 はぐれた少女

「…………」


 だけど聞くのは恥ずかしい。

 男と女の関係の深くに、足を踏み込んだ噂を耳にしているので、

 それを想像して頬を赤くさせる。ふんっ、と鼻を鳴らして気を逸らした。


 顔の赤みは、怒っている、と思わせれば、ばれる事もないのだ。


 プリムムも本当はあれやこれやと聞きたいのだが、地球に焦点を当てて照準を少しずらしながら聞き出しているので、手間が多いし時間がかかる。

 欲しい情報がなかったりもするし。それでも、照れを押し殺しても、直接的に聞くのははばかられた。それを聞いてしまえば、弥よりも優位に立てなさそうな予感がしたのだ。


 経験でも、知識でも、弥の方が上なのは認めている。

 だけど彼から得た情報によれば、地球は平和なのだ。

 今の状況では、弥はプリムムに頼らざるを得ない。


「うん、そこが付け入るチャンスよね」

「なにがだよ……」


 小さなガッツポーズをするプリムムに、弥は不穏な空気を感じ取った。

 追及するべきか迷って、舌の上で言葉を転がしていると、不意に視界に入った。


 自然、足が止まる。

 プリムムは弥の様子に気づき、不審がって彼を見た。


「どうしたのよ」


 弥は進行方向から曲がって進んだ。

 いくつかの大木を通り過ぎ、やがて一本の大木の前で止まる。

 後ろからは、プリムムが、ちょっとッ、と文句を垂れながら追って来ていた。


 さっき、歩きながら見えたのだ。

 弥と同じ制服の、端が。それはスカートだったが。


 回り込んで、目をつけた大木の後ろを見る。そこには背中を預けている女生徒が、額から血を流していた。制服のワイシャツが、血のせいで赤く染まっている。


 血は、既に乾いていた。


 彼女は弥が気にしていた、探し出したい少女だった。

 宇宙船から放り出される寸前、助け出そうとした少女である。


 助けてッ、という彼女の言葉は、弥が聞いた最後の言葉だ。

 それを受け入れ、彼女に手を伸ばしたのに。

 希望を見せた上で、結局、助ける事ができなかった。

 失敗したくせに自分はのうのうとこうして生きている――。


 実際に動いて、はい終わり、ではない。

 助け出さなければ意味がないのだ。


「クソッ」


 弥は左手で大木を殴りつけていた。

 麻痺しているのか、痛みなど感じなかった。


「クソッ、クソッ、クソッッ!!」


 何度も、何度も。拳が傷つき、皮膚が削れてじわりと血が広がる。

 そして、怒りに気が済まなかった弥は、正面から突くのをやめ、横から腕を叩き付ける。


 ゴギンッ、と嫌な音がして、プリムムが反射的に目を瞑った。

 彼女が再び目を開けた時には、弥の左腕は形状が変化しており、

 曲がらないはずの方向へ、曲がっていた。


 弥は呼吸を整えようとして、未だ興奮、冷めやらぬ状態だった。


「――あ、あんた、なにしてるのよッ!?」


 プリムムが声を荒げるのも無理はなかった。


「両手を骨折して、ここから先、どうするつもりなのよ!?」


 あ。……と、弥は間抜けな声を出し、それが嫌に、森の中に響いた。


 ―― ――


「あんた馬鹿よね、バカ、ばぁーか」


 右腕と同じようにツタと木の枝を使って首を支えに固定する。

 弥は両腕が吊るされた状態だ。

 これでは脱出するどころか、食事さえままならない。


 介抱してくれたプリムムは意図的なのか分からないが、手つきが乱暴だった。

 怒りのアドレナリンが出ていない今、

 痛みが弥を苦しめるが、自業自得と言われたらなにも言い返せない。


 ……? と違和感に弥が気づく。

 プリムムが介抱を終えても、手を離さなかったのだ。


「……弥って、鍛えてるの?」


 弥が大木の突き出た根っこに、椅子代わりにして座り、

 プリムムが両膝立ちで互いに向かい合っている状態だ。

 そんな彼女は自覚がないのか、密着するように弥の腕や肩を触る。


「普通だよ、普通」


「そうなの? オトコのコって、これでも普通なんだ……」


 ふーん、と、観察が終わりを迎えたのかと思いきや、プリムムの興味は尽きなかった。


 両腕が使えない今、弥は彼女を押し返す事もできない。


「あの、さ、プリムム……」

「なによ」


「これはどういう時間なのかな」


 ッ、とプリムムがやっとの事、自分の行動を自覚した。

 軽い身のこなしで数メートル後ろへ後退する。


「ち、違うから! あんたの体に興味なんかないし!」


「語るに落ちてるけど……、分かってるから、落ち着いて」


 興味津々であることは、おかしいことではない。

 年相応とも言えるし。

 それを同い年である弥が言っているとなると、少々、鼻についてしまうが。

 そしてプリムムはそれを感じ取る。


 弥といて腹が立つのはそういう部分だ。

『そういう事にしておく』、

『みんなが通る道だからおかしな事じゃないよ』などなど、

 ごく自然に上から目線なのだ。

 いやお前も同じ道を走っている最中だろうと、プリムムは思うわけだ。


 弥は分かっているから、と言ったが、絶対に分かってないと言い切れるので、プリムムはさらに否定の言葉を重ねようとした。

 しても無駄だろうが、しないと気が済まなかった。

 しかし弥の興味は既に他に移っており、それはもう体内電池が切れている、少女だった。


 プリムムにとってはあり得ないが、地球では男女が一緒に、一クラスでまとめられているらしいのだ。そもそも、同じ種に、異性がいること自体が、彼女にとってはあり得ない。


 だから勘繰ってしまう。

 電池の切れたあの少女は、弥のなんなんだろう――と。


「なんだろうって……ただのクラスメイトだよ」


 返事があった事に心を読まれたのかと思った。

 だが遅れて気付く。どうやらプリムムは口に出していたらしい。


「挨拶を交わして、休み時間に共通の話題があれば喋ったりする……それくらいかな」


 プリムムは、そうなんだ、とガッカリしたような、安堵したような……、

 考えてみても、本心がよく分からない。


 弥と違って、本当に分かっていなかった。


「……ごめんな、助けてやれなくて」


 弥はそう言って、クラスメイトの少女の前に屈んだ。

 できたら埋めて、お墓を作って……、そんな半端な知識でしてもいいものか迷う以前に、彼は両腕が使えない。そのため、このままにしておくしかなかった。


 すると彼の背中に、気配があった。次に言葉が投げられる。


「……好きだったの? その子のこと」


「色恋沙汰を知りたい気持ちは分かるけどね――それに答える気分じゃないな」


 プリムムも自覚している。

 今、言うべき事ではなかった。だと、分かっていたのに。


 口が自然と開いていたのだ。


 助けたかった少女に背を向けて立ち去る弥を、プリムムが慌てて追いかける。


 奇しくも、弥が在籍するクラスの人数は、プリムムが参加する試験と同じ、三十名だ。


 彼女で、脱落者は一名……、

 そしてそろそろ、試験開始から三日目となれば、


 プリムム側にも、脱落者が出ていてもおかしくはない。

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