第42話 不時着した先は?

 メーデー、メーデー、メーデー。


 繰り返しそう叫ぶ担任教師の背中を覚えている。

 不安を煽る警告音と共に、部屋が真っ赤に染まり、

 激しい振動が両足で立つ事を許さなかった。


 シートベルトにより体は椅子に固定されている。

 だから安心かと言えばそうでもない。


 たとえば扉が不意に開いても、放り出される事はないが、このまま空から墜落すればシートベルトの有無関係なしに、巻き込まれる。助かる命はないだろうと思えた。


 それが分かっているから、船内では悲鳴が重なり合っていた。


「ダメだ、制御が利かない! みんな、近くの惑星に着地を――」


 担任教師の叫びは途中で途切れる。

 三度目の衝撃があったのだ。

 宇宙空間に漂う岩と衝突し、船体が凹み、回転する。

 上と下が分からなくなる。


 シートベルトがなかったらと思うと、ゾッとした。

 船内で壁と天井に打ち付けられ、バウンドする担任教師のようになる。


 スーパーボールのような動きをした担任教師は、やがてなにも言わなくなった。


 そして宇宙船は近くにあった惑星へ、入った。

 次第に速度が上がっていく。

 損傷している船体に限界が訪れ、歪んでいた扉がはずれた。

 外の景色が見えてしまっている。


 全員がぎゅっとシートベルトを掴む……が、

 依存しているとそれがダメになった時、全てを失う事になる。


 一人の女生徒のシートベルトが、ぶちっ、という音と共に切れた。

 はっきりと誰もがその音を聞いていた。


 目を瞑る者が多かった。

 自分がそうなるかもしれないと、見たくなかったためだ。


「い、やっ」


 女生徒が船内から吐き出されるように、ふわりと、体が外へ向かっていく。


「やだ、やだやだやだやだッ! 誰かッ、助けてッ!」


 誰もがぎゅっとシートベルトを掴む中、たった一人が、カチンッ、とはずした。


 自分の手で、命綱を捨て去った。


「――掴まるんだ!」


 伸ばした手が女生徒の腕を掴み、彼女もまた彼の手を掴む。しかし、


 ……掴んだはいいが、このままでは少年もまた外へ投げ出される事になる。


「――わたる!」


 伸ばされた手があった。

 塞がっていない別の手を振り上げて、その手を掴もうとするが、


とおるッ!」


 引っかかった指は、それ以上を掴めず、少年の体が外へ投げ出された。


 ―― ――


 最悪の修学旅行だ、そう内心で本音を呟きながら、意識を覚醒させる。


 全身がずぶ濡れだった。

 眉毛に届く前髪が、ぴたりと額に張り付いている。

 制服が水を吸い、弥の体に重たくのしかかっていた。


 ゆっくりとまぶたを上げると、風で揺れる葉が見える。

 太陽光を遮っているが、ちらちらと光が漏れて、弥を照らしていた。

 眩しくて右手を上げようとして、激痛が走り、眉をひそめる。


「大丈夫?」


 と、仰向けの弥を覗き込む人物がいた。

 彼女はなぜか、服を着ていなかった。


「なッ」


 咄嗟に体を横に転がし、左手を支えにして立ち上がる。

 しかしそこまで動いてから失敗したと気づいた。

 彼女から離れた事で、全体像が視界に入る。

 美少女としか言いようがない少女の裸体を、正面から見てしまう。


 視線を逸らしたが肌色が目に焼き付いて離れてくれなかった。


「お、お前! なんで裸なんだよ!?」


 弥にしては乱暴な口調だった。

 彼自身も自覚はなかった。それだけ動揺している。


「なによ、せっかく助けてあげたのに。

 それに恥ずかしがる事ないじゃない、私もあなたも同じなんだから」


「同じなわけあるかッ、俺は男だぞ!」


「……おと、こ……?」


 少女は言葉を繰り返し、数秒の間、思考しているように固まる。

 実際は聞いた言葉を把握するための時間である。

 そして彼女の顔色が、かぁ……っと赤く変わり、

 隠そうとしなかった裸を両手で覆って、後ろの泉の中へ飛び込んだ。


 やがて肩と顔だけを出し、少女は自分の今の行動に驚いた様子を見せる。


「攻撃するべきだったのに、なんで隠れてるの……?」


 少女の独り言に、弥は引きつった笑みを見せる。

 攻撃って……、なんて物騒なんだ。


 思ったが、考えてみれば当然だ。

 不時着したこの惑星の中では、弥は異端である。


 加えて女の子の裸を見てしまっている。攻撃されても文句を言えない立場だ。


 潔く覚悟をした弥だったが、すぅーっと、彼女は弥を見たまま後ろへ下がっていく。

 どうやら警戒心を取り戻してくれたようだ。敵意まで手にしてしまっているが、仕方ない。


「とりあえず、服を着てよ……」


「なら、後ろを向いてなさいよ……!」


 それもそうだ。彼女に従い、合図があるまで背中を向ける。

 周囲が静かなので、衣擦れの音がよく聞こえた。

 考えないようにしているが、何度もさっきの光景がまぶたの裏に浮かんでくる。

 それだけ衝撃が強かったのだ。


 すると、十秒ほどで、もういいわよ、と声がかかった。

 振り向けば服を着た少女がいたのだが、その服がちょっと問題だった。


 ぴったりと体に張りつき、輪郭を強調している。

 あばら骨や鎖骨に目が向く。

 股の食い込みなどがはっきりしており、目のやり場に困る。

 彼女はそんな状態になっているなど知るはずもなく、今は恥ずかしさを抱いてはいなかった。


 意識しているのは弥だけである。

 しかしそう思われたくなかったので、気にしないようにした。

 彼女の顔だけを見ていれば問題はない、はずだし。


 彼女はさっきとは違い、数メートル、弥から離れている。

 無防備だったさっきがおかしくて、今が正常だと考えればいい。

 これが本来の、あるべき関係性である。


「あんた、何者なのよ……オトコ、なのよね……?」


「さっき、

『僕』を見て女だと思っていたようだけど、もしかして見た事ないの?」


 いつもの調子に戻った弥が、主導権を握り返す。

 彼女の質問を無視したのは仕方ない。


 質問に、少女は答えなかった。

 弥を睨み付け、視線で自分の手の平をちらっと見る。


 弥は彼女の視線に気づき、手の平に注意をする事にした。


 だが、弥にしてみれば彼女と争う気はない。理由がないのだから当然だ。


 するべき事を考える。

 優先順位はまず、不時着したであろう、乗っていた宇宙船を見つけるべきだろう。

 この惑星から脱出するには、宇宙船は必要不可欠だ。

 一緒に放り出された女生徒も気になる。

 考え出すと、彼女の相手をする、というのは優先度がかなり低い。


 最も下だと言ってもいいかもしれない。


「……このから出るつもりだから安心してよ。

 君に危害を加えるつもりはないし……、

 でさ、知っていたらだけどさ、この辺りで宇宙船が落ちたりしなかった?」


 弥が放り出されてから何時間後なのか分からなかったため、もしかしたら宇宙船が墜落したのが、数日前かもしれない可能性もあったが、彼女の答えはそれ以前のものだった。


「宇宙船?」


「大きな乗り物だよ。まあ大きな衝突音があったとか、そういうのでもいいけど」


「知らないわね、あくまでも私は、だけど」


 欲しい答えではなかったが、落胆も少ない。

 どんな答えであれ、やるべき事は変わらないのだ。

 自分の足で歩き、宇宙船を見つける。

 彼女が知っていれば方向が分かるくらいのアドバンテージだ。

 ……未知の惑星で、そのアドバンテージは大き過ぎるのだが。


 聞くべき事を聞き終えた。ここに留まる理由もない。

 これ以上、彼女の迷惑になりたくもなかったし、弥は先を急ぐ事にする。


「僕はもういくよ。……なにもしないから、背中を狙わないでよ?」


 少女がぎくりっ、と肩を揺らす。

 色々と感情が渦巻いていたが、最終的に不機嫌になっていた。

 むっとして下唇を甘噛みしている。

 その真意を、弥は探る気もないので無視していたら、振り向いた傍から声がかかった。


「行くって、どこに?」


「まずは……森を抜けようかなって」

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