第16話 追走アメンボ

「…………」


「おはよう、と言うには遅過ぎるかな。やっと素顔同士、晒し合えた」


 ドリューが言う。そして目と目が合った。

 彼、ドリューはくるくると空中で後転をしながら、地面を一度経由し、戦車の上に着地した。

 回転刃はどうやら引っ込めたようだ。


 目と目が合ったが、だがホークからすれば、ドリューの目は、よく分からなかった。

 どうやらさっきのフルフェイスヘルメットの破壊――、

 その際、衝撃によって、中のメガネがずれてしまっていたらしい。


 強化している視力が一時的に衰えている状態に戻ってしまい、上手く視認できていなかった。

 ホークはメガネを指でくいっと上げてから、強化された世界を見る。

 それから辺りを見回した。


「ちょ、おい。おいらを無視してどこ見てやがんだよ」

「いいからお前、一度黙れ」


 素顔を晒したことで互いに対等になった――。少なくともドリューは対等に思っているらしいが、だがホークはそれでも、上からの命令口調だった。

 ドリューは、「なっ――」と予想外の返答に苛立ちが沸き上がるが、その苛立ちを抑える努力を、ホークはしなかった。そもそもで敵である――、そんなことをする必要もない。

 ないが、今後の展開次第では、そういう決めつけはしない方がいいかもしれない。


「……別に、別にさあ……いいけどさあ。おいら達はいま戦っているんだから、せめて一対一で戦う剣士のように、向き合うべきじゃないの? 

 戦車の上でのんびり腰を下ろしているおいらの言葉じゃないかもしれないけどさー」


「……おい――お前、なにか、聞こえないか?」


 ホークは目に頼らず、耳をあてにした。

 バイク、戦車の走行音――、波の音、空気、風の音――、様々な音が邪魔をして、やかましいことこの上ないが、だが、分かる者には分かるはずである。

 ホークは、目立つ音に紛れてひっそりと、水面下から狙っているような、隠密に特化している闇の音を聞き取った。そしてそれは、ドリューも同様に。


「ううん? ――うん、聞こえるね」


 両手をそれぞれの耳に添えるようにして、音を集中的に聞き取るドリュー。

 ここでホークの言うことを素直に聞いてくれるあたり、無関係だと吠えて攻撃を仕掛けてこないあたり、彼はクズではないのだろう……。ホークの中で彼の評価が僅かに上がっていた。

 とは言え本当に僅かだ、これっぽっち、の指の隙間よりも狭い。


 二人は戦闘を後回しにして、音を聞くことを優先した。それ程に、重要なことだと判断したのだ。この音が、只事ではないと感じ取ったのは、ホークだけではなかったということ。

 異常を感じ取ったのが自分一人だけではない、というのは、精神的に大きな力となる。


『…………』

 二人して無言になり、しばらくその状態が続いていた。


 走行音と自然の音が支配するこの空間を、一番最初に破ったのは、集中して音を聞き取っている二人――、ではなかった。

 がちゃり、という音が、数多の音に支配されたこの空間に入ったことによって、二人はすぐに音の方へ意識を向けた。


 戦車の上――。

 丸い、上に開く小さな扉が開き、顔を出したのは、運転をしているはずのお姫様……メイビー・ストラヘッジだった。

 彼女は風をまともに受けて、金髪をゆらゆらではなく、ばさばさと暴れさせながら、


「そんなところでなにをしているんだ?」


 と、視界に入っているドリューに聞いた。


 運転はどうした!? レース中なんだから他人を気にしている場合じゃないだろ! とツッコミたい衝動をドリューが抱えているだろうことは、ホークも薄らと分かった。

 同じ目的を共有しているからか、表情で分かってしまう。

 それに、もしも同じ状況になれば、自分もそう思うからだ。


「お――」

 い、と続きの声を発しようとしたが、言葉はそこで途切れてしまった。


 メイビーが顔を出したことによって、意識していた『集中して音を聞く』行為を、一時的にやめてしまっていたが、それは今に限って言えば、良かったのかもしれない。

 もしも未だに耳を澄ませて音を聞き取っていれば。

 もしかしたら耳が破壊されてしまっていたかもしれないのだから――。



 鼓膜が破れてしまうような――爆音。


 水が真っ直ぐ、真上に上がる飛沫音。


 無機物が地面を揺らす、着地の鈍音。



 どれもこれも気を抜いていたからこそ、鼓膜と意識を揺さぶる程度の攻撃的な音の枠の中で暴れ回っていた。意識して聞いていれば、鼓膜は全ての音――全ての要素を拾ってしまう。

 必要以上に、カットしなければいけないものまでも受け取ってしまい、結果、鼓膜が許容できずに破壊されていただろう。


 それを避けることができた――。

 偶然だとも言えるが、メイビーのおかげかもしれない。


「……なんだ、――なんなんだあの気持ち悪い奴!」


 ……いや、メイビーのあの慌てようからすれば、この音の発生を予知していたわけではなく、彼女に自分達を助ける気はなかった――。つまり本当に偶然なのだろう。

 ふとした行動が未来を変えた。だが意図しない偶然であろうとも、きっかけはメイビーのあの行動だった。だったら、彼女のおかげとも、言えなくもない。


「……どの道、メイビー・ストラヘッジには加勢する気だった。

 だったら、さっきの恩はここでまとめて返してしまえばそれでいいか」


「ぶつぶつ言ってないで、あれ、どうにかするか考えたのか? ――ホーク」


 あわわわわっ、と性格に合わず、見た目に合っている反応を示すメイビーを、まあまあと言葉で落ち着かせ――、それからドリューがそう聞いてきた。

 彼は戦車の端に座って、足をぶらぶらとさせている。危機的状況のはずだが、彼だけを見ていると、まるで公園の平和的な一部を切り取ったような光景に見えてしまう。


 現実、そんな状況ではないのだが。


「お前はどうなんだ――ドリュー。お前はあれを、どう見る?」


「小さな円盤から生えている六本の足――、ありゃ、まるで『アメンボ』のようだね。というか、アメンボがモデルになっているマシンだと思う。

 ただ、無人か有人か……その違いが戦況を大きく変えるね」


「アメンボ――確かに、円盤の側面にアルファベットで書いてあるな……。

 見たところあの円盤は、人が入れそうな程に大きさはあるようだが、だが、薄過ぎないか?」


「いや、案外、横になれば入ることはできそうなものだけど――ただ、どうだろうね」


「運転できる設備が入っているとは思えない――そういうことか?」


 正解っ、と両手をそれぞれ拳銃の形に変えて向けてくるドリューをちらりと見たが、すぐに視線をはずした。

 そういうノリは今、いや今でもなくとも、どこであろうが共有することはできない。


 とにかく今は、真後ろから迫る『アメンボ』の形をしたマシンを、どうにかするのが先決だった。あの円盤の薄さを考えれば、とてもじゃないが人が搭乗しているとは思えない。

 円盤を支える足だって、同じく薄く、細い。こちらも人間が入れるはずがない。

 だとしたら無人マシン――無人兵器となる。

 そうならばこのアメンボは、出場選手のマシンではないということになり――つまりは、


「……運営側が仕掛けた障害物なのか?」


「たぶん違う――障害物にしては本気過ぎる。まあ、六本の足をじたばたと足踏みをしてこちらを追ってきているだけだけど、あれに踏み潰されたら君でなくとも、この戦車だとしても、一瞬でぺちゃんこになるだろうさ。

 レースの邪魔をしようとしているんじゃない――、

 これは、間違いなくおいら達を殺しに来てる」


「なんのために?」


「そりゃ、レースに優勝させないためじゃないかな?」


「……なぜだ? 次代世界王を決めるためのレースで、他の選手が俺達を邪魔するのは分かるが、運営側が邪魔をするのは、訳が分からないぞ!?」


「運営側という単語は、君が出しただけで、あのアメンボが運営側のものだと決まったわけじゃない。選手でも運営でもなく、第三者――観客の誰かが操って邪魔しているかもしれない。

 手を組んだ選手を優勝させるために――ね」


 ただ――と、ドリューが付け加える。


「そういう第三者からの邪魔を防御するのが、運営側の仕事でもある。絶対平等。フェアを目指している、と言っているらしいからね。当然、きちんと仕事をしているか、なんてことはおいらの知ったことではないけど、そう簡単に邪魔が入ってしまうのも運営側としても困るんじゃないかな? だから、高い確率で、あのアメンボは運営側、ということになるか――」


「運営側が、俺達を今、殺しに来ている――。

 いや、俺達……俺とお前じゃ、ない……?」


 狙いは、違う。


 運営側が一体、誰を狙ってこのマシンをここまで送り込んだのか、その真相を、ホークは気づいてしまった。はっとした顔をしてから、首を真横に曲げて見た時には、もう既にドリューは視線を一つに絞っていた。


 ドリューの視線を追うわけではないが、

 目的地が同じなので自然、追うような形になってしまう。


 二人の視線の終着点にいた、金髪で元・次代世界王候補であった少女――、メイビー・ストラヘッジは、さっきよりは取り乱してはいないが、それでも追ってくるアメンボのマシンに目を奪われていた。


 そんな彼女だが、しかし二人のじっと見つめてくる視線には気づいたのか、アメンボから視線をはずして二人、それぞれ見る。



「……そんなにじろじろ見て――なんだ?」


『(こいつッ――! 自分に降りかかるだろう特大の火の粉を自覚していない!?)』



 守る側の身にもなってほしいものだと、守るべき対象に向けて心の中で思う二人は、重い溜息を吐きながらも、だが――、目は死んでいなかった。

 向かってくるのは殺人兵器だが、結局は踏み潰すしか脳がない、組まれた動きしかできない人が乗っていない無人兵器である。


 絶望的とまでは言わない。


 危機的ではあるが。


 ホークとドリューは、一人の少女を守るために、敵さえも利用する。

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