閑話 姫神柚木の葛藤
時宮君が暴行を受けていると一報を受けた時、私−−姫神柚木は後悔した。
私のせいだ。
私が時宮君に何とかしてほしいとお願いしたから。
私自身のエゴによって時宮君が傷ついてしまった。
暗澹たる気持ちで廊下を進む私。
道中で及川君と黒城さんに会ったけど、二人共厳しい顔をしていた。
嘘であって欲しいと願いながらも体育館裏で目にした光景は全て真実であったこと。
「おい、何をしている!」
当然及川君は元仲間の四人に対しての怒声を発した。
それから先に何があったのかよく覚えていない。
記憶にあるのはボロボロになった時宮君を介抱していたことぐらい。
「時宮君、大丈夫?」
そう尋ねた私に時宮君は嬉しそうに笑い――体が痛むのか引き攣った笑みを浮かべながら。
「ん、大丈夫。骨は折れていない」
つまり、骨が折れているか心配するほどの痛みがあるのね。
しばらく安心したように私に体重を預けていたけど、及川君の後姿を見て時宮君の目が鋭くなる。
「いつつ……及川君、ストップストップ」
フラフラとしながらも確固たる意志をもって及川君と4人組の間に立つ時宮君。
「及川君。その握られた拳は何かな?」
口調こそおどけているものの、その心根は絶対に及川君を止めようとしていた。
「っ」
そう指摘された及川君は反射的に拳を緩める。
……及川君、もしかしてあの4人に暴力を振るおうとしていた?
「……違うよね、及川君」
私は及川君にだけ聞こえるように小さく呟いたのだけれど。
「……」
及川君は何も応えてくれない。
沈黙を選んだのは単にその言葉が聞こえなかっただけだよね。
私はそう信じたい。
五限目の授業中、及川君は上の空だった。
「及川、聞いているのか?」
「……」
先生からそのような注意が飛んできても及川君はふさぎ込んだまま。
そんな態度を取ればいくら及川君でも失跡は免れないのだけど。
「まあ、サッカー部のキャプテンである及川にとっては授業どころではないよな」
先の暴力事件を知っている先生は及川君に対して同情して目を瞑ってくれる。
休み時間になり、クラスメイトが自由に話し始めるけど、及川君に近づく者はいない。
どうやら皆の合意として及川君自らが動くまでそっとしておこうということになったみたい。
分かっていたけど、及川君って人望があるんだね。
私からすれば酷く羨ましく思える。
しかし。
「っ」
何故だろう。
そうやって情けを掛けられるほどに及川君の表情が苦しそうに一瞬歪むのは。
そして放課後。
皆が帰宅の準備や部活に行こうとしている中、及川君は両手を合わさったまま微動だにしない。
そんな思い詰めた表情を作る及川君を放っておけない私は席に座ったまま待つ。
小さな頃から知っている私には分かる。
ああいう表情をした及川君から目を離してはいけない。
自らの感情のまま行動し、誰にとっても不幸な結末が待っているから。
皆の合意として及川君が答えを出すまで見守ることが決定している。
だから、私はそこまで待つつもりだった。
「--よし」
しばらく後に及川君は一つ頷いて立ち上がる。
その眼には確固たる決意と悲壮感がにじみ出ている。
これはいけない。
私は足音を立てて及川君に近寄った。
「及川君、何を決めたの?」
私の質問に及川は喉を鳴らした後に口を開く。
「部活の顧問に公式戦辞退と俺のキャプテン返上を申し出てくる」
「っ」
やっぱり。
及川君は最悪の選択肢を選ぼうとしていた。
「……なんで?」
「今回俺の元仲間や部活のメンバーが起こした事件に対するけじめだ。今、振り返れば今回の事件は未然に防ぐことができた。少なくとも姫神や時宮が姑息な真似をしていた時に俺も何かしら行動しているべきだったんだ」
「姑息な真似って」
そんな言い方は酷い。
「姫神の憤りも理解できる。だが俺にはそうとして思えないんだ。俺がクラス内で孤立していた時、俺はそれで良いと思っていた。なのに姫神は俺の了解を聞かず、勝手に変えようとした、というのが俺の正直な意見だ」
「っ」
私達が勝手な真似をしたからこうなった。
と、暗に責められた私は唇をかむ。
「別に俺は2人を責めるつもりはない、実際嬉しかったしな。ただ、最終的にな責任は誰にあるかと問われれば俺にあると思う」
フォローのつもりかそう付け足す及川君。
「だから俺は責任を取らなければならない。時宮のカンニング冤罪事件から始まった一連の流れの帰結がここだということだ」
「……なんでそんなおかしな結末になっちゃうの? 誰も得しない、全員が不幸になる結末がお望みなの?」
「……ごめん」
震える声でそう尋ねるけど、返ってくるのは謝罪のみ。
「あれだけ期待されたんでしょ? キャプテンを決める時も先輩方の反対を押し切っ先々輩や顧問の先生の顔に泥を塗っちゃうの?」
「ごめん」
「とにか――」
「姫神柚木」
私の言葉を遮るように及川君は首を振って。
「もう良い、もう良いんだ。俺のことはもう放っておいて彼氏である時宮の見舞いに行け」
最後通牒のようにそう告げてきた。
口調はっきりしている。
けど、その顔は青白い。
ああそうか、及川君も怖いんだね。
何がどうなるか分からないからそんな顔をしているんだね。
思えば、私が及川君のことを明確に好きになったのはこういう表情をしたからかな。
自ら不幸になる決断をしたのに、内心どうなるか怖くて仕方ない。
だから私がいつでも傍にいなきゃと思ったんだ。
私は及川君をそっと抱き締める。
「及川君、私がいるよ。ずっと傍にいるよ」
及川君は私を振りほどこうとしない。
「どんな時でも、私は貴方の味方だから安心して」
「……彼氏持ちが他の男と抱き合うのはよした方が良い」
「じゃあ突き飛ばせば?」
「……」
私の挑発に及川君は無言で返す。
「時宮君とは別れるわ。やっぱり私は及川君のことが好きなの」
これは紛れもない本心。
時宮君を好きか嫌いかと聞かれれば好きだと答えられる。
あんなに私のことを考えてくれる人なんて他にいない。
けど、駄目なの。
時宮君じゃ駄目なの。
私が愛しているのは及川君なのだから。
「時宮に俺はどんな顔をすればよいのだろうな」
ぽつりとそう漏らす及川君に私は頬を寄せて。
「私もいるよ。だから一緒に謝ろう」
そう口にした瞬間、時宮君の泣き顔が頭に浮かぶ。
ごめんなさい、時宮君。
けど、時宮君は自分が思っている以上に凄い人だから。
黒城さんのように私なんかよりもっと良い人が絶対いるよ。
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