第37話 喫茶店
カラン コロン。
「わあ、良い場所ね」
「ありがとう、喜んでもらえて良かったよ」
僕は姫神さんにとある喫茶店に連れ込む。
繁華街から離れた場所に立地しているメルヘンチックな喫茶店。
姫神さんは現実と一線を画すのに惹かれる傾向があるのでここをチョイスしたけど、どうやら成功したみたいだ。
「ここ、凄く良い! 私、絶対に常連になる!」
姫神さん姫神さん、目的を忘れているよ。
僕たちは作戦会議をしに来たのだろう?
まあ、僕としてはこのままデートを楽しんでも良いのだけど。
「……はっ、ごめん時宮君。ちょっとテンションが上がっちゃってた」
思い出したのか、姫神さんは夢から覚めたような表情で謝ってくる。
「謝らなくて良いよ。むしろこっちが謝らなくちゃいけないし。どちらかというと、もっと話し合いに適した店を選ばなかった僕が一番悪いし」
「いいえ、この店に罪がないように時宮君にも罪はないわ。責められるべきは我を忘れた私にあるのよ」
「気にしない気にしない。僕としてはこの店が気に入ってくれて嬉しいよ」
チョイスした場所が想い人に喜ばれるのは凄い嬉しいね。
「及川君と一緒に来たいな。絶対喜ぶと思う?」
ぐはっ!
少し鼻高気になったところを折ってくる姫神さん。
……僕は姫神さんが及川と良い雰囲気になるためにこの店を探したんじゃない。
「姫神さん。話が脱線して元に戻らなくなる可能性があるからこの話はいったんストップだ」
心が痛いから本気で止めて。
及川のことが話題とはいえ、姫神さんと2人きりになれる時に学校の空き教室で話し合いなんていう真似はしたくない。
そう、これはデート――誰にも邪魔されない至福の時間。
僕と姫神さんだけが知る秘密の場所にしたいんだ。
「で、及川の現状を聞かせてもらって良いかな?」
「えーと、ね……」
僕は話を進めることにする。
叶うならば、姫神さんがここに及川を呼ぶことを失念するほど話に熱中して欲しいな。
「――と、いう状況なのよ時宮君」
「なるほどねえ」
僕は冷たくなったコーヒーを啜る。
姫神さんに限らず、熱中しているものを他人に語る際は熱く長くなってしまうものだ。
黒城さんが創価学会のことを語るときの表情と熱意に近い姫神さん。
現に姫神さんのトークを止めることができず、ホットコーヒーがアイスコーヒーになってしまうぐらいの時間が流れていた。
「ごめんなさい、一方的に聞いてもらっていたね」
「別に良いよ。僕は僕で楽しんでいるから」
普段は及川にしか向いていない視線と感情が今、僕に向いている。
それだけで僕は幸せを感じる。
「はあ……及川君も少しくらい時宮君を見習ってほしいのに。及川君なんて話がいよいよ本題に入りそうなときに遮るんだから」
「うん、出来れば他の男に対する愚痴は止めて欲しいかな」
何気ない日常やお菓子といったとりとめのない話は良いよ。
けど、及川の話をされると僕の心が嫉妬で支配されて滅茶苦茶辛いんだよ。
(南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経)
やらなければいけないことは知っている。
後は実行するだけだ。
「姫神さん、やっぱり方法は一つしかないね」
「え? 時宮君は解決する方法を知ってるの?」
パッと笑みを浮かべる姫神さん。
その花咲くような笑顔を見ることができた僕はとても幸運だけど、その笑顔は僕に向けられていないことが玉に瑕かな。
「うん、方法は簡単だよ」
僕は再度胸中唱題して覚悟を決めて口を開き。
「――クラスメイト全員、担任も含めた一人一人と話して説得していくしかないよ」
この状況をあっという間に解決できる魔法のような手段なんてあるわけがない。
いや、カリスマ性のある及川なら可能かもしれないけど、僕にそんな芸当などできない。
「……」
姫神さんは先ほどと打って変わって意気消沈している。
ごめんね、姫神さん。
けど僕に他の方法があるなら僕も迷わずそれを選んだよ。
けれど、破壊は一瞬、建設は死闘。
信頼を失うのは一瞬だけど、それを取り戻すには気の遠くなるような時間と忍耐を必要とするんだ。
「……」
姫神さんは思い詰めたような表情。
うん、辛いね。
姫神さんにそんな表情をさせてしまう僕自身の無力さに辛い。
「及川君なら何とかしてくれるかな?」
「っ」
無意識であろう姫神さんの口から洩れた言葉に僕は奥歯を噛みしめる。
姫神さんの口から及川の名前を出させたことが悔しい。
結局、姫神さんの中で頼りになるのは僕でなくて及川であることを再確認されて悔しい。
そして何より。
「……そうだね、もし僕が及川ならあっという間に解決できるかもしれない」
僕自身が及川並の能力があれば解決できることを認めてしまっているんだ。
(南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経)
限りなく痛む心から溢れ出す弱音を胸中唱題に変えて吐き出す。
僕は及川の下位互換でしかないことを認めたくないから胸中唱題を繰り返す。
「姫神さん、話が最初に戻っちゃったよ」
「あれ? 確かにそうなっちゃってるね」
及川抜きで解決したい問題があるのに、結局は及川でなければ解決できない話になってしまっている。
「どうしようか? もう良い時間だよ?」
気が付けば1時間以上話し込んでしまっている。
僕としては何時間でも良い――いや、僕と及川との違いを延々と見せつけられるからここで切り上げたい。
「そうだわ。そろそろ帰らないと親が心配しちゃう」
どうやら姫神さんの家には門限があるようだ。
「送るよ、だから少し待って」
僕は伝票を手に立ち上がる。
「時宮君に悪いわ。割り勘にしましょう」
「はは、ありがとう。けど、ここは僕に奢らせてほしいな。解決方法を提示できなかったお詫びとしてそれぐらいはさせてよ」
申し訳なさそうな顔をする姫神さんに僕はそう言葉を重ねる。
僕にも非があると言っておかないと姫神さんは譲らないからね。
その損得勘定を抜きにした姫神さんの心は美しいよ。
「だったら次来たときは姫神さんが払ってくれない? それでおあいこということで」
で、僕はその姫神さんの優しさに付け込んでそう提案する。
ひねくれ者がこのセリフを聞いたら『さりげなく次もあると約束させたね』と燻しかしむけど、そこは純粋な姫神さん。
一も二もなく頷いた。
確かに僕は及川には遠く及ばない。
だからこそ、小細工でも何でも使って姫神さんを振り向かせるしかないんだよ。
不思議なことに、そう考えた僕は卑屈になるどころか、限られた手札で死力を尽くすような、縛りプレイをする猛者プレイヤーのようにワクワクしていた。
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