第30話 新たな一歩

 そして次の日。


 僕は姫神さんと一緒に登校し、幸せ絶頂のまま午前中を終える。


 僕的にはそのまま卒業までいって欲しかったのだけど、残念なことに三時限目に学年主任がやってきてこう言ったんだ。


「悪い、昼休みに相談室に来てくれないか」


 詳細はぼかしたものの、十中八九カンニングの件だろう。


 断る理由もないので僕は何も聞くことなく頷いた。


「えー、時宮君。確認するが、このことを公にするつもりはないのだね?」


 事なかれ主義の権化である学年主任が冷や汗を拭いながらそう念を押してくる。


 彼の顔が真っ青なのは、今、この瞬間に学年主任の生殺与奪を握っているのは僕だからだ。


 真偽はどうあれ、学年主任のやったことは相談に来た生徒の訴えを吟味することなくうやむやにして終わらせた。


 それが広まったら確実に学年主任は飛ばされるだろう。


「ええ、この件で金輪際僕にちょっかいをかけ来なければ、噂を広めたり傍観したりしなければ僕は口をつぐみます」


 ジロリと僕が睨むのはAクラスの担任の先生と狂言を行った生徒数人。


 彼らも一様に震えている。


「うん、わかった。君達もこの件については口外無用で頼む。もし、広まっていたら、そしてその広まりに君達が絡んでいたとなれば……分かるね?」


 事なかれ学年主任は立場が自分より下の者に強い。


 彼らを恐怖で縛りかつ、自らの言質を取らせない言葉遣い。


 絶対に尊敬できないが、世の中の愚かな連中を抑えるには学年主任のようなタイプが必要なんだと思った。





「なあ、時宮。これで良いのか?」


 相談室から出た僕にそう声を上げたのは及川だった。


 彼は今回の決定に納得がいっていないのだろう。


「ああ、僕的には二度と関わってこなければ良い」


 話しかけるな、関わるな、視界に入ってくるな。


 全くの無関係でいたい。


「けど、それじゃあ時宮のやられ損じゃないか」


 確かに及川の言うとおり、僕が一方的に責められ、彼らは何のお咎めもなし。

 公平な裁きとは言い難い。


 けどね。


 僕は唇を醜く吊り上げる。


「及川――この世は非を素直に受け止められる者ばかりじゃないんだよ。むしろ少数派だ。大多数の者は非を受け入れられず、置き場のない怒りのはけ口を他人に向けてくるんだ」


 僕が日ごろの鬱屈した感情を及川や姫神さんに向けていたように。


「彼らを責めれば、その怒りは僕もしくは何の関係もない赤の他人やホームレス、野良動物に向けないとも限らない」


 それで彼らがますます社会的に追い詰められて居場所がなくなっていくのは自業自得なので仕方ないけど、僕が心配しているのはその先。


「通り魔や無理心中を強行して僕や姫神さんを狙われたら嫌だからね」


「さすがにそこまではしないだろう、時宮」


「いや、どうだろう」


 この一件で及川から完全に嫌われた彼らが最悪ルートを選ばないとは限らない。


 何せ、僕がその最悪ルートの一歩手前まで行ったのだから他人事と考えられない。


 それに、僕が正しい選択をしていれば僕はあいつらと友人関係になっていたかもしれず、仮定の友人たちや先生に犯罪の烙印を押させてしまうことの負い目もあった。


「まあ、彼らの処遇より……及川、黒城さんと付き合えておめでとうと言っておこうか」


 これ以上深堀しても仕方ないので僕は話題を変える。


「昨日、黒城さんから告白されたのだろう、知ってるよ」


 昨日の黒城さんとの電話からそう推測する僕。


 僕としては及川から肯定の返事が来ると思っていたのだけど。



「いや、断った」



「――は?」

 思わぬ返答に僕の目が点になる。


「黒城さんが俺と付き合う最大の理由は姫神が時宮と付き合うからだろ。そんなスワッピングのような真似をされても俺は付き合えない」


「……」


 及川の言い分は理解できる。


 そんな交換条件で付き合えるとしても、心の底では複雑な思いを抱くのは当然だろう。


「それより時宮。お前はどうなんだ? そうまでして姫神さんと付き合いたいのか?」


 及川からの詰問、知らず迫力に押されて手に汗がたまる、けど。


「ああ、僕はそれでも構わない」


「……そうか。何やってんだ? お前達は?」


 及川の軽蔑するような視線。


 僕はとっさに奥歯を噛みしめ、出て行こうとする激情と言葉を抑え込む。


 仕方ないだろ、気が付けば口が動いていたんだ。


 抑えきれなかったんだ!


「で、及川はこれからどうするんだ? これからも黒城さんにアタックを繰り返すのか?」


 確認のため、聞いておく。


 その返答の如何によって僕も巻き込まれる可能性があるからね。


「いや、友人として始めることにした。だから昼を一緒に食べたり、部活が休みの時は一緒に外で遊んだりしようかと思っている」


 なるほど、僕とほぼ似たような状況か。


「良かった。これからも及川から黒城さんを呼ぶ出汁にされたら堪らないしね」


「ハハハ、それはすまない時宮」


 及川は自分でも悪いと思っているのか罰が悪そうに頬をかく。


 さて、実質は同等だけど、僕は姫神さんと恋人同士で及川は黒城さんと友人関係。

 カンニングの件も含め、見当違いの怒りを抱いていた及川への贖罪を込めてアドバイスしよう。


「及川、黒城さんは宗教を大事だと思っている。だから彼女の前で宗教を否定するような発言は止めろ、むしろ理解を示せ」


 黒城さんが及川を嫌っている最大の原因は宗教を侮辱している点にある。


 そこを改善すれば及川にもチャンスがある。と、いうか相性がぴったりだと僕は思う。


「は? あいつは宗教なんて信じてるのか?」


 及川の答えは僕の善意を踏みにじった。


「宗教など弱い人間がするものだ。そんなのを信じてる人間なんてロクな奴じゃない」


「……及川君。その言葉、絶対に黒城さんの前で言わないようにしてね?」


 言ったら冗談抜きで戦争が始まるから。


「何故だ? 俺はむしろ言うぞ。黒城さんのような強い人間ならなおさら宗教なんて必要ないと思わないか?」


 及川の表情を見るに、本気で心の底からそう言っている。


 あ、これは駄目だな。


 信念が強すぎて僕の言葉が届きそうにない。


「……まあ、頑張ってくれ」


 後は知らない。


 黒城さんにすべてを任せよう。


 僕は踵を返す。

「あれ? 時宮はどこに行くんだ?」


 及川の言葉に僕は笑顔でこう言う。


「姫神さんのところにね。一緒にお昼を食べる約束をしてたんだ」


 憧れの姫神さんと食事できるんだ。


 これ以上一分一秒も無駄にしたくない。


 僕はスキップしたい心境を抑えつつ、足早に姫神さんのもとへ向かう。


「ちょ、少し待てよ時宮。同じ方向だから一緒に行くべきだろ」


 及川のそんな言葉をバックに僕は廊下を歩いて行った。

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