第29話 成長
「デートは楽しかったかしら、時宮君?」
夜。
スマートフォンから響く、からかうような声が僕の耳朶を打つ。
「うん、楽しかったよ。久しぶりに心から笑った」
これまで姫神さんへの羨望と及川への憎しみが僕の心の大部分を占めていた。
それらを忘れ去り、姫神さんとのデートに没頭した瞬間は何物にも捨てがたい。
「十界論でいうなら天界の絶頂だね」
「そう、じゃあ気を付けないと。天界に魔は潜むというように、思いもしないところで足をすくわれて地獄へ真っ逆さまよ」
「そうだね、僕への戒めとしておこう」
「……」
ハッキリと言い切った僕の言葉にしばらく沈黙する。
「驚いた。男子三日合わざれば刮目せよと言うけど、大分変わったわね」
「黒城さんのおかげだよ、本当にありがとう」
「私に礼を言うぐらいならその分ご本尊様に感謝しなさい。時宮君が創価学会員でなければ私の目に止まることはなかったわよ」
「そうだね、むしろ死を選んでいただろう」
それぐらい、祈る前は追い詰められていた。
「そう。そこまで冷静に振り返るのであれば、衝撃的なことを言ってもいいかしら?」
「それは、及川に告白したことの話かな?」
「……驚かないのね」
「まあ、姫神さんが僕に断った告白をやり直したいと言ってきたことから予想はできた」
黒城さんと姫神さんとの間に密約があることは想像できた。
そして、降って沸いたように姫神さんからオーケーをもらった以上、黒城さんも何らかのアプローチをやることは当然だ。
「頭では予想できても、心が追い付かないと思うのだけど」
「……ここで狼狽えたら失礼だろ、黒城さんにも姫神さんにも」
下手な対応をした二人を傷つけることになるのだから、それはもう必死だよ。
「必死で心を抑えたんだよ」
「…………そう」
「それよりごめんね黒城さん。僕のために及川と付き合うようなことになって」
一癖はあろうとも黒城さんは僕の恩人なことに変わりはない。
その恩人に辛い目にあわせていることを僕は苦いものを感じる。
「別に、これは私の問題だから私が解決するわ」
「それでも、僕に何かできることがあるなら言って欲しいな」
それが恩返しだと僕は思う。
「そうね、代わりとして姫神さんを折伏してくれないかしら?」
「――え?」
あまりに予想外な言葉ゆえ固まる僕。
「私の勘になるけど、あの子はなびきやすいわ。時宮君にちょっと惚れさせてしまえば、あとは簡単に入会届にサインすると思う」
「いや、それはちょっと――」
なんかずるい気がする。
「時宮君は嬉しくないの? 一緒に唱題する未来を想像したらどんな気分になれるかしら」
黒城さんに言われ、姫神さんと唱題している未来を考えてみる。
「……良い」
僕と姫神さんだけでなく、小さな子供も交えて唱題している姿を想像したのは一生の秘密だ。
「じゃあ、これからしばらく同盟唱題でもしない?」
「同盟唱題?」
「そ、同盟唱題。遠く離れた学会員同士が行うのだけど、決まった時間にそれぞれのご本尊の前で唱題を行うことを同盟唱題というの」
「ああ。それでその間は姫神さんの折伏が決まることを祈るのか」
「そうね、そうなるわ」
「うん、わかった。それぐらいお安い御用だ」
「そう。じゃあ今日からしましょうか」
「え?」
黒城さんの言葉に詰まってしまう僕。
「ごめん、今から夕飯を食べるので八時からはどうかな?」
「うん、わかったわ。じゃあ、これからしばらく八時から九時まで同盟唱題ね」
「ああ、良いよ」
黒城さんの申し出を快く受け取る僕。
この時、僕は知らなかった。
毎日決まった時間に決まったことをすることの大変さを、心が浮かれてしまって失念していしまっていた。
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