第19話 それでも続いていく

「おい、時宮。昨日はどうしたんだよ」


「……」


 おかしい、今日も登校前に唱題一時間あげてきたのに、どうして最も会いたくない奴と出会うのか。


 クラスの人気者Aの及川が僕の横で歩いている。


「及川君。ほら、そのことは聞かないであげよう」


 訂正--奴でなく奴らだ。


 姫神さんもいる。


 まあ、唯一救いなのは、姫神さんは僕を遠慮するかのようにチラチラ見ていることかな。


 これで、昨日のことなどなかったかのように振る舞われてしまえば僕は平常でいられる自信がなかった。


 と、いうか何なんだよこいつら。


 如何にも僕を心配していますというような態度。


 それがますます僕を傷つけることだと知らないのか?


 けど、僕に絶望感を植え付けるという意味なら大成功だね。


 今、この瞬間にも僕は及川の綺麗な顔面を殴り付けたくて堪らないのだから。


(南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経)


 咄嗟に胸中唱題、心を入れ替える。


 激昂して殴るのはやめておこう。


 運動部の及川に僕の拳が届くとは到底思えないし、何より僕が停学をくらうだけの未来しか思い浮かばない。


「色々あったんだよ。出来れば放っておいてくれると嬉しい」


 怒りの感情を押し隠し、僕は肩を竦める


「及川も大分楽しんだだろう?」


 姫神さんと黒城さんという学年二大トップを独り占めしたんだ。


 及川以外がやると後ろから刺されているよ。


 ちなみに僕なら刺すけどね、絶対。


「時宮。実際に女性二人と男性一人をやってみろ。ギスギスして楽しむどころじゃなかったぞ」


「ああ、なるほど」


 そういえば黒城さんは及川が嫌いで、及川は黒城さんが好き、おまけに姫神さんは及川が好きで、黒城さんを嫌っているとなると、それはもう地獄だろう。


「そっか。それは残念だったねえ」


 ざまあみろ。


 及川の不幸で僕の気持ちがスッと晴れる。


「そうだろ。だから今度から時宮も最後まで参加してくれ」


「……は?」


 僕は間の抜けた声を出す。


 何故そのような結論が出たのか意味が分からない。


「姫神、悪いが先に行っていてくれ」


 及川は姫神さんに聞かれたくない様だ。


 苦笑しながら片手で謝るポーズを取る。


 普通、そんな邪険な対応をされたら多少ムッとするだろうが、悲しいかな惚れた弱み。


 一瞬悲しげな顔をした姫神さんはすぐに笑顔を作り、手を振って去っていく。


「うん、分かった。それじゃあ、またね。及川君、時宮君」


 及川の後に僕の名前を呼ぶんだな。


 分かっていたことだけど少し肩を落とした。


「いやあ、なんというか先日のデートで一番楽しかったのは時宮がいた四人組の時だけだったんだ」


 黒城さんとの勝負の時はなんか物足りない。


 ましてや僕の抜けた三人の時は言わずもがな。


「やはり四人が一番しっくりくるんだよ」


 何がしっくりくるだ。


 及川はそれが一番望ましいのかもしれないけど、僕にとって地獄だぞ。


 僕が好きな姫神さんは及川に夢中、そして及川は僕を助けてくれた黒城さんと楽しんでいる。


 --死んだ方がマシだ。


(南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経)


 胸中唱題、気合を入れなおす。


 正直、言いたいことは山ほどある。


 けれど、言っても仕方ない。


 僕の嘆きなど及川は聞き入ることはせず、良くて一時の同情を買えるだけ。


 僕は……同情を買いたいんじゃないんだ!


「それじゃあ、また」


 僕はそう言い捨てて踵を返す。


 できればもう二度と会いたくないんだけどね。


(南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経)


 ……ご本尊様はこんなささやかな願いさえもかなえてくれないのかなぁ?


 及川と別れた僕はそのまま教室と向かう。


 僕の予想が正しければもう来ているはずだ。


 黒いつややかな髪に人形のような白磁の肌。


 しかし、その漆黒の瞳に宿す強い意志を。


「おはよう、時宮君」


 黒城さんは普通に挨拶してくる。


「昨日は……まあ、お疲れさまというべきかしら?」


 顎に人差し指を当てて小さく傾げながらそう尋ねてくる黒城さん。


 無邪気な少女をほうふつさせるその仕草を黒城さんがやると失笑してしまうのはどうしてだろうか。


「結末を言う必要はないよね」


「ええ、姫神さんが申し訳なさそうな顔で『時宮君は体調が悪くて帰ったみたい』と嘘を吐かれれば誰だって理解できてしまうわよ」


「及川は知らなかったみたいだけど」


 僕は朝の及川の態度を思い出す。


 あれは姫神さんの言い分を疑うこともなく信じていた様子だった。


「時宮君、貴方って馬鹿ね。人気者の及川が二人きりで何があったのか察せないわけがないでしょ。すべてを知ったうえであの態度なの」


 ……それは余計酷くないか?


「だって姫神さんと時宮君が話さない以上、慮るのも変な話。軽い気持ちで首を突っ込んではいけない話題だから仕方ないわよ」


「なるほど、理解した」


 僕たちが言わない以上、何事もないかのように振る舞うしかないのか。


 ごめん、及川。


 僕は心の中で謝る。


「けれど、個人的にはもう関わらないで欲しい」


 全部黙ったうえで付き合うぐらいなら、二度と話しかけてこない方が嬉しいよ。

 僕の独白に黒城さんは同意とばかりに頷く。


「仕方ないわよ、彼は基本的に陽属性だからああいう方法しか知らない――陰属性の私たちがそれをやられても鬱陶しいだけだわ」


 ホントだよ。


 普通の植物なら光と水を与えれば力を取り戻すけど、キノコのような存在にそんなものを与えられたら消滅してしまう。


「どうすればいいと思う?」


 僕は頭を抱えながら黒城さんに聞く。


「あいつ、絶対に諦めないよね?」


 及川の無駄にポジティブでしつこい性格なのは嫌という程思い知った。


 僕がはっきり嫌と言っても無駄な気がする


「そうね、何を言っても及川には無駄な気がするわ……ねえ、時宮君」


 少しの沈黙の後、黒城さんが瞳を細める。


 これは何か重要なことを言うな。


 僕はそう判断し、表情を引き締める。


「だったら――いえ、ここでいう話じゃないわね。またお昼にどうかしら?」


 その言葉に多少がっくり来たことは否めないが、時と場所を考えれば仕方ないだろう。


 何せそろそろ授業が始まるんだ。


 次の先生は私語が大嫌いな厳格な先生なので目を付けられないよう注意が必要なんだよ。

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