第10話 偽りの平穏

 黒城さんの存在はこのクラスにおいて絶対的なのだろう。


 カンニング疑惑という不名誉な称号を持つ転入者の僕に対し、クラスメイトの反応は至って普通。


 いや、彼らは僕でなくその後ろにいる黒城さんを見ているな。


 僕自身を見て評価してくれないことを悲しむ気持ちはあるが、よく考えたら生まれてからこれまで常に何かの肩書を、優等生だとか学業優秀者といったのを背負って暮らしており、僕自身だけの評価なぞしてもらったことはないし、した欲しいと考えたこともなかった。


 本当に……時宮悟という存在は何かの肩書がないと何もできない薄っぺらい存在なんだなぁと痛感する。


「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」


 ネガティブな方向に行きそうになった僕は胸中で唱題し、考えを変える。


 やり直しがきく若い今の時点で気付けて良かった。


 これからだ。


 これから変えれば良い。


 僕はそう心に決めた。




「時宮君、はい」


 後日。


 登校した僕に黒城さんは数冊の本を渡す。


「『人間革命第二版』一巻と『青春対話』上巻、後は『新会員の友のために--創価学会入門編』の三冊がまだ優しいかしら。いきなり御書全集というのは初心者にとって酷よ」


「え? 何の話?」


 何の脈絡もなく本を渡されて混乱する僕。


「ああ、説明がなかったわね。ごめんなさい。これは創価学会が発刊している本の中でも比較的メジャーな部類の本よ。これらを読めば完ぺきとはいかなくとも、とっかかりは出来るわね」


 どうやらこの三冊を読むことが創価学会を深く知るうえで重要なようだ。


「ああ、分かった。今日中に読むから明日には返すよ」


「今日中?」


 黒城さんが怪訝な顔をする。


「僕はこう見えて読む速度が速いからね。これぐらいなら一日もあれば十分だよ」


 それぐらいの理解力がなければ学年屈指の成績を出せないよ。


「もっと早めて欲しいなら今日の放課後に返そうか? 一応速読も出来るし」


 中学時代、速読が出来たら格好良いなと考えて練習してできるようになった。


 中学は帰宅部だったから時間は余っていたので割とすぐに身につけられた覚えがある。


「駄目よ」


 驚いたことに黒城さんは深刻な表情で僕を止める。


「速読なんてやったら駄目。むしろ熟読しなさい、何度も何度も読み直し、一週間で一冊読むペースでも構わないわ」


「いや、さすがにそれは長すぎるだろう」


 一週間に一冊ってどれだけ遅いんだよ。


「それぐらい深いの。創価学会の教学は果てが見えないぐらい深淵なものなのよ」


「ふ、ふうん」


 黒城さんの迫力に押された僕は思わず頷く。


「分かった、とりあえず一週間かけて一冊を読んでみるよ」


 滅茶苦茶まどろっこしく感じるが、黒城さんには逆らえまい。


 思うところはあったものの、僕は頷いておいた。




 黒城さんからすれば同じ学会員ということで僕のことを気安く思っていたのだろう。


 話の始まりは創価学会の教義関連なのだが、何分僕たちはそれで飯を食べている学者じゃないのでやはり高校生らしい会話になっていく。


「時宮君、歴史の宮沢先生の話って良く分からないの」


「あ~、宮沢先生って独自の視点を持っているから、教科書をベースにして聞くと混乱するよ」


「けれど、時宮君はその先生でも高得点を取っているわ」


「ああ、それは宮沢先生がバイブルとしている歴史本を読んでいるからね。それと教科書のミックスしているのが宮沢先生の授業だ」


「私もそれが欲しいわ」


「止めておいた方が良い。あれは学術的価値がないトンデモ本の類だから、あれを参考したらセンター試験がえらいことになる」


 おいおい。と、読みながら何度突っ込んだことか。


「……そんな本を時宮君は読んだのよね?」


「後悔している。宮沢先生から外れたら即刻記憶から消すつもりだ」


 キワモノ類の知識、披露したら世界で笑われること確実だ。


「それにしても、お腹が空いたわ」


「だったら何かお勧めの店はない?」


「そうね。甘い物なら何件か心当たりがあるわ」


 と、先生の評価や食べ物の話といったとりとめのない高校生らしい会話。


 その相手が学年でも有名の黒城さん相手というのが僕にとって密かな自慢になっていた。


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