第8話 学会員に出会う

 朝。


 いつもより三十分早く起きて準備をし、空いた時間にご本尊の前に座る。


 祈りという作業を追加した以上、どうしても早く起きなくてはならない。


 辛いと聞かれれば辛い。


 けれど、あの最悪の状況を脱し、姫神さんが持つ誤解が解けるまで僕は頑張ることを決めたんだ。


「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経--」


 勤行と唱題を終えた僕は鞄を持ち、家を出て行った。



「今日から新しいクラスか」


 高校に到着し、いつものクラスに入ろうとした僕だが途中で思い出

す。

 あの事なかれ主義によって僕はクラス転向を余儀なくされたので最初の挨拶からやり直さなければならない。


「どんな仕打ちだよ……」


 カンニング疑いのある生徒がやってきましたと自分で白状するようなもの。


 ……辛い。


「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」


 ネガティブに陥りそうな自分の心を、題目を唱えて叱咤する。


「まあ、まだ起こってもいないことを悲観するのは早計か」


 意外とすんなり受け入れてくれるかもしれない。


 都合の悪い未来は考えない。


「よし、頑張ろう」


 僕はそう気合を入れ、新しいクラスへと向かった。


「時宮悟です、よろしくお願いします」


 最初のSHRで無難な挨拶をする。


 僕にとって重要なのは皆に顔を覚えてもらうことでなく、いつの間にか紛れ込んでいるという位置を確保することだ。


 祈ったおかげなのかな。


 新しいクラスの顔を見る限り、皆の興味は僕よりも次の授業に向けられていた。


 ……そういえば次の授業は生徒を無差別に当て、答えられなければしばらく立たせるという全クラスの中でもぶっちぎりの嫌な先生が受け持つ授業だ。


 僕のことよりも、次の予習で忙しいのかもしれない。


「それじゃあ、時宮の席はそこにしよう」


 このクラスの先生が示したのは教壇の真ん前にある場所。


 凄いな、そこが空いているなんて。


 --じゃ、ないよな。


 恐らく、新しい生徒が来るということで生徒の中で不人気な場所の押し付け合いが行われたのだろう。


 まあ、これぐらいなら構わない。


 洗礼だというのなら甘んじて受けよう。


 僕は鞄を持って最前列の席に行こうとしたその時。


「待って」


 気だるげな、しかし人の注目を集めそうな声が最後列から響いた。


「時宮悟、あんたの席はここ」


 そう指し示したのは声の主の隣--もちろんすでに他の生徒が座っている。


 普通に考えればそんなことを横暴の一言で許されるわけがない。


 しかし、僕を含めてこの学年の人全員が知っている。


「黒城弥生さん……」


 黒城弥生。


 黒光りする髪に黒曜石を連想させる瞳。


 容姿はモデルの様に日本人離れしており、スレンダーな肢体を持つ女子生徒。


 姫神さんとは別の意味で有名だ。


 姫神さんが陽ならば黒城さんは陰。


 姫神さんが周囲を明るくさせるのならば黒城さんは周囲に緊張感を与える。


 姫神さんが王女ならば黒城さんは女帝になる。


 この学年のことを語るのならば、姫神さんだけでなく黒城さんも語らなければなら

ないという暗黙のルールもあった。


「ねえ、あんたは前に行ってくれない?」


「は、はいい……」


 黒城さんに命令された男子生徒は直立不動となり、すぐさま移動を開始する。


 先生がいる前で予め決めてあった席順を自らの一存で覆す。


 そんな真似ができるのは黒城さんの他に、姫神さんだけだろうな。


 姫神さんに可愛くお願いされたらほとんどの人は言うことを聞いてしまうだろう。


「これで席が空いたわね。さあ、時宮君、こちらに来なさい」


 僕はチラリと担任の顔を見る。


「……」


 しかし、担任はまるで何も聞いていないかのように無表情。


 ああ、これは黙認しているな。


 あの学年主任といい、今回の担任といい、事なかれ主義が多すぎる。


 僕は日本の教育界の行方を心配せずにいられなかった。


「これからよろしくお願いします」


 机に座った僕は簡単なあいさつを行う。


 何せクラスのボスだ、今回のことがなくとも挨拶はしておくべき人物だった。


「別に良いわよ。そんな畏まらなくて」


 黒城さんは気だるげに手を振る。


「いや、そんなことは--」


 できない。と、言おうとした矢先、黒城さんは声を潜めて。


「同じ学会員だもの、上下関係は作りたくないわ」


「っ」


 驚くべき事実を淡々と告げた。

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