第7話 体験談

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経--」


 家に帰った僕は制服姿のままご本尊の前に座って唱題を始める。


 考えるのは今日のこと。


 あの時、僕が出した答えは学年主任の提案を受け入れることだった。


 つまり僕の全教科ゼロ点は覆らず、クラスの移動もさせられたのに得られたのは内申点に響かせないという酷くあやふやな見返り。


 受け入れたことは正しかったのか。


 受け入れずに反発し、さらなる譲歩若しくは教育委員会に訴えても良かったのではないか。


 それは今まで何度も考えていた。


「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」


 しかし、こうして唱題をしていると、あそこで抵抗するのは良くないという思いが膨れ上がる。


 理由はいくつかある。


 一つ目は事を大きくして事なかれ主義である学年主任の不興を買う真似は得策でないこと。


 二つ目はカンニング行為を内申点に影響させない言質を取れたこと。


 そして三つ目は--


「あの担任と姫神さんから離れられるのは大きい」


 どう考えても倉敷先生は僕のことを目の敵にしそうなので居心地が悪い。


 そして、それ以上に心の中で慕っている姫神さんを見なくて良くなることだ。


 姫神さんでさえ僕がカンニングをしている目で見てきた。


 他の誰よりも、姫神さんにだけは疑われたくなかった。


「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」


 祈る、祈り続ける。


 気の済むまで、僕が出した答えが正しかったのだと確信が持てるまで一時間以上の時が必要だった。


「足がしびれた」


 正座は何とかならないものかと思う。


 正座を補助する正座椅子が欲しいと切に願う僕。


 そういえば駅の近くに金剛堂という仏具専門店があったような気がする。


 今から行けばまだ間に合う。


「善は急げだ、さっそく行こう」


 僕は制服姿のまま、家を飛び出した。



「ふむ、これで良いかな?」


 高さも丁度良く、値段のリーズナブルな正座椅子を選んだ僕はサービスで出されたコーヒーを啜る。


「学生さんですか、若いのに立派なことで」


 男性の店員さんは僕の制服姿を見て笑顔でそう言い、茶菓子を出してくれる。


 スラっと背筋が伸びた格好良い人というのが第一印象だ。


「まさか、僕は全然立派じゃありませんよ」


 本心からそう思う。


 学会の人がよく言う、世界平和のためだとか地域のためだとかそんな崇高な思いを僕は持っていない。


「ただ自分のため。僕が置かれてしまった最悪の環境から脱出するには、もう信心しかすがるものがなかったんですよ」


 本当にどうしようもなかった。


 あの時はどうやって周りを巻き込んで死ぬことしか考えていなかった。


 僕自身が痛感している、自分は聖人君子ではないと。


 ただの小心者で卑怯者なんだと分かっている。


「大丈夫ですよ」


 その店員は僕の対面の椅子に座り、力強く断言する。


「ご本尊を保ち、信心し始めた君がこれからどれだけ立派になることを考えれば、以前の君がどんな性格でどのような経緯を得てきたのかは些細なことなんです」


 嬉しそうに店員は自分の過去を語り始める。


 昔は学業が大嫌いで高校も入学したが一年も経たずに辞めてしまった。


 その後もアルバイトを転々とした日を送っていたが好きな人ができ、自分が父になることを知った時に今のままでは不味いと考えて親がやっていた信心を始めたと。


「そんな経験があったのですか? とてもそうとは見えないのですが」


 そんなささくれだった過去を送ってきたとは到底思えない。


「ええ、昔の私を知る人は全員驚きますよ。中でも傑作だったのは『生き別れの双子の弟か?』でしたね」


 ハッハッハと笑う店員さん。


「なので大丈夫です。本気で信心すれば絶対に変わります、何せ私自身がそれを証明しているのですから」


「……」


 卑怯者の僕はその店員さんの話を鵜呑みには出来ない。


 口から出まかせなのではと疑う自分がいる。


 けれど、頭ごなしに否定することは何故か出来なかった。


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