第36話 ログイン

 夜明奈心の隣の席に座っているクラスメイトで、出会ったのは高校になってからの、まだ日は浅い関係ではあるが、彼と話すととても楽しく、ジン絶滅推進部隊では見せないような笑顔を見せることができて、奈心が殺意を抱くことのない、自分自身を出せる場所になっていて……。

 心許せる相手で――、自分がついていてあげないとダメだと思ってしまうような、保護欲をかき立てられる彼で、そして……、少し気になる男の子だった。


 友達以上で――恋人未満の、


 彼だった。


 ジン絶滅推進部隊のことや自分がこうしてジンを殺していること、殺したいと願っていること――絶滅させたいと願っていることは、彼には隠していた。

 もしも知られたら、嫌われてしまうかもしれないから――。


 だから体中にできた傷も、夏でも冬でも厚着をして、隠していたというのに……。

 まさか、今この瞬間に、今までの努力が無駄になってしまうとは、思わなかった。


 もしかしたら。

 あの時の那由多の「ごめん」という言葉は、これを指していたのではないか――。


 だとしたら、やってくれた――。

 しかし、見つかってしまったのならば仕方がない。起きたことにぐちぐち言っていても結果は変わらないのだから、結果の後をどうにかしようと考えることに、意識を向けることができれば、奈心も苦労はしなかった。


 だが――奈心は頭を抱えて考えることをやめてしまった。


 ぐるぐると、悪い意味で思考が回る。


「……? な、ここ……?」

「いや、違、違うの、蒼――違くて、私は、私は、……あ、あ、……!」


 奈心を知っている者が今の奈心を見れば、誰にとっても、初めて見る奈心の姿だろう。いつもは冷静で心を乱すことがない彼女にとって、火西蒼という存在は、心を乱してしまう程に、彼女にとっては弱点なのだ。


「奈心、なんだよな!? お前、なんでこんなところに――危ねえから隠れてろって!」


「違う、の、私が、私が、――蒼、だめ、見ないで……こんな姿、見ないでよっ!」


「聞きたいことはたくさんある! でも、今はお前が落ち着くことが先決なんだ。

 取り乱すな、深呼吸――吸ってー、吐いてー、を繰り返せ!」


 蒼に言われた通りに、深呼吸をしてみたが、心臓の激しい鼓動が収まらず、さらに激しくなっている。ばれたという事実が、いつもとは違う蒼の表情が、事の重大さを、重さを、表しているようで……、冷静になど、なれるわけがなかった。


「だめ、全然、だめ……あ、あう――蒼、に見られて……蒼、お願い……」


 からん、と奈心の手にあった刀が落ちて、血の池に沈む。


 奈心の表情はくしゃくしゃに歪んでいて、瞳から大粒の涙が流れていた。


 そして奈心は必死に、出にくい声でも、大きな声で、不安を言葉にした。



「私のことを、嫌いにならないで……っ」


「っ――、なるわけねえだろ! ふざけんな! 

 お前は俺の気持ちも知らないで、勝手なこと言ってんじゃねえっ!」


 蒼の、奈心に対する心配が、怒りに変わった時だった――、


 駆け出そうとした蒼の足が止まる。


 奈心がいきなり、口から血を噴き出した。

 それをきっかけに体のあちこちからも、血が噴き出してくる。


 蒼が見る限り、攻撃をされているわけではない。

 突如、奈心が血を噴いただけで、もしかしたら体の内側からの攻撃なのかもと思ったが――、

 しかし、微妙に揺らぐ景色を見て、気づく。


 見えないだけ。


 敵は体を見えなくして――、奈心を攻撃していた?


「――奈心!」


 蒼は駆け寄り、奈心の、倒れてくる体を支えた。

 普段の奈心ならば、たとえ敵が透明だろうと関係なく気付いていた――、第六感が備わっているのだから当然である。

 だが分からなかった。それは蒼が目の前にいて、心に余裕がなかったから。


 そこを突かれた。しかし、タイミングが良過ぎるもの気になるところだ。


 もしかしたら――、

 敵は、ずっと、ずっと、このタイミングを待っていたのではないか。


「ひゃっほーうっ! 【オーバー・キル】の夜明奈心を討ち取ったぜーい!」


 そんな声が聞こえてくる――が、姿は見えない。

 だけど声は聞こえてくるのでこの場にいることは確実――。

 しかも、わりと近くに、だ。


 だから蒼は勘ではあるが、しかし当てずっぽうというわけではなく、分からないが、確信を持って、奈心を支える手とは別の手を伸ばして、掴む。


 空を掴めば――感触があった。

 相手の胸倉を掴んでいる感触。蒼は引っ張り、自分の顔に寄せて、


「姿を見せろ」


「――お、おいおい! 見せるわけねえだろう? 

 あと、お前がいま持ってるもんは本当に声の主なのかね――」


 相手の言葉が終わる前に、蒼は頭突きを喰らわせていた。


「があッ!?」という声が漏れたので、相手の言い分は否定されたことになる。

 手に持つ『こいつ』は、奈心を傷つけた奴である。


「いいから姿を見せろよ――これ以上はがまんができなさそうだ」

「わ、分かった分かった! 姿を見せるら離してくれって!」


 離すことに抵抗はあったが、相手は蒼が手を離す前に姿を見せてくれていたので、すぐに蒼は手を離した。


 相手は、灰色の、小人ちゃんと同じくらいの大きさで、背中には黒い小さな羽――、禿頭とくとうのてっぺんには、小さな角が一本生えている。

 小鬼にも見えたが、羽が黒いというところに注目すれば――、恐らくは【小悪魔】だろう。


 そして小悪魔は一人ではなかった――。

 さすがに小人ちゃん程の数はいなかったが、周りには五体の小悪魔がいる。

 ぱたぱたと羽を羽ばたかせ、蒼と奈心に敵意を向けてくる。


 攻撃の意思を感じ、蒼は奈心を力強く抱き寄せる――その時だ。

 ちらりと見た奈心の背中には、五本の、槍が突き刺さっていた。


「――くそ! これか! これで血が……ッ」


「無駄だぜ? それは抜けねえようになってるんだよ! 

 夜明奈心は終わりだ――これでオレ達にも平和がやってくるってもんだぜ!」


 蒼は槍を抜こうとしてみるが、やはり抜けない。

 無理やりやれば、抜けないこともないが、抜けば苦しむのは奈心である。

 それに、抜けばこれ以上、血が出てきてしまうかもしれない。


 出血多量で死ぬかもしれない――。

 最悪の事態を考えた蒼は、槍を抜くのをやめた。


 そして、声も出せない程に弱り切っているが、

 しかし瞳はずっと、力は弱いが、開いている奈心の頭を撫でながら。


 蒼は低い声で言う。


「……なんでこんなことをした?」


「ふん、なんでこんなことをした――だって? 

 んなもん、オレ達、ジンをそいつから守るためだろうが! もしかしてお前は知らねえのか? その女が、オレ達、ジンを狩ってるってことをよ! 

 言っておくが、この世界は弱肉強食だ――、

 別に、殺したからって責められるわけ、ないと思うがよぉ」


「ああ――そうだな」


 奈心のやっていたことは、きっと認めてはいけないものなのだろう。

 たとえ悪者だけを裁いていたのだとしても、しかしやっていることは殺しである。


 どれだけの理由を積んだところで、殺しは最底辺のおこないだ。

 比べたところでどんな悪行よりも悪行になってしまう。

 どれだけ、正義感からのおこないだとしても。

 殺した時点で、正義感とは対極になってしまう。


 奈心は、それだったのだろう――いや、まったく関係ない、ただのジンへの復讐なのかもしれないが。それは当然、本人しか分からない。だからこそ、あとでじっくり聞こうと思っている。


 たぶん――小悪魔たちのおこないは、ジンからすれば英雄と称されるようなことなのだろう。


 敵を倒した――それは人間だって同じくやっていることなのだから。


 でも、


 だけど、


 やっぱり――、


 怒りは、抑えられなかった。


「蒼……、好き、だったのに、……このまま、私、死んじゃうの……?」


 血を吐きながら、奈心が言う。


「色々なこと、したかった……したかった、のに……蒼、と、色々なこと――」


 震える体でそう言った。


「自業自得、かも、しれないけど……蒼――私は、ジンを倒す、ことに、後悔は、ないんだ……だって、私にとって、それが、それだけが、生きがいだったから……」


 冷たく――彼女は冷たく、なっていく。


「だから、蒼……もう、限界みたい……最後、だから言う、よ……出会った時、から……あの時、不安で、仕方がなかった私に、声を、かけてくれた、時から……大好き、です」


 愛しています――と。


 弱々しく伸ばされた彼女の手が、蒼の頬を軽く撫で――倒れていく。


 死ぬ。

 死んだ。


 手の中で――こうも近くで、人が死ぬ。


 目を開けない彼女を見つめて、蒼は。


 西は。


 ログイン・ラインが、静かに発動した。



 世界が揺らぐ。


 天を突き破るかのような大きな穴が出現し、そこから雷が落ちてくる。

 蒼の真後ろの空間に雷が着地し、そして衝撃――。

 その衝撃は小悪魔を全て吹き飛ばし、しかし蒼と奈心はその場に留まったまま――、

 

 まるで、そこにいろとでも言うかのような、現れた【彼】のいたずらによって吹き飛ばされることがなかった。現れた【彼】は、体は人間の大人と変わらないと言うのに、巨大な椅子に座り、肘を太ももにつけ、頬杖を突きながら、



「――俺を呼ぶとは、根性入ってるじゃねえか」



 基準世界に今――、【魔王】が召喚された。

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