第31話 ログイン・ドラゴン

 ストロベリー・ショックが動く――その手は、フェアに向かっていた。


 しまっ――と、

 口を開け声を最後まで出すよりも早く、途中でその声をかき消すように、蒼が叫んだ。


「やめろ! フェアは関係ねえだろうが!」


 駆け出そうとした蒼を、しかし阿楠が肩を掴んで止める。

 動きを阻害された蒼は振り向き、阿楠を睨みつけた。


「怒りを鎮めろ……蒼――それがあいつの目的なんだ」


「怒りを鎮めろ、だと? ……できるかよ、できると思ってんのかよ!」


 口ではそう言うが、蒼にとっても相手の思い通りになるのは嫌なのか、必死に、拳を握り締めて怒りを抑えていた。しかし、それは表面的なことで、精神的なところでは、ふつふつと、溶岩のように、音を立てているのだろう。

 結局のところ、内面的に怒りを抑えられていないのならば、意味はないのだが――ここは蒼を信じるしかない。


 ログイン・ラインが発動しないのを、祈るしかない。


「あ、ぐ、ああ……っ!」


 光る茨の締め付けが強くなり、フェアから声が漏れる。

 意識があるのかどうかは目を閉じている彼女を見ただけでは判断できなかったが――、

 しかし、そんなことは今、どうでもいいことだった。


 蒼はゆっくりと一歩、踏み出した。

 駆け出さないところを見ると、内面で戦っているのだろう――。

 感情と目的が、争っているのだろう。


 阿楠はもう止めはしなかった。

 さすがに、止めるべき立場である自分も、怒りが湧いてくる。


 蒼のログイン・ラインを発動させるために、仲間を傷つけ、怒りを生み出させ、感情の沸騰を起こさせる――。


 それが感情の高ぶりになり、ログイン・ラインの最大出力を叩き出すことができる。


 やり方としてはまあ近道だ――、関係ない人を巻き込むというところに目を瞑れば、近道で安価で、やりやすい方法である。

 阿楠でも思いつくだろう……だが、実際にやるとなると、話は変わってくる。


 関係ない人が巻き込まれ、酷く苦しむ姿を、見ていることなどできない。

 巻き込まれたのが妖精ならば――尚更だ。


 それは阿楠だけの条件かもしれないが――、

 怒りは、蒼と同じくらいに、上がっていた。


 だから、


 がまんの限界で――駆け出していた。


 蒼の感情が高ぶることでログイン・ラインは発動してしまう。フェアを救えないことで、救おうとすることで、感情が高ぶってしまうのならば、蒼ではない誰かがやればいいだけだ……。

 救えばいいだけだ。

 この場にいるのはストロベリー・ショックに、蒼に、阿楠……簡単なことだった。


 勝てるかどうかの思考を排除すれば、簡単なことで――自分が行けばいいのではないか。


「なんだ……そうだよ――俺が行けばいいんだ」

「阿楠……!?」


「大丈夫だ……自分の体を守ることに関して言えば、俺以上に適任はいないよ」


 蒼に聞こえるくらいの小声で言って、ストロベリー・ショックの目の前まで辿り着く。

 さっきまでの蒼とストロベリー・ショックの戦いを見たことで分かったことがあるが――、

 だがそれは蒼との戦いでしか使わないようなことだろう……が、使ってみる価値はある。


 阿楠は拳を振り上げ、ストロベリー・ショックへ向けて振るう――しかし、寸前で止めた。


 受け止める気満々だったストロベリー・ショックの手の寸前で、拳を止めた。


 ストロベリー・ショックは、さっきの蒼との戦いで――まあ彼にとっては弱者である蒼が攻撃してきているから当然の対処かもしれないが――最初から最後まで常に受け身の状態だった。


 自分からは攻撃せず、相手の攻撃を待って、受け止め、そこで初めて攻撃へ転じた。

 攻撃というにはあまりにも優しい、構ってくる犬を受け流すようなものだったが、それでも蒼がダメージを負っているのだから、本人がどう言おうがそれは攻撃である。


 攻撃をしなければなにもされることはない。阿楠はそれに頼った。拳を寸前で止めてから、体を低くし、受け止めようと掲げていたストロベリー・ショックの手を、目隠しの要領で使い、姿を眩ませる。おおよそで阿楠の動きが分かるとは言え、まさか、思わないだろう。


 そこから真横にいるフェアの元に行くなど、思わないだろう。


 ――いける!


 ストロベリー・ショックが反応したとしても、彼からの攻撃を受けたとしても、手は既に伸ばしてある――、フェアを保護することだけは、できるはずだ。


 一瞬が長く感じられる――あと少し、あと少しで。


 フェアの体に、触れることが――、



 ぐるりと。

 視界が回る。


 

 阿楠は気づけば、壁に叩きつけられていた。

 呼吸が止まり、肺の酸素が全て吐き出された。

 そして分かる――分かってしまう。


 失敗、した。


 あと少しのところで、手が引っ掛かりそうなところで、恐らくはストロベリー・ショックに蹴り飛ばされた。横っ腹から伝わる、金槌で打たれたような痛みから、そう推測する。


 痛みはやがて、声として発散しなければがまんできない程に、激しく。


「が、ぎあああああああああああああああああああああああああああああああッッ!?」


「小賢しいことを考える……まあ結果、体力はあまり使わず、こうして一人を撃破できたんだ――小賢しい策に乾杯、と言ったところか?」


「阿楠……」


 蒼は――阿楠を見つめ、そしてフェアを見た。


「仲間が一人やられ、そして二人目だ――この子の悲鳴は、良い音だ」

「やめろ……」


「――聞こえねえぞ、人間」

「やめろつってんだろッ!」


 叫ぶ蒼は、一歩、一歩と、がまんできずに、踏み出して行く。


 力強く踏み出される足は、地面を叩く。

 蓄えられた力が放出の時を、今か今かと待っている。


「いいじゃないか――そういう表情を待っていた」


 ストロベリー・ショックが、手をゆっくりと握り締めていく。

 それに合わせて、光る茨も、フェアの体を締め付けていく。


 ぎぎぎ、という音がフェアの悲鳴をかき消していた。

 体の形が変わってしまう程、フェアの体は小さく、絞られていく――。

 死を体験してもおかしくない、境界線を越えた拷問だった。


「あ、あっ……ッ!」


 かろうじて聞こえる、フェアの声。

 意識はあるらしく、目も開けていた。


 蒼と、そしてフェアの目が合って――そして、もしもの話。

 ログイン・ラインが発動したきっかけがどこなのかと聞かれたら、間違いなくここだと誰もが言うだろう。この時の一言が、善意で言ったフェアの一言が、蒼の心を傾けた。

 思惑とは違う方向に、最悪の方向に。


 最悪の一歩手前の、その結果に繋がった。


「蒼、もういいよ――もう、無理しないで……。私なんかのために、怪我、しないで」


 目が合ってからすぐのセリフだったからこそ、

 言葉と同時に流れたフェアの涙が、蒼には見えてしまった。


 無理してるのは――フェアだろ。


 助けて欲しいって、言いたいんだろ。


 じゃあ頼れよ――俺に。

 俺に、助けてって――そう言えよっっ!!


 蒼の感情が高ぶったのは、フェアが傷つけられた、というのが大きな範囲を占めているが、しかし発動の引き金を引いたのは、結果的に、フェアの自己犠牲の精神だったのかもしれない。


 助けてと言ってくれなかった、すがってくれなかった、頼ってくれなかった――、

 そんなフェアの自己犠牲の気持ちが、蒼にとっては最大の怒りの種となっていた。


 無言で。

 蒼は――その力を解放した。 


 無意識に。

 ログイン・ライン、その力を――。


 そして天に現れたのは、魔王――ではなく。


 金色こんじき四翼しよくのドラゴン――【パンドラライズ】。


 天から舞い降り、高層ビルの屋上に着地したそのドラゴンは、雄叫びを上げる。


 ジンも人間も関係なく、その雄叫びに反応し、真上を見上げる。

 人間からすれば新たな乱入者にいつも通りの嫌な顔をして、

 ジンからすれば異端世界での恐怖を思い出し、逃げ出す者もいた。


 誰も立ち向かうことはせず、誰も迎え入れることもせず――、

 たった一人、異世界へ召喚されたドラゴンは訳も分からず、しかし、本能の赴くままに、



 

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