第30話 ジンと階級

「うごける? シクラメント――」


 夏理は香奈美を真後ろに、流すようにして倒れさせ、自分が前に出る――、

 バード・トッピングと、向き合った。


「動けるけど――そうなると怪我を塞ぐことに集中すること、できなくなるわよ?」

「かまわない」


 夏理は言い切った。

 その言葉の覚悟を受け取ったシクラメントは、動き出す――。

 すると夏理の体の内側に隠れていた水滴と外側の水滴が集まっていき、丸い塊となった。

 塊は形を変えて、やがて人の形になり、シクラメントが出現する。


 同時――夏理の服が、血で滲んでいく。

 つー、と血が、滲むだけで終わらず、垂れてくる。

 真後ろからそれを見ていた香奈美は、必死で叫んでいた。


「だめ! 夏理、血が、血が出て――わたしが治すから無理しないで!」

「だいじょうぶ。こんなけがは、けがのうちに、はいらないから」


 そんなセリフも怪我のせいか、力がなかった。

 声は小さく、今にも倒れてしまいそうな夏理の様子が分かってしまう。


 すると、ぱちぱちぱち、という高い音が響く。それは拍手の音だった。

 目の前のバード・トッピングが、拍手をしている音だった。


「すごいじゃん――まだ小さくて若いのに、人魚なんて手懐けてるなんて」

「……余裕があるのね――鳥人さん」


「そうね――余裕はあるわよ? だって人魚よ? 

 美しいことしか取り柄のない、戦闘に関して言えば中の下にすら位置できない存在じゃ――」


 バード・トッピングの言葉の最中だったが、シクラメントは既に攻撃を開始していた。

 ぐるんっ、と。

 出現させ、伸ばした水の道の上を泳ぐように滑って、バード・トッピングの真後ろに回り込んだシクラメント――、手に持つ水滴を飛ばし、弾丸のような威力の水飛沫を浴びさせようとしたが、その前に、バード・トッピングは飛び上がっていた。


 回避――していた。


「だから言ってるじゃない。戦闘に関して言えば中の下だって。

 鳥人に敵うわけないことは知ってるはずだけど――もしかして、基準世界に来て感覚でも鈍ったのかしら? それか、仲間と一緒にいれば強くなれる、とでも? ――笑わせないでよ」


 バード・トッピングの目が細くなる――、見下した目がシクラメントを突き刺した。


「見ていると不愉快――同じジンだということが、恥ずかしくなってくるわ」


 バード・トッピングの苛立ちに呼応するように、彼女が巻き起こす風が段々と強くなってくる――体にぶつかることで、打撃のような効果を持つ程に、風に強さが生まれてくる。


 シクラメントは水なので、しかも幽霊なので効果はまったくないが――、夏理と香奈美はまったくの別である。その風を、体にまともに喰らってしまい、どんっ、という鈍い音と共に二人が背中から倒れてしまう。


「あ、……! が、ぐ――」

「二人共!」


「心配している場合――ではないはずなんだけど……ねえ?」


 声は、近く――夏理と香奈美の心配をして、バード・トッピングに背中を向けてしまっていたシクラメントはそこで、振り返った。

 振り返って初めて気づく。

 顔と顔が触れ合ってしまうくらいには、近づかれていたことを――、

 それに勘付くことさえもできていなかったという自分の戦闘能力の低さを。


「水だから、幽霊だから――そういう相手に攻撃できる術を、鳥人は持っている」


 なんてったって『あれ』の下位だからね――と言葉を残し、バード・トッピングはこの、必要なかったのではないかと思ってしまうような戦いに、終止符を打つために。

 最後の一撃を繰り出す。


 しかし、攻撃を出すための行動を最後までおこなうことはできなかった――。

 横からの蹴り、それが彼女の肩を押し、真横に吹き飛ばした。

 バード・トッピングは壁にめり込みながら、瓦礫をはたき落とし、蹴りを入れてきた乱入者を見つめる。


 現れた彼は――サングラスを放り投げて言う。


「あん? よく見たら美人じゃねえか……。

 なんだよもったいねえ――これ、ぶっ飛ばさなくちゃいけねえのか」



「誰よ……このガキ……ッ!」


「あーあー、……これ、名乗るべきか? まあいい――え、と、一応【天使】だが、というよりは羽を千切られた堕天使だな。人間としては登張天戯――ジン……、天使としては【サザンランマ】――つうわけでお姉さん、天使の下位互換でしかねえ鳥人のお姉さんよお……さっさと去ってくれねえかな。あんたもわざわざ負ける勝負を受けようとは思わねえだろ?」


「天使……堕天使……? あっははっ、追放された天使でなき天使――か。

 知ってる? 堕天使は鳥人よりも堕ちるのよ? つまり、あなたはあたしよりも下になるの」


「階級にこだわるなんて小せえ女だな」


 最初に階級云々を持ち出したのは天戯だと思うのだが――、シクラメントも夏理も香奈美も、助けられた側が指摘することはなかった。

 なんにせよ、こうして意図していても、していなくとも、助けてくれたことは嬉しかった。


 自分達だけではきっと、どうしようもできなかった――やられて、お終いだった。


 だから――、


「んじゃま――いっちょ助けてやるよお前ら。

 それがオレの、任された役目だからな」


 その力強い声に、涙が出そうになった。


 ―― ――


「フェアを――離しやがれ!」


 蒼はうつ伏せで倒れていた状態から、両の手の平を地面に叩きつけ、立ち上がり、

 さっきと同じく拳を、ストロベリー・ショックの顔面へ向けた放った――が、


 繰り返されるのはさっきと同じ光景。

 ストロベリー・ショックが蒼の拳を受け止め、

 まるでドアノブを回すかのような軽さで、蒼を半回転させ、地面に叩きつける。


 ストロベリー・ショックの手にフェアはいない――、彼女は光るいばらに体を縛り付けられたまま、ストロベリー・ショックの真横で、ふわふわと浮いていた。

 つまり、ストロベリー・ショックの両手は開いている。


 片手で、蒼の相手をできているのだ。

 ここに阿楠が混ざったとしても、同じように受け流されるだけだろう。


 だから阿楠は見ているだけだった――。

 今、なによりもやるべきは、蒼を落ち着かせることだろう。


 ログイン・ラインの力を知っていて、

 世界神殿の目的を知っている阿楠は、全てが見えている――、

 だからこそこの状況、蒼の感情が高ぶっていることに、まずい状況だと気づいていた。


 手遅れかもしれない――ということも。


 実際、もっと前に止めることはできたはずだ……。奈心を使うことで世界神殿を潰すことも、蒼に奈心を近づけ、守らせることも、ジン絶滅推進部隊に潜り込んでいる阿楠なら容易にできていたことである。

 しかし人間が嫌いとは言え、同じ種である……まだまだ、奈心がジンに向けている感情ほど、徹底できているわけではない。


 奈心に気を遣って――できるだけ策を考えていたら、まさか、手遅れになるとは。


 予想外だ――ここで鬼人、ストロベリー・ショックが出てくることもまた――、


 予定外だった。


「どうした? 私はまだ鬼術ですら使っていないが……」


 鬼人、ストロベリー・ショックの本領は【鬼術きじゅつ】である。

 天使が使う【天術てんじゅつ】と並ぶ術であり、

 天術を【間接型】、鬼術を【直接型】、と、それぞれが分類されている。


 天術は使用者以外を対象にする術が多い――、鬼術は自分を対象にする術が多く設定されている。もちろん、天術にも自分を対象にする術はあるし、鬼術にも、自分以外を対象とする術があり、きっぱりとこれはこれ、と分けられているわけではない――が、圧倒的に数は少ないのだ。


 タイプに合わない、と言うべきか――使用する頻度が少ないからという理由もある。


 天術は、大げさな言い方をすれば、世界を自分の都合の良いように捻じ曲げる――というものだ。それに比べれば、言い方に評価をつけてしまうとしょぼく見えてしまうが、鬼術とは、ステータスの底上げ――肉体の【強化術】、となる。


 世界よりも自分を上位にいかせるような――世界を越える術、と言えば、

 まあ言い方では天術と拮抗することはできているのではないか――。


 ともかく、


 奥の手ではなく、スタンダードとして鬼術を使うストロベリー・ショックに、鬼術を使ってない今、まったく相手にならないというのは、一パーセントの勝てる可能性ですら、掘り起こすことができていない。


 蒼だって分かっているだろう――いや、鬼術がなんなのか分かっていないのならば、これから先の、もう一段階上のストロベリー・ショックの予想ができていないのならば、蒼は分かっていないかもしれない。


 だからこそ――向かって行けるのだろう。

 フェアを助けるために――我武者羅に。


 何度、倒されても――何度も立ち上がり。

 拳を握り、振るっても受け止められて、倒されても。


 負け続けていても、しかし踏み出さずに傍観を決め込む阿楠よりは、全然マシだ。


 知るからこそ止まってしまう足があるように、知らないからこそ進める足もある。


 阿楠と蒼は――、

 ここで決定的に分かれている。


 阿楠は知っているのだ――、ストロベリー・ショックに勝てるわけがない。

 フェアだって助けることはできないかもしれない。だったら……、と冷静に考えて、最悪の状況――、世界神殿の目的達成という最悪の事態だけは避けようと、阿楠は動く。

 やることは最初から決まっていた――分かっていたのだから、すぐにやるべきだった。


 どんどんとヒートアップしていく蒼を、落ち着かせることを。


「蒼」


 阿楠は倒れた蒼の肩に手をぽんっ、と置き、彼を振り向かせる。


「はあ、はあ……くそ! あいつ、強ぇ……! 

 特別なことをなに一つしていない――だからこそ、突く隙がねえっ」


「特別なことをされても、同じように突く隙なんてないだろうに……」


「でもゼロじゃない。ゼロじゃない、一未満だけど、可能性はあるんだよ……。

 でも今のあいつは、完全にゼロだ。俺の喧嘩技術じゃ、どうにもできねえ……ッ」


「だろうねえ」


 ストロベリー・ショックの方を、蒼に視線を向けながら、ちらりと見る――確かに、隙がない。どんな策でも見破られる気配がする……。こういう第六感が働くところは、本当の意味で入ってなくとも、ジン絶滅推進部隊の一員なんだな、と感じる。


 とにかく、今はストロベリー・ショックを倒すことはでなく――、やるべきことはフェアの救出だ。蒼が持つログイン・ラインが発動しなければ、こちらの勝ちだ、と蒼に伝えても、蒼は結局、フェアが戻ってこないことに、勝ちだとは言わないだろう。

 阿楠には、『フェアがいない場合でも、勝ちだ』、と蒼に認められる自信はない。


 それに――阿楠はジンの味方だ。


 ――妖精は、助けたい。


 それは蒼と同意見なのだ。


 回転の速い阿楠の頭で、本格的にどうするか策を練ろうとした時、



「――もういいか? そろそろ、目的を達成したいのでな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る