第26話 同級生 その1
「今、なにか感知したみたいだが……、私達にとって良いことが起こっているとは思えないな」
「……そうね、確かに、良いことではないみたいよ――」
パソコンの画面を見ながら那由多が言う――、
彼女の後ろにはストロベリー・ショックが真っ直ぐに、姿勢良く立っていた。位置の関係上、身長の関係上、ストロベリー・ショックから那由多の前のパソコンは丸見えだった。
たとえ見えなくとも音で気づいてしまうのだから回避のしようはなかったが――、気付かれたことに心の中で舌打ちをしながら、那由多は仕方なく、しかしできる限り時間をかけて、感知した事態の箱を開けていく。
「情報を盗み見られている、みたいね――。
現在進行形で、たぶん、ターゲットの居場所もこのままじゃ知られてしまうと思うわ……」
「なら――ガセネタを掴ませろ。こうして覗いたのならば、示された情報を疑うことはないだろう――、騙されてくれれば誘き寄せることができる、こちらにとっては有効打だ」
「そんなこと――」
「できないとは言わせないぞ? それくらいならできる、そういう情報を私だって持っている――人質を忘れるな。どう足掻いたところで従うだけがお前の道だ」
「……ええ、そうね」
歯を砕くような力を顎に入れて、悔しさを噛みしめる。
だんだんと相手を追い詰めていくこの作業は、罪悪感を刺激していくのと同時、どうして抵抗しないのか、という自己への疑いを強めていく。
人質がいるのは当然、分かっているが、それでも小さな、勘付かれない程度の抵抗だってできたはずだ――、しようと思えば、考えれば、思いついたはずだ。
実際に行動するかどうかは置いておいても、思考の中にはあるはずなのに――なぜ、自分は。
こうも、素直に従っている?
染まっているのではないか?
――世界神殿に、ジンに。
「……偽りの情報を挟み込んでおいたわ――これで相手は勘違いするはずよ……。
ここにターゲットの子がいると、勘違いするはずよ」
「ご苦労……あとは、ターゲットを連れたイコールが戻ってくるのを待つだけだな……さて、私は少し、席をはずそう――のんびりと、待っていることにする。
那由多……、ターゲットが手に入ったと連絡がきたら、すぐに私に知らせろ。
私が回収してこよう」
「分かったわ……分かったからさっさと出て行ってくれるかしら? 後ろに立たれていると集中できないから――技術面での不安を失くしたいなら、すぐに出て行きなさい」
「別にいいじゃないか。別に、怪しいサイトを見ているわけでもあるまいし」
「そんなのパソコンで見ないわよ――見るならタブレットね」
「見ること自体に否定はしないのか……まあ、いい。望み通りに出て行ってやろう」
ばたん、と扉が閉まり、気配が消えた。出た振りをして実は部屋の中にいるということを一回くらいはやってきそうなものだったが、しかしどうやら本当に出て行ったようで、部屋には那由多、彼女一人だけだった。
最後の会話……、刺々しさが消えた会話があったが、第三者が見ていたとすれば、まるで父親と娘のような思春期の会話のように見えたが、当事者の那由多には分かる――。
会話に隠れた真意が分かってしまう。
それはプレッシャーであり、
気配で、言葉に出さなくともストロベリー・ショックは、那由多に釘を刺したのだ。
「余計なことはせずに、黙って従っていろ――か」
言われなくても従うつもりである――、というよりは、余計なことをしようにも、策もなにもないのだ。抵抗しようにもなにもない。きっかけがあれば策がなくとも、考えがなくとも動き出すことはできそうなものだが、そもそもで、きっかけすらもない。
部屋の中で、パソコンの前に座っているだけ――。
画面に映る彼ら、彼女たちの監視をするだけ……。
きっかけなんて、そうそう生まれないだろう。
なにか――本当に小さな、些細なことでいい……背中を、押してほしい。
そうすれば、那由多はきっと走ることができる――思うままに、逆襲を。
彼女のターンを、始めることができる――。
「――へ? ……ひっ!」
と那由多が小さく悲鳴を上げた。
足に、なにか触れた――そういう感触がした。
下を見てみれば、パソコンが置いてあるテーブルの下にある漆黒の地面から、手が飛び出し、那由多の足を掴んでいた。
初めての体験ならば慌てもするが、だがイコール・マグナムという存在を以前から知っている那由多は、悲鳴を上げても本気で驚くことはしなかった。
落ち着き、慌てることなく、
「なによ? ――いきなり」
と声をかけてから、「――ん?」と気づく。
足を掴む飛び出してきた手には、白い紙が挟み込まれていた。
イコール・マグナムからの手紙だとは思う……、発声機能があるのかどうか解明されていない『不明』な彼は、自分の意思を示すために、文字を書いている。
一方的な彼へ向けての命令はよく見るが、こうして彼からの意思を伝えられるのは、珍しい――自分に向けては、初めてかもしれなかった。
紙を抜き取ると、手は、影の中に沈み込んでいく。それを見送ってから、紙を開いた。
内容を見た那由多は、呼吸をすることを忘れていた。
「……っ、どうして、そんなことを私に……っ!」
疑問はあった――、
なにか意図があるのではないかとイコール・マグナムを疑った。
しかし文面から察するに、ストロベリー・ショックには伝わってないらしい――となると、これはもしかしたら、いやもしかしなくとも、チャンスなのではないか……。
手の平を返す――チャンスなのではないか。
いや、人質がいる以上、手の平を返すことをそう簡単に決めていいものではないが――しかし、イコール・マグナム、彼に、背中を押されてしまった。
押されて、踏みとどまれる程に支えが強くない那由多は、自然と止めてしまっていた呼吸を自覚し、再び息を整え始めた頃には、もう既に、走り出していた。
ストロベリー・ショックに見つからないように、駆けながらも、慎重に。
彼は言っていた――ターゲットを捕まえた、と。
加えて保護してほしいと、彼は那由多にそう言ってきたのだ。
「……そこで待ってなさいよ、イコール。絶対に、迎えに行くから……!」
―― ――
そして、数十分かけて彼が待つと示していた場所に辿り着いた――、はあはあ、と息を荒くしながらイコールを探す那由多は、彼を見つけ、同時に彼女も見つける。
夜明奈心を見つけ――彼女の足元に転がる、物体、液体……、どっちとも言えない変化途中の物体も見つける。目の前に広がる『黒』……、黒の池のような水溜りを確認してから、自分の足が震えていることに気が付いた。
自分の足が、震えている――自重を支えられずに、今にも崩れそうだった。
「あ、……あ……、」
「ん? あれ、誰かと思えば、良識じゃないの――珍しいわね。
パソコンとにらめっこしているのが日常的なあなたが、まさか外に出てくるなんてね」
いつも通りの、高校での会話のようなテンションで話しかけてくる同級生の言葉に返答しようとしたが、それどころではない光景が目の前に広がっているために、那由多はどっちを優先していいか、まともな判断ができていなかった。
広がる黒の液体はまるで人間で言う血のように――池のように溜まるその黒の血は、誰かのものかは、言うまでもなく分かっている。
物体も、ばらばらにされている物体も、辺りに散らばっている物体も、一体誰のものなのか、答え合わせをせずとも分かっている。
――イコール・マグナム。
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