第14話 先輩と後輩

「――う、ううん? ――って、なん、だよ。手すりかと思ったら、夏理かよ……」


「なつりかよ、ってなんですか……、このじょうきょう、てすりよりもわたしのほうがやくにたてるとおもうんですけど……」


「文句を言う助っ人と文句を言わない助っ人なら、そりゃ後者を選ぶだろうが」


「そうですか、じゃあいいです。

 てすりをもとめて、いまいじょうのききてきじょうきょうにおちいればいいです。

 で、『あのとき、なつりにたすけをもとめればよかった』と、

 こうかいすればいいです――ふんっ!」


「すいません俺が偉そうでした! だから見捨てないでお願いだから!」


 後輩に敬語を使う先輩を見て、夏理は見下すような表情をし、冷たい視線を向ける。


 このまま立ち去ろうとしたが、しかし足首を掴まれている。物理的に逃げることができないし、それに、もう逃げることはできないと、経験則で分かってしまうのだ。

 分かってしまうからこそ、今までの経験でこの先どんな展開が待っているのか、分かってしまうからこそ、夏理はさらにうんざりする。


「って、え――火西先輩!?」


 すると、ガードレールの向こう側にいた香奈美も蒼に気づいたらしく、ガードレールから上半身を乗り出していた。そのまま体を乗り出し続ければ、恐らくこちら側に落下してきそうな勢いだったが、それを指摘、注意する間もなく、結果は予想通りだ――、

 香奈美の体が、ガードレールの向こう側へ、完全に飛び出してきた。


『――は?』


 夏理と蒼の声が重なった。

 そして、

「きゃあああああああああああああああ!?」という、悲鳴を上げたいのはこっちだと思ってしまうような香奈美の悲鳴が、この場を支配し、落下し、三人で仲良く川へ着水した。


「――ちょ、ちょっと! どうしていきなりおちてくるの!?」


「あははは、……ごめん」


「お前らは、変わらねえなあ……」


『先輩もね!』


 ずばっと斬るかのような二人の後輩の言葉に、蒼は少し後じさった。


 とりあえず、このまま川にいても仕方ない――、夏とは言え、このまま水に浸っていれば、風邪を引いてしまうかもしれない。三人は川から出て、陸に上がる。

 ガードレールを越えて、道路に辿り着く――びちゃびちゃの服が不快だった。


「せっかくシャワーにはいったのに……かなみのばか」

「ごめんって、夏理……」


 しゅん、と落ち込む香奈美の頭に、ぽんと手が置かれる――それは蒼の手だった。


「まあ、いいじゃん、夏理。一人だけびちゃびちゃならそりゃ怒るのも分かるけどさ、三人一緒にびちゃびちゃなんだから、仲間がいるみたいで許せる気になるだろ?」


「せんぱいはだまってください。わたしたちのなかに、はいってこないでください」

「ほんとに変わってない! 俺のことを先輩だと思ってないでしょお前!」


「……蒼って、どこに行ってもこんな扱いですよね……」


 ぼそりと声が聞こえたきた。

 夏理がそれに反応し、声の主……、

 蒼の肩からちょこんと顔を出す小さな少女に、声をかける。


「あ、フェアちゃん――ひさしぶり」


「あ、はい――夏理、お久しぶりです」


 と、微笑みながらフェアが言う。

 彼女はそれから、蒼から離れ、羽ばたきながら、そして夏理の肩に移動し、着地した。

 ぽんぽん、と、こうやって肩に乗っかってくるフェアが懐かしくて、夏理は無意識にフェアの頭を撫でていた。


「な、夏理……くすぐったいです……」

「あ、ごめん……つい」


「あー! 夏理だけずーるーいー! 

 わたしだってフェアちゃんとそうやって触れ合いたいのにー!」


「香奈美は順番待ちしてください! 

 ……まったく、ほんとにもう――でも、あの頃みたいで、懐かしいですね」


「なつかしい……フェアちゃん、ぜんぜんあいにきてくれないから――」


「あはは、ほんとは会いたかったんですよ? お話もしたかったですし。

 でも、ずっと蒼と一緒にいますからね……いなくてはいけませんからね……。

 蒼が会いに行こうとしない限りは、会えないんですよ――ねえ、蒼……? じー」


 じー、とわざわざ口でフェアが言う。

 それにつられて、同じように、夏理と香奈美も目線と言葉で、じー、と蒼に訴える。


 ……蒼はその視線から逃れようと顔を逸らしていたが、しかし三人の視線から逃れるのはさすがに無理だったらしく……精神的に堪えられなかったらしく――、

 うがあ! と頭をかきながら、三人の方を振り向く。


 蒼の身になれば嫌でも分かるが――プレッシャーが半端ない。


 特に夏理……彼女のじー、には、優しさが存在していない。


「わ、分かった――分かったからその視線をやめろ! つーか、卒業してんだから中学なんて行かねえだろ。夏理と香奈美の家を知ってるわけでもねえし。

 それに、家を訪ねるような仲でもないしな……、

 唯一、会える場所の中学に行かなくなったんだから、仕方のねえことだろ」


「しかたないでかたづけないで。あおうとおもえばどりょくはできたはず」


「そうですよ。それとも――、

 わたし達に会いたくないのは、フェアちゃんを独占したかったからですか?」


「――蒼……ど、独占だなんて……心配しなくても私はずっと傍にいますよ?」


「おお……! 確かに懐かしい! この感じ……、人の話を聞かずに想像で話を進めて俺の意思を完全無視するこの感じ! 確かに懐かしい! 

 まるであの時みたいだな、だからこそ――こんなんやってられるかッ!」


 長く尺を取ってから、蒼がそう叫ぶ。

 彼の言う通りに、こういう会話は懐かしかった。特に女子三人で協力しながら蒼を弄ぶこの感覚は懐かしかった。夏理はこのまま続けたいと本心では思っていた――、このまま、あの時の、中学時代の再現を続けていたいと思っていたが、しかしそうも言っていられない。


「まあ――それはさておき」


「さておいちゃうの!?」


 蒼の指摘もまとめてさておき――、それから全員に目を向けてみると、蒼とフェアは分かるが、香奈美までもが不思議な顔をしていた。

 まるで、ここで会話を切ったことに、納得がいっていないような表情だった。


 目線で考えを伝えようとしてみるが、

 香奈美は首を傾げて分かりやすく「?」を表現していた。

 はあ、と溜息を吐き――それから夏理が蒼とフェアに聞く。


 最初にまず聞くべきだった――疑問に思うべきだった。

 これからの展開の大体を予想しているからこそ、どれくらいの規模なのかを理解するために、きっかけを知るべきだったのだ。


 香奈美にはそういう思考はないのだろう。

 楽観的なのか、単純に疎いのか、分からないが……ともかく。


 夏理と香奈美は知るべきだ。


 なぜ――蒼とフェアは、川を流れていたのかを。


「あー、うん。今更だけど――巻き込んで悪いな、お前ら」


「それはもうあきらめてる。ジンがかんけいしていても、していなくても、わたしたちもじえいはできるから、しんぱいしなくてもいいけど……」


「そうだな――昔みたいに守られてばっかじゃねえもんな」


「……べつに、まもられてばっかじゃなかったし……!」


「まあ、自立くらいはしてもらわなくちゃ困るってな。

 頼られたって、俺にもできることとできねえことがあんだよ――。

 今となってはもう、お前らの問題に首を突っ込むことはできねえわけだしな」


「そういうわりに、じぶんのもんだいには、わたしたちをまきこむんだね」


「わざとじゃねえもん。どちらかと言えば、川に乗って流れてきた俺を見つけたお前が、自ら俺の問題に首を突っ込んできたと言えるだろ?」


「……じゃあ、ここでてをひくことも、わたしにはできるってことなのね」


「できるかな……? 

 中学時代、何回も助けてやった先輩をここで見捨てることがお前にできるのかな……? 

 今はあれだろ、お前、生徒会長になったんだろ? だったら、卒業生くらい守るべきだろ」


「はんろんするきはないけど、なんだろう、なぜ、こんなにもえらそうなんだろう……」


 たとえ先輩であろうと、命の恩人だろうと、この先輩――、

 火西蒼だけは見捨ててもいいのではないか、と本気で考えていた夏理だった。


「蒼……」


「――いや冗談だから! だからそんな目で見るなっての! 

 ――はあ、じゃあ、言うけどよ、逃げるならすぐに逃げていいからな……別に、助けてくれ、と俺が頼んだわけじゃねえし――。

 だから最低限の、俺がいま巻き込まれている事態の説明くらいはしておくよ。

 でも、なんだかんだで、分かってんだろ? いつも通りだよ――ジンに、狙われてる。

 さっきまで空から追われてたんだ……敵、あいつは、鳥人、か」


 鳥人……、と、夏理と香奈美は呟きながら真上を見上げる――空を見る。

 ジンの特性や特徴を、職業柄、頭に叩き込んでいる二人の動きと判断は早く、的確だった。


 相手が鳥人だというのならば、わざわざ、地上を歩くことはしないだろう。

 奇をてらうのならば可能性もなくはないが――、ジンがそんな小細工するとは思えない。


 小細工とは、弱い立場――、つまり人間側がするものであって、強者であるジンが使うとは思えない。力でねじ伏せる。相手にばれていることであっても、効率を重視し、自分の力に頼り切り……、鳥人ならば、空を飛んでいるはず。

 だからこそ、二人は注意深く、空を観察していた。


 雲一つない青空。

 隠れる場所はないはずだが、鳥人の姿はなかった。

 ということは、蒼は無事に鳥人から逃げ切れた、ということになるのだろうか――。

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