第9話 決着?

 全てが嫌に、スローに見えた――。


 目の前に見えた不気味な存在は、覚えのある真っ黒な腕から推測すれば、不明人になるだろう――フェアと不明人の手の距離は、一メートルもなく、もう五十センチもない。

 あと少し、ほんの少しで、フェアは掴まれてしまう。


 しかし――なぜ、フェアなのか。


 今まで蒼ばかりを狙っていたというのに――、今更、フェアを狙う意味が分からなかった。


 だが思い返してみれば、フェアは飛んでいて、影はできるが、限りなく小さくなるだろう。

 それに比べれば、蒼の影は大きく、不明人でも通り抜けられる程度のものである。ならば、フェアを狙おうとすれば必然、蒼を狙う、ように見えてしまうだろう。

 さっきの、手を伸ばしてきた、攻撃のような、攻撃の意思がなかった行動は、実は、蒼の頭を狙っていたのではなく、フェアのことを狙っていたのだとしたら――納得はする。


 納得はするが――やはり、理由は分からなかった。


 フェアよりも、蒼の方が恨みを多く持たれてしまうだろう――、可能性としての話を言えばだが、蒼の方が高いと言える。逆に、フェアには、恨まれる要素などは存在しない――そう言い切ってしまえる程に、フェアにマイナスのイメージがないのだ。


 だったら考えられることは一つ。

 蒼を狙う、襲う過程で、フェアが狙われた。


 蒼のせいで、フェアまで巻き込まれてしまっているという事実が、蒼の意識を変える。


「さ――っせるかよおッ!」


 あと、二十センチもなかった――、

 フェア自身はまったく気づいていない、彼女と不明人の手との距離……。

 蒼は手を伸ばし、不明人よりも早く、フェアを掴んで引き寄せる。


「きゃ――きゃあっ!?」

 というフェアの驚きの声にリアクションをしている余裕もなく、

 蒼はその後、すぐに地面を転がり、追撃を回避しようとする。


 結果――追撃はこなかったわけだが……、

 目標を奪われた不明人は、その場で立ったまま、無言で蒼を睨みつけてくる。


 睨みつけていると言っていいものか、目がどこにあるのか、そもそも、目は存在しているのか、説明するのがここまで難しい外見をしているジンと出会ったのは、初めてだった。

 だから蒼でも戸惑ってしまう。

 不明過ぎて、今までの経験がまったく活かせなかった。


 だが、不明人を倒すまでのビジョンは今、浮かんだ。


 出口が影ならば――原点に戻れば良かっただけなのだ。


 危機的状況に陥ったからこそ、気づけた、その勝ち手。


 勝ちを掴み取るためには、まず、

 この影に支配されている路地から出なければいけないのだが――。


「……ありがとうございます、蒼……」


 蒼の胸と手の平に挟まれていたフェアが、そう言ってから、飛び立った。

 蒼の前で止まり、その小さな体を、まるで蒼を守る盾のように表現している。


 まさか打つ手が無さ過ぎて、もう諦めてしまったのかと思ったが……、しかしフェアも、蒼と同じことを思いついていたらしい。

 だからこそ、前に出て、こうして、一瞬の時間を稼ごうとしていたのだ。


「……一瞬も保てないかもしれません――それでも、構いませんか?」

「充分だ」


 フェアと蒼が目と口でそう確認し合ってから――。


 フェアが動く。



 羽が激しく振動し、そして、小規模な台風が発生した。



 台風は不明人を狙って放たれたものだったが、

 だが、別に不明人だけを狙ったものではなかった――正確には、ここ一帯。


 一瞬でいい……、満足な隙を作りたかっただけで、目的はたったの一つ。

 風が巻き起こったと同時、蒼がフェアを掴み取り、

 そして、そのままこの狭い路地から出ることができれば、それでいい。


 そして、その企みは結果、成功を収めることができたが、

 だがそれも一瞬で終わってしまったら、洒落にもならず、笑えない。


 肝心の不明人は両手を使って顔を防いでいる――ということは、どうやら顔は存在していたらしい。相手に防御体勢を取らせることができたのは、大きく前進だった。


 狭い路地は行き止まりがある構造ではないので、出口は二つ存在している――、

 わざわざ道を塞いでいる不明人がいる側の出口を使うこともないので、すぐに判断した蒼は、真後ろへ駆けた。そして――駆け抜けた。


 路地を出る――ここは、人が多い歩道だ。


 影は少ないが、しかし、大きな建物の下は、池のように影が存在している。

 そこを避けて通るとなると、目的の場所に行くまでは、大回りになってしまう。

 が――影の中に入って襲われるよりは、大回りでも避けた方がいいだろう、と蒼は考えた。


 急いでいるわけではない――、いや、もちろん急いだ方がそれはもちろんいいのだろうが、だがリスクを考えれば、大回りをした方がいい……フェアもそれには同意だったらしく、


「広場に行きましょう! 

 ――さっき私達が襲われた場所の近くにありました……。

 そこなら、私達の策も通じるはずです!」


 ああ、と頷き、蒼がフェアを肩に乗せる。そしてほんの少しだったが、止めていた足を再び稼動させる。歩く人々の間をするりと抜けて行く――、こういう逃げるための技術は、今までの経験によって培われていたものだった。


 不良少年との喧嘩。

 そして、ジン達との弱肉強食の戦い。


 あれらを良かったものと思いたくはないけど、しかし実際にこうして、経験値として体や心に蓄えられているのならば、無ければ良かったのに、と思えるような思い出ではなかった。

 どれだけ嫌なことでも、それは、きちんと自分にとってはプラスになっている。


 実際、あの経験がなければ、今の動きはできていない。するりと人と人の間を抜けることができずに、結果、すれ違う人々の影から這い出てくる不明人に足を掴まれ、捕獲され、襲撃を許してしまうことになる。


 そうなれば終わりだ――全てが。


「――蒼、足元!」


「は……? ッッ!!」


 蒼は足元を確認するというワンテンポも遅れるきっかけとなる動作はせずに、フェアの声と同時に、真上に飛んだ。そのまま前へ移動し、移動距離は今までと変わらず、維持させることができた――着地から、ちらりと後ろを見てみれば、さっきまで蒼がいたところには、黒い手が這い出ていた。人の影を使って――、裏側から、攻撃をしてきていた。


 ぞくりとする――、

 フェアのアドバイスがなければ、今頃は――、


「大丈夫です――蒼のナビゲートは、私の役目ですから!」


「……なんて頼れるメイドなんだ……!」


 メイドについてはいじらないでください! 

 と耳元でわーわーと喚くフェアを相手する余裕は、実のところ、蒼にはなかった。


 今の襲撃があったということは、変わらず、これからもあるということを意味している。


 一発の失敗で諦めてくれるのならば両手を離してバンザイだが、しかし、そんなことなど起こらないだろう。さっきの回避はたまたま――、

 フェアのナビゲートを信じていないわけではないが、問題は蒼の反応だ……。


 攻撃と防御、追っている方と、逃げている方……どちらが有利など、言うまでもなく分かる。


 逃げている方の蒼は、体験して、実感していた。 


 この集中力は、長く続くものではない、ということを。


 だが少しでも集中力を切らせば、すぐに捕まってしまう――だから緩めることもできず、蒼は全力を、長時間、維持しなければいけない状況だった。

 それは、水が満タンに入っている風呂の栓を抜くようなもので、限りある集中力は、じわじわと――しかし大胆に、明らかに減ってきている。

 限界値は自分自身でも分かっていた――。

 このままでは、徐々に落ちていき、最終的には切れてしまう。


 だから――と、願ったその時だった。


 目的地が見えてきた。


 大きな広場――、中には公園も入っていて、地面は全面芝生……。

 休日なので子供連れの大人が多く、みな、楽しそうに遊んでいた。

 この場を利用することに、少しの罪悪感を抱くが――、

 蒼がいる場所は遊具がある場所とはかけ離れており、運良く、周りに子供はいなかった。


 つまり、騒いでも問題はないということだ。

 いや、さっきの、フェアの小規模な台風を起こしてしまうと被害は出てしまうが、だが蒼の策に、ジンの【能力解放】は入っていない。

 ここから先、フェアの出番はなく、あとは、蒼の引きつける忍耐力と集中力――。

 そして、一撃で仕留める、その力だった。


 決定力だった。


 そして、蒼は、足を止め――待つ。


 周りに建物はなく、コンクリートジャングルからは離れている。


 広場――、当然、影は一つしか存在していない。


 蒼の真後ろ――足から伸びている、その影しか。


「きやがれ……!」


 ごくりと唾を飲み込む。

 フェアも同じく、そして緊張感が心臓の鼓動を早くさせる。

 どくんどくん、という音が響き、

 鬱陶しく、遠くで騒いでいる子供達の声も、かき消していた。


 静寂にも似た空間で、そこから先、変わらず、特別、目立った音はなかった。


 だが――気配……、気配で分かった。


 真後ろ。

 あえて残していた、人一人ならば通り抜けられるくらいの影の中から、不明人が、ぬうっと、上半身を、ゆっくりと出している。


 不明人の顔、胸……手が、まだ完全に影から出切っていないところで、蒼が振り向き、回転の勢いをつけて、不明人の顔を、思い切り――、

  

 蹴り抜いた。



 鈍い音がして――、蒼が一瞬、顔を苦痛に歪める。

 音の感じからして、指の骨が何本か折れてしまっているかもしれない。

 それ程まで、不明人の顔は硬かった。


 しかし激痛は一瞬――、フェアが、すぐにその激痛を消してくれた。

 まだ完全ではないが、骨折はほぼ治っているだろう。

 さすがは緑の妖精と言ったところか――。


 フェアが司る緑色の意味は、【自然】を象徴する。

 それともう一つ、【回復】も象徴している。


 フェアが怪我したところに触れれば、やがて回復していく。

 死に至ってしまう怪我でも、例外なく……、ただ、死んだ者を治すことは不可能だが。


 そこまでいってしまえば、もはや神の領域になってしまう。


「……助かった、フェア」


「いえいえ――蒼の怪我を治すのも、私の役目ですから」


 足元にいたフェアは胸を張り、蒼を見上げながらそう言った。

 そして蒼とフェア、二人同時に前を見る――、


 倒れている不明人……、蒼の蹴りによって吹っ飛んだ不明人は、影から押し出され、芝生の上で寝転がっていた。変化はそこから。いきなり体が、溶け出したのだ。


 真っ黒な水――まるで墨汁のように……、やがて、不明人は地面の中に沈んでいく。


「なんだ、あれ……。倒したってことで、いいのか……?」


「分かりません……? 敗北のリアクションとしては、不気味過ぎますし」


 まるで、まだ二戦目があるような倒れ方だ。

 だから蒼とフェアは、いつまでも警戒を解くことができなかった。


 それは、しかし結果的に良い方向に向いた。


 不明人との二戦目はなかったらしい――、だが、声。女性の声が、真上から聞こえる。



「あららら、まさか【イコール・マグナム】が失敗するとは思わなかったわね……、

 案外、やるじゃないの――【ログイン・ライン】」



 蒼が真上を見上げれば、そこには――、


 金髪で、スタイルが良い体……、薄着が体のラインを強調している……だが、両腕が自分の体の倍以上もある、羽になっている……そんな少女がいた。


 彼女は笑いながら――、そして羽ばたきながら、フェアを睨みつける。


「お互い、羽を持つ同士、仲良く戦いをしましょうよ――。

 まあ、大きさに違いはあれど、構わないでしょう、そんなこと。

 そんなことを理由に戦えないなんて、言わないはずだし、言えないはずだしねえ」


 ぱらぱらと抜けて落ちてくる、彼女の羽は――七色だった。


 色の意味――蒼は、様々な色を持つ彼女の羽の力を想像して、嫌になる。


 知識があるからこそ分かってしまう、その羽の力――勝ち目は、とても少ない。


 が、しかしそれは不明人の時と変わらなかったはずだ――相手がなぜ襲ってくるのかは、未だに蒼は分かっていなかったが、だが正当防衛……、

 自分自身だけではなくフェアも守る……それで充分に、戦う理由にはなった。


「……はは、退いては、くれねえんだろ――どうせ」

「あったりー」


 軽く言う彼女は、目を細めて、鋭い視線を蒼とフェアに向けてくる。


「【バード・トッピング】――これがあたしの名前。

 覚えてくれたら嬉しいけど、別に無理して覚えなくてもいいわよ。

 それはあなた達の自由だし、ね」


 まあ、だけど――と、バード・トッピングは言う。



「――命の転がし方は、あたしが決めるけど」



 ちょうじん――バード・トッピング。


 二人目の刺客が迫る。

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