第8話 追うジン、逃げる少年

 蒼は全速力で町を駆けていた。

 フェアも蒼と並走するようにして飛び、ついて行く。


 命の危険は、体のリミッタ―をはずすようで、フェアの体調はさっきよりもすこぶる良くなっていた。しかし、実際に良くなったわけではなく、そう感じているだけ――、誤魔化しているだけで、体調が悪いことに変わりはない。

 できれば早めに終わらせたいものだった。


「さっきのは、『不明人』って奴なのか? 

 ……あんまり、聞いたことのない種族だよな」


「聞いたことがないのは無理もないですね……だって、私達、ジンですら知っている者は少ないと思いますよ……、いにしえぞくだと思いますし、繁殖能力はなく、後世に残しているものはなに一つなく、さっきのあれが【オリジナル】で全てだと思いますから」


 ただ――と、フェアは続ける。


「オリジナルではありますけど、分身……分離します――。私の記憶力が正しければ、の話ですけどね……、正直に言いますと、あれを倒す術はないと思います。

 だから逃げることに全力を注いだ方がいいと思いま……って、蒼、聞いているんですか!?」


「うん? ああいや――、

 そういうネガティブな話は聞いていて楽しいものじゃないから、聞き流してた」


「きちんと聞いてください! 蒼のために言ってるんですからっ!」

「聞いてたさ――聞いている後に、流しただけだ」


 こんな、考えれば考えるほど最悪の、絶対絶命の状態でいつもの調子を崩さない蒼に説教を充分以上にしようとしたフェアだったが――、

 しかし、余裕がないのは自分の方だということに気がついた。

 蒼の方に動揺はなく、いつも通り――、緊張などはしていない。

 余裕さえもあるように見えた。


 必要以上に怯えているのは――フェアの方だった。


「――ま、逃げることは大前提でさ、

 倒す術は、あいつに助言でもしてもらうことにするさ……いつも通りに、さ」


 蒼はポケットからスマホを取り出して、ワンタッチ――そして耳に当てる。

 何度かのコール音の後、ぶち、という音が鳴る。


 そのまま、つー、つー、と――音が響いた。


 切られた――意図的に。


「って――待て待て待て待て!?」


 蒼は諦めずに二回目のコール――、今回は切られるということはなかったが、しかし、自然に留守番電話に切り替わることもなく、コール音が長く、長く響いている。

 これはこれで、焦っている今の状況としては、されたくないことであった。


 切るなら切ればいいのに――。

 こうも待たされると、希望を取り逃したくないから、待ってしまうではないか。


 電話を待ちながら――辺りを警戒しながら、走り続ける。


 町を無差別に駆けているので、すれ違う人々からは嫌な顔をされる。

 こっちは、いちいち人の迷惑を考えている暇はない。不気味なジンに狙われている――まさかとは思うが、命を狙われているかもしれない――ので、気を遣っている余裕はなかった。


 フェアの話によれば、相手は影の中を移動できるらしい。いや、より正確に言えば、影を入口にして、世界の裏側に行ける、ということか。


 入口と出口を【影】に限定されているだけで、入ってしまえば、あとは自由自在に世界を移動できるというわけだ。だが、出口は影になっているので、裏側から表側に出るためにはどこかの影を利用しなければいけない。


 蒼の影から出てきた不明人は、あのまま蒼がその場に止まっていれば、なんの障害なく再び蒼を襲えることができたのだろうが――、

 だからこそ蒼は、フェアの指示によって駆け出すことに決めたのだ。


 動いていれば、同じく不明人も動いていなければならない――。

 そして動いている最中に影から移動や攻撃をするのは、簡単なことではないだろう。できたとしても、攻撃の精度はやはり、雲泥の差がつくはずだ。

 避けられない、喰らうのが当たり前の攻撃でも、ただ動いているというだけで、威力も正確さも損なわせることができるのならば、回避と逃走の意味を持つこの【駆ける】という行為は、相手にとっては痛手になるのではないか。


 ただ――この行動もフェアの知識を元にしているので、根本が違えば当然、この対処法も根本から破綻してしまうのだが……。だが、そうは言っても他に策はない。

 なら、たとえ目の前に落とし穴が待っているのだとしても、突き進むべきだった。


 その穴を飛び越えるための策を――助言してもらおうと思ったのだが……。


「くそ! あいつ、全然出ねえじゃねえか! 

 なにが『困った時は連絡してこい、金によっては助けてやるぜ!』――だよ! 

 連絡が取れないんじゃあ、相談もなにもあったもんじゃねえよッ!」


「……蒼がきちんとお金を払わないのがいけないんじゃないでしょうか……? 

 あと、なにかと問題が起きれば決まって相談をするから、着信拒否みたいなことをされているんじゃないでしょうか……?」


 フェアの指摘は聞こえないふりをした。

 蒼は一度、コール音を切り、仕切り直して、もう一度、電話をかける。

 何度も何度もコール音が鳴る。


「こうなったら何度でもかけてやる――嫌になるまでかけてやる!」


「電源を切られて終わりな気もしますけど――って、え?」


 すると――そこで、フェアが気づいた。


 いつの間にか、狭い路地に入ってしまっているということに。


 今まではきちんとルートを決めて、日向ひなたばかりを走っていたのに、ここにきて、ミスをしてしまった。

 狭い路地――つまり、建物と建物が密集しており、

 それは、辺りが日陰で、全てが影だということを意味している。


 道は整った。

 不明人から蒼へ、裏側から表側へ、道が確立されてしまった。


「――っ!」


 道が固定されてからの行動は早かった――、

 不明人の黒い手が、まるで弾丸のように、高速で真下の地面から飛び出してきた。


 伸びるその手は真っ直ぐに、天を突き抜けるような迫力を持って、蒼の真横を通り過ぎる――これは蒼が避けたからこそ、瞬間的な反応で、たまたま避けれたからこその結果だった。

 もしも避けられなかったら、蒼の頭はきっと、ぐちゅぐちゅになっていただろう……。


 いや――だが、違和感があった。

 もしかしたら、殺す気はないのかもしれなかった。

 手の角度で分かる――指は丸まっていた。

 まるで、狙いが蒼なのは変わらず、

 その頭部なのも変わらず、しかし、掴もうとしているようにも思えた。


 ワンステップで不明人との距離を取る蒼だが、あまり、意味はないように思えた。

 相手が影から出てくるのならば、この場においては、どこに行こうが変わらない。


 そっと、スマホをポケットにしまう。片手間で相手できる程、このジンは甘くはないだろう。

 中途半端に相手にすれば、やられるのはこちらの気がした。

 しかし――、蒼達の不利だというのは変わらない事実ではあるが。


「……フェア、敵の奴――、話が通じると思うか?」


「そもそも、言葉が通じるのかも怪しいです――それに、会話ができるのかも、危ないかもしれないですね。なぜなら不明人の声を聴いた者は、誰一人として存在していませんから」


「となると――まあ、絶体絶命のピンチだよな、これ」


 軽く言ったが、しかしその一言は敗北宣言と同じ程に――重い。


 音は少ない。

 中でも、外の、車の走る音や人の話し声がほとんどを占めていた。


 行動を起こすのならば、敵の攻撃が止んでいる今がチャンスではある――しかし相手は、こっちが動き出す隙を窺っているのかもしれない。

 そうなると、行動は制限されてしまう。


 まず、どこから出て来るのか、それを絞らなければいけない。

 そうしないと反撃もなにも、認識さえも怪しくなってしまう。


 影だらけの中で、相手が一番多く出現した場所は、限りなく少ない情報を元にすれば、地面ということになるのだが――だからこそ、真横の壁、とも言える。


 裏をかくことを考え始めたら、巡り巡って、結局、絞れないまま、全てを選択肢に入れなければいけなくなるだろう――それは、完全に悪循環だった。

 ただ突っ立ている今の状況で、思考は激しく回転しているが、しかし切り抜けるための策はまったくと言っていい程に浮かばなかった。


「……フェア、どうす――」


 と、蒼が、今の停滞をどうするか、疑問を投げかけるためにフェアの方へ振り向いた、まさにその時だった――、


 全身真っ黒の――カブトムシを人型に近づけたような、細い体をしているジンが、

 その細く筋肉質な腕を伸ばし、フェアの全身を掴み取ろうとしていた。

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