第5話 少年と不明人
合計で二千三百六十円でーすっ! と無駄にテンションが高かった店員さんのその元気の源は、やはり涼しい店内の空間なのか――、と、外と中の温度を比較して分かった。
外は暑い。直射日光は、もしも肌を晒していれば、遠慮なく突き刺してくるレベルだった。だがまあ、長袖なので、その攻撃は防御できているのだが――。
しかし身を包んでいるからこそ、暑い。暑過ぎる。
熱されている、というよりは、蒸されている感じだった。
服装の色が青なので、黒よりは随分とマシであるが、しかし青だからと言って涼しくなるわけではない。黒ではないだけ、増して熱さを味わわないでいいだけで、標準と変わらないのだ。
なので気分は最悪だった。
うだー、と猫背を極めた体勢をしながら、ファミレスから離れて行くと、
前方のベンチに、一人の少女が座っていた。
体のサイズは――手の平サイズ。そしてなぜか、メイド姿。
メイド姿の妖精・フェアだった。
彼女は満腹、満腹、とでも言いたそうに、お腹を擦っていた。
満面の笑みで。そこまで喜んでくれたのならば、連れて来た甲斐もあったと思うべきだが、しかし、出費した金額を考えれば、素直には喜べなかった。
大きさが天と地ほどの差があるにもかかわらず、緑の妖精・フェアは、蒼よりも食事の量は多かった。一人では千円を越えることも滅多にないのに、フェアと一緒に食べた今回は、まさかの二千円を越えてしまった。
その小さな体の中にある胃は、どうなっているのか、と、体内構造に疑問を抱く蒼だった。
すると、外に出て来た蒼に気づいたのか、フェアが羽を羽ばたかせて近づいてくる。
そして頭に、ぽて、と着地――というよりは、落ちた印象が強かった。
頭の上で、「く、苦しいです……」と呻いているところを見ると、体重を羽が支えられなかったのかもしれない。体調の問題もあるだろうが、満腹状態の自重を支えられない羽と力はどうなのか、と思ってしまうが。
家に帰るまでの道を、蒼が歩きながら、
「お前……いつもあんなに食わないのに、なんで今日はあんなに……」
「だって、ファミレスなんて半年に一回、行くかどうかじゃないですか!」
「……そうだっけ?」
いつファミレスに行ったかなど、覚えてはいない。
ファミレスに行くことにこだわりを持っていない蒼の記憶力と興味は、そんなものだろう。
だがフェアにとってファミレスとは、滅多に行けない【高級料理店】と扱いが変わらなかった。そうなると、なんとも安い女だなと思ってしまうが、直接、口に出すことはしなかった。
「滅多に行けないんですし……。
だから、食べられる時にたくさん食べるべきだと思いまして……」
フェアの思いに、なるほど、と頷く――まあ、確かに気持ちは分かるが。
しかしたくさん食べることによって苦しんでしまうのは、本末転倒な気がする。
食べることと同時に楽しむことを目的としているのに、貴重だからと言ってたくさん食べて、結果、それで苦しんでいるのは、なんだか違う気がする。
それにしても、ここまでファミレスに思いを寄せているとは。
蒼は頭の上で仰向けで寝そべっているフェアをぽん、と叩き、
「別に、行きたい時、言ってくれれば連れていくっての。
今日みたいにたくさん食べなければ、金の問題も大丈夫だしな」
「え、でも、そんな毎日も行ったらお金が――」
「毎日も行くとは言ってねえ。たまにだ、たまに。それに、毎日ファミレスに行ってたら、お前のやることがなくなるじゃねえか。材料を使っての手作り料理は、フェアの役目だろ?」
フェアは蒼の保護者役なのだ――だからこそ、メイド姿もしっくりくる。
カチャーシャをはずせば、ただのエプロン姿と変わらない……。
なので、いつもの、料理をしている姿と大差はないのだった。
「やることがなくなるって……、料理以外にもやることはありますからね!?
蒼が、脱いだ服を散らかすから片づけないといけませんし、
洗濯もしなくてはいけませんし、部屋の掃除だって私がしているんですからね!」
「たいへんだーね」
「思いきり他人事ですね!」
と、頭の近くでこうも大きな声で返事をされると、耳にきーん、とくる。
頭を揺すって、降りろと言外で伝えてみるが、フェアは降りる気がなかったようだ。
仕方なく、指でつまんで降ろそうと手を上げたところで、
「――は?」
と、そんな声が出た。
フェアの方は、蒼の手が上がってきて、どうやら自分をつまもうとしている、というのがなんとなく分かっていたので、突然、その動きが止まったことに、不思議を感じた。
そして蒼が放った声。その声に誘われて、起き上がれなかった体を起こす。
それから、フェアも蒼と同様に――、はい? という声を出してしまう。
満腹で苦しい、なんてことはどうでもよかった。
そんなことなど放っておける程に、意識は全て、そこに持っていかれていた。
地面。
日光を浴びることで必然、生まれてきてしまう自分の分身とも言える――影。
そこから――手が。
不気味な黒い手が。
人間ではない、黒く、光沢が輝いている手が――蒼の足首を掴んでいた。
ぎゅっと――強く。痛みを感じてしまう程に――顔をしかめてしまう程には。
フェアが危険を感じて、自分が仕えている少年を守るために、咄嗟に動いてしまう程には、危険値が、メーターを振り切っていた。
フェアは羽を使い、力強く羽ばたかせて――風を生む。
「――【断ち切りバサミ】」
それは――かまいたちを生み出した。
フェアの呟きと同時――、蒼の手を掴んでいた黒い手は、綺麗に指だけが斬り落とされていた。指の無くなった手は、手の平は、未だに蒼の足首を掴んでいるが――、
しかしこうなってしまうと掴んでいるとは言えず、触れているとしか言えないものだった。
蒼は簡単に相手の拘束から逃れることができた。
そして、掴むものを失ったその黒い手は、影の中に沈んでいく――。
まるで水の中に、沈むように。
数秒の沈黙の後――、
「な、なんだよ、あれっ! 影の中に、手が――、っ、誰かいるのかよ!?」
「……あんなことができるのは、人間にはいません……。
だから、ジンだと思います、けど――」
フェアは蒼の前に出て、庇うように、位置を取り、周りを見て、警戒を強める。
敵は影の中から出て来た――、だからと言ってそれだけに絞られるわけではない。
壁の中、地面の下、それか――、裏の空間か。
相手がジンならば、これくらいはやってのけるはずだ。
影の中から出て来たのは、複数ある選択肢の中の、攻撃の一つでしかない。
そう思っているべきだろう。
敵が未知ならば全て未知――、しかしフェアは相手が誰なのか、とまで、分かってはいなかったが、だけど、どういう種族なのかは、予想をつけていた。
黒い手――影の中を移動――そして出現する。
ここの基準世界でも元の異端世界でも、一度も出会ったことがなく、本当に存在しているのか曖昧で、ただの他人語りの中に出てきた【伝説級扱い】のジンだと思っていたが――、
だが現実に見てしまえば、そうとしか思えなかった。
伝説ではない――。
他人語りの妄想ではない。しっかりと、存在していた。
「まさか……『
フェアの知っている通りならば、さっきの攻撃で退くような種族ではない。
命令は絶対――やり遂げるまで、やり続ける。
そこに妥協はなく、撤退はなく、全力で目的を達成させてくる。
そして、ダメージという概念はなく、負傷という認識は存在せず、再生という救済も必要とせず。分離し、合体し、自分自身で補い合い、一人で多数――、複数存在。
どれが本物で本物がどれで――見ているだけでは、加えて、触れたとしても分からない。
心の奥底に踏み込んだとしても分からない、不明な存在。
ゆえに――不明人。
『…………』
奴らの声を聞いたものは、どちらの世界にも、一人もいなかった。
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