第53話  夢のまた夢 (2)

「ヴァンダル制圧は、うまく行きすぎたのよねぇ」

「うむ。被害もほとんどなく豊かな農業地帯が手に入ったからの」

 今の北アフリカの乾燥した風景からは想像が難しいが、この時代は古代から整備されてきた灌漑施設がフル活動しており、豊かな実りが約束された天壌の地であった。地中海を東西に分ける場所にあるため交易も盛んで、帝国の交易路は西地中海はもちろん、「ヘラクレスの柱」(現ジブラルタル海峡)をこえてブリンタニア(現イギリス)まで伸びた。

 さらに、南の砂漠を越えてもたらされる砂金は帝国金貨ノミスマに鋳造され、財政を潤した。品質のよい帝国金貨は信用があり、地中海沿岸以外でも使われるほどだ。

「問題は、その後のゴート王国の内紛よねー」

 ゴートの若き国王アタラリックが死去し、母后として政治を取り仕切っていた摂政アマランスタの政治基盤が揺らいだ。その後、ゲルマン民族主義が色濃いテオダハドが台頭、アラマンスタを幽閉、殺害したのだ。

「あの時ドーラとも話したが、ゴート王国領に旨みはほとんどないし、ほっておければどんなに楽だったことか」

「そうもいかないでしょ?アマランスタは帝国に保護を訴えてたんだから、見捨てるのは威信にも関わるでしょ。ただ、筋肉さんがねぇ……」

「本当になあ……。シチリア島制圧のために編成した10000足らずの兵で、ローマまで攻め取ってしまうのとは。わしが何度も伝令出したのはドーラも知ってるだろう?『速やかに撤収するように』と」

「その度に筋肉さんに拒否されてたわねえ。まあ、彼の軍才と運がハマりまくっていたとも言えるんだけど」

「だが、戦略的視野がまったくなっとらん。当初はテオダハドも力の差がある帝国に全面対決する気はなく、交渉でまとまりかけていたのだ。だが、ローマまで取られてしまったことで、テオダハドに失望した味方に暗殺され、より過激で好戦的なリーダーが出てきてしまった。

 さらに中立を保っていた北方のフランク王国も介入してきたし、泥沼化は避けられなくなったわ」

「リックスはお金を送って中立を促していたのにね」

「このまま、ゴート王国が占領されるのを傍観していたなら、次は自分たちだ、とでも思ったのだろうな」

「そして、東のメディア帝国の和平破棄」

「あのホスローだけはほんと許せんわ。あんだけ大量の金貨をもらっておきながら、あっさり攻め込んできおって……」

「ゴート王国からの働きかけもあったみたいよ」

「だろうな。

 思えば、ベリサリウスの頑なな撤兵拒否も、戦争を終わらせたくない軍部の意向が強く働いていたんだろう。結局、軍人ってのは戦争してれば満足なんだよ」

「軍部を抑えるのは、筋肉さんには厳しかったわねえ」

 本来、腹心の部下であるベリサリオス将軍は、皇帝の意向を汲んで好戦的な軍部を抑える役割があったのだが、結局は軍部に取り込まれてしまった。

 ある意味人がよく、一度信頼した人間をとことん信じてしまうベリサリオスに政治的能力を期待する方が難しかったのだろう。


「あの時は、こんな2正面戦争ほど最悪な事はないと思っていたもんだが、その後の大惨事に比べればかわいいものだったのう」

「ああ……、黒死病ペストね……」

 東方より伝わったこの伝染病は、瞬く間に帝国中に蔓延した。帝都でも日に何千という死者が出て、人々の生活を破壊した。

 メディア帝国やゴート王国でも同じだったようで、自然と戦争は休戦状態となったが、交易を拡大し、商業に経済の重点を移していた帝国にとり、疫病による流通の停止は致命傷と言ってよい。

「それに、リックスもペストに罹ったし」

「うむ、あの高熱は流石にもうダメかと思った」

 ペトルスはその時のことを思い出したのか、顔を顰めた。

 ペスト対策の陣頭指揮を取っていたペトルスが罹ったことで、宮廷は大混乱に陥った。

 そんな右往左往する人々をまとめたのがテオドラだ。

 宮廷の一室にペトルスを隔離し、テオドラ以下数人のみしか近づけないようにした一方、トリボニアノスに対策の全権を委ねて、報告のみを受けるだけにしてペトルスの負担を減らした。

「……考えてみれば、あの時と立場が逆だわね……」

「そう言えばそうか。あの時は付きっきりでドーラがわしの世話をしてくれたよな。でも、伝染の恐怖があった分、あの時の方がきつかったろう」

「……どうだったかしら。覚えてないわ」

「わしは忘れんよ。

『あたしより先に逝ったら、承知しないわよっ‼︎』と口では叱咤しながら、目には涙を光らせてさ……」

「あ〜、だから、その話はやめてって」

 思い出すだけで恥ずかしい。テオドラは他人に泣き顔を見せるのが苦手であった。涙を女の武器に使う者も多いが、テオドラはなんか負けた気がするのだ。

「でも、あれでわしは生き残ればと思ったのだから、ドーラに救われたと言ってもよい」

「大げさ。あたしだけの努力じゃないし。リックスの体力と、あとは信心の強さだよ」

 当時の病気は天罰の1つと考えられていたから、帝国中の教会で皇帝快癒のミサが行われた。荘厳なハギアソフィア大聖堂の建築をはじめ、正教会の権威確立に尽力したペトルスは、教会にとってもなくてはならない皇帝だったのだろう。

「ドーラが信心を語るとは……」

「まあねぇ。あたしもこんな日が来るとは思わなかったわ。病気になると気が弱くなってダメね」

「大丈夫だ。今も全国の教会に命じて皇后快癒のミサを執り行わせておる。きっと神の恩寵がある」

 ペストから生還した事実は、ペトルスを信心深くさせた。かつては統治の道具ぐらいにしか考えていなかった正教会だが、今では正教会が薦めるに従い、各地に豪奢な教会を建て、異端狩りに熱心になった。

 その皺寄せが軍事費の縮小や政治の停滞を招いており、テオドラはその行き過ぎた宗教予算増大に苦言を呈していたのだが、そのテオドラが病を得たことでペトルスの信仰心は更に強化されていた。


「第一、ドーラは人々のためにあんなに働いたではないか。神がお見捨てになるわけがないだろう」

「……人々のため、ねぇ……」

 ペトルスの言葉を素直に受け取れないのがテオドラだ。

 彼女からすれば、知り合いの頼み事を聞いてやっただけという意識が強かった。民衆とか人々とか、顔も定かでない集団のためにと言われても、首を傾げてしまう。

「女性でも被害を当局に訴える事ができると明確化したことで、救われた女性は多いはずだ」

「ルールはあっても、慣例から適用されない事が多いのよね。女性関係は特に」

「家庭内の暴力も訴えられる事がある、ということを示したのは弱者にとって福音であろう」

「『帝国の伝統を壊す気か⁉︎』『しつけできないだろうが』と、反発も大きかったけどね」


 帝国で、被害を受けたと犯罪を告発できるのは家長である男性だけだった。

 法令上は、性別や身分差の規定はなく、帝国民であるなら誰でも訴えられる事ができるようになっていたが、慣例的に男性でないと当局が告訴を受け付けなかったのだ。さらに庶民の訴えは後回し、あるいは棚上げして、貴族の訴えを優先する事もよく知られていた。

 それを腹立たしく思っていたテオドラが当局にテコ入れした。人員を増やし、女性からの訴えも無視する事なく受理することを厳命した。さらに性犯罪など世間体から泣き寝入りする事が多かった事件にも、テオドラが資金を出して専門の弁護士をつけて表面化する支援もした。

 あまりに余罪の多い性犯罪者は、みせしめのために公開縛り首したこともある。これなど、何も取られてないのだから強姦は窃盗よりも軽いなどと嘯いていた帝都民(男)を震撼させ、女性たちは涙を流して喜んだ。

 また、夫が妻に暴力を振るう事も傷害罪と断じ、告発を奨励した。

 これなど、妻の躾は夫の責任であり、それを犯罪とするなど馬鹿げてると、男性貴族の反発は大きかったが、妻が夫に暴力を振るう事は明確に傷害罪とされ、離婚後も妻の実家に賠償金を求めるなどの事例もある事を指摘、神の前では何人も平等であるとして押し切った。

「でも、あたしの布告なんて無視する野郎どもも多いよね……。あんな売女ばいた世迷言よまいごとなんて聞いてたら、帝国の古き良き伝統がめちゃくちゃになるって、男だけでなく女性からも聞いた事があるし……」

「人は自分の常識をなかなか変えんからの。たとえそれが自分にとって不利な常識でも、な。世の中なんて変わりっこない、にも関わらずぎゃあぎゃあ騒ぐ者がいるから雰囲気が悪くなるって、先駆者を背後から攻撃する」

「いるいる。あたしの背中なんて、言葉の刃でズタボロよ」

 だが、そう言うテオドラの顔はそれほど悔しげでもない。彼女自身、人間とはそういう自己中心的な生き物であり、世の中や女性の権利といった大きな括りでの向上など、自分には関係ないと思うからだ。テオドラだって、こうやって皇后なんかになってなければ、不満を垂れていた1人だろう。

「それでも、この布告が救いとなった女性は必ずいたし、今もいるだろうの。旦那だって、訴えされるかもと思えば殴る手に抑制がかかるものだ。実際、自覚しなくても救われてる者はいるのだろうな」

 そうペトルスが励ます。テオドラの思いつきを法律や布告の形にしたのはペトルスと、その配下の法務官僚たちだ。すなわちペトルスもまた性差別の解消に協力的だからこそできたといえる。


「あれだってそうだ。年端も行かずに集められた幼い娼婦を解放したやつも」

「あの業界も、理不尽の塊だからねぇ〜」

 買売春は公的には禁止されているが、様々な抜け道によって結果的に黙認されていた。しかしそれは外からの眼が届かないという事でもあり、事実上の人身売買が横行していた。

 すなわち、貧しい農村の口減らしとして幼な児を二束三文で買い叩き、右も左もわからないまま売春婦に仕立てる。無知につけ込んで過大な借金と暴利を背負わせ、文字通り死ぬまでこき使う。

 小さい子供が、娼婦の仕事しか教えられないまま身体を酷使し、死んでいくのだ。それが『悲惨な事』と気づく間もなく。

 テオドラは自ら望んでこの業界に入ったクチだから、教会のように売春自体や性産業そのものを否定するわけではない。むしろ、女性が自立して男性に立ち向かえる数少ない仕事だと、ほこりにさえ思っている。でも嫌も好きもなく客を取らされ、身体を壊して捨てられていく女性を『知らない方が悪い』と見捨てる気にもならない。

 実際、『青玉の酒場』では働くスタッフに払う賃金は最大限に高くしていたが、この業界では異端であり、娼婦から搾り取ることしか考えていない娼館主からは危険視されていた。

 皇后になって業界から離れたが、知り合いの元娼婦からひどい扱いの娼館主の話を聞き、実情を調べ、そして立ち上がった。

 帝都にいるすべての娼婦を、金貨1枚で買い取ったのだ。

 それ以上の借金を抱えている者もいたが、そもそもその借金が無理筋に押しつけられたものだし、逆に金貨1枚以下の借金の者には上乗せがされている。娼館主に損はないし、現実問題として皇后の命に逆らう術もない。

 帝都で大きな話題となったものの、混乱は少なく娼婦たちは皇宮に集められた。

 そこで全員に簡単な健康診断を行った後、性病や労咳、栄養不足のものは教会付きの病院へ、健康で12歳以下の幼女は更に金貨1枚を持たせて家に帰し、成人した者は聞き取りをして、業界から足を洗いたい者には仕事を斡旋した。

 それでも、娼婦以外の生き方を知らない者や、テオドラのように好んで娼婦をやっている者も3割ほどいて、そういう者にも金貨を与え、街に帰した。これからも娼婦を続けるにしても、借金返すためにこき使われる事はないし、娼婦の絶対数が減った事で自然と売春単価も上がるはずで、実際そうなった。評判の悪い売春宿は根こそぎ潰れ、明朗適正な店が残り治安も向上した。


 年少の元娼婦たちが馬車に乗せられて親元に帰される日。

 見送っていたテオドラに対し『皇后さまぁ、ありがとう‼︎』『助けてくれて、ありがとう‼︎』『これからは親孝行しまぁす‼︎』と、笑い顔の少女たちの多くから感謝の声が降り注いだ時には、やってよかったと心底思ったものだ。

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