第51話 ニカの乱 3日目(5)

 手早く出陣の準備を終え、先遣隊が空中回廊の閂を外し、突入していく。

 その先にある貴賓席に緑党貴族は残っていなかったようで、すぐに「制圧しました!」と伝令が走ってきた。

「よし!皆の者、出陣するぞ!」

 煌びやかな緋色の帝衣を纏ったペトルスの言葉に、「おうっ!」と周囲から声が上がる。

 声こそ上げなかったが、テオドラもペトルスのすぐ後ろにつき、空中回廊を進む集団に混ざって歩いていく。

 歓声や悲鳴が競技場や狭い回廊に反響して混ざり合い、「ウワーン」「ウオーン」と聞こえてくる。さらに歩を進めると、むせかえるような血臭に思わず顔が歪む。

 やがて南国の太陽を目一杯浴びた貴賓席から競技場を一望すると、阿鼻叫喚の世界が広がっていた。


 競技場のグラウンドの上を、完全武装の兵が横隊を組んでいる。歩調を合わせて進む彼らに軽装の民衆が追い立てられ、押し込められていく。中には手に持った武器で反撃する者もいるが、盾を掲げた1列目の兵に跳ね返され、2列目の兵から繰り出される槍で貫かれる。

 観客席でも、段差があるため横隊こそ作られていないが、集団で固まった武装兵によって追い詰められていく。

 そして、死体。死体。死体。

 グラウンドでも観客席でも、多くの死体が打ち捨てられている。軽装の男が多いが、女性も子供もいる。中にはまだ息のある者もいるようだが、その出血を見ればすぐにも死者の仲間入りしそうだ。

 声が上がるのは、軽装の暴徒側ばかり。その多くは悲鳴と断末魔の叫び、他には降伏を嘆願する声もあるが、皇帝側の武装兵は無言で切り捨てている。

『あたしのせいだ……』

 アナスタシアを惨殺された怒りのまま、競技場に居残った者は皆殺しするように申し付けたのはテオドラだ。その時はそれが当然だと思っていた。

 だが。

『あたしが……、あたしの言葉が、多くのアナスタシアの悲劇を生み出している……』

 今こうして時間が経ち冷静になってこの状況を見るとわかる。

なんて恐ろしいことを、自分は言ったのか。


「皇帝皇后両陛下の御臨席であーるっ!!」「陛下の天覧なるぞっ‼︎」「皆の者、一層励め!」

 ナルサスに言い含められていたのだろう、護衛兵たちが大声で叫び、貴賓席に注目が集まる。ちなみにナルサス本人は伝令情報を集約するため、大本営となってる謁見の間に残っている。

『おおっ』という歓声が皇帝側兵士から、『あああ……』という悲嘆とも諦めとも声が暴徒側から洩れる。兵士の虐殺にも弾みがつく。

 1人の女性がテオドラの目に留まる。

 比較的近い観客席で兵士に取り囲まれていたその女性は、品の良さそうな服装から貴族階級出身と思われたが、彼女の子だろう、むつきに包まれた乳飲み子を掲げ、必死の形相で兵士に訴えている。さすがに声は聞こえないが、多分命乞いであろう。

 と、彼女と目が合った。少なくともテオドラにはそう感じられた。

 乳飲み子をテオドラの方へ捧げ、縋るような目を向ける。

「やっ……!」

 やめろ!!と叫ぼうとして、声が止まる。

 テオドラ側に背を向けていた兵士により、女が切り倒されたからだ。

 手からこぼれ落ちた赤子にも、剣が突き刺さる。


 自分の無力感に、思わず膝が折れ座り込みそうになる瞬間。

「崩れてはだめだ」

 声と共に、腰から回った手がテオドラの身体を抱き支える。

 思わず自分を支えた男、すなわち隣に立つペトルスを見上げるテオドラには驚きの表情が上がる。そんなテオドラを見ることもなく、競技場の方に目は向けたままでペトルスは続ける。

「帝衣を着た者が膝をついた姿を見せることは士気に関わる。辛いかもしれないが、頑張ってくれ」

「そ、そうね……。ごめんなさい……」

 謝罪の弁を述べたテオドラの顔が少し赤らめていたのは、恥ずかしさか照れか。

「謝ることはない。誰だって自分の言が理由で人が死ぬところを見れば、そういう気持ちになる。それが統治者のとがであり、責任だ」

「………リックスも?」

「もちろん。誰かを生かすために、別の誰かを苦しめる、あるいは死なせる決定を下す。日々そんなことばかりなのは、ドーラも知っているだろう?」

「……あたし、分かってたつもりでいたけど、全然覚悟ができてなかった……」

「俺たちは直接手を下すわけじゃないからなぁ。犠牲者が100人以上出ました、なんて報告受けても、数字だけじゃ精々『可哀想に』と思うだけだ。

 目の前に、その犠牲者の遺体を積み上げられた時の衝撃は全然違う」

 そこで一旦会話を切ったペトルスは、「伝令兵!」と兵を呼んだ。

「お呼びでありますか⁉︎」

「各部隊に通達!抵抗する意志のない者は殺さず、後方にまとめよ!」

「はっ!了解しました!」

 大きな声で答えた兵は、すぐさま走り去り、他の伝令兵にも伝える。

「これで、さっきのようなことは少しは減らせるだろう」

 そう言って、テオドラに顔を向けて笑うペトルス。


「……あたしは、だめだなあ……」

 落ち込んで、顔を伏せるテオドラ。

 アナスタシアの仇を取るんだと、勢い込んで付いてきたら、戦闘の現実リアルを見て動揺している。気は強い方と自分でも思っていただけに、この体たらくに情けなくなる。

「それは、普通の感覚だよ」

 ペトルスがテオドラの独り言に答えるように言う。テオドラを支える彼の手に力が入る。

「俺がまだ将軍だった頃の叔父さんの秘書官として、最初に戦場の大量の遺体を見た時には、胃の中の物を全て戻すくらいに吐いたもんだ。

 しかしそれも、何度か経験すると慣れてしまう。毎回吐いていたら仕事にならないからな」

「……とてもあたしは、慣れる気がしない……」

「ドーラは、それでいい」

「えっ」

「本当は、人の死に慣れてはいけないと思う。人が人であるために。

 だが、軍人はそれを仕事にしているし、俺は皇帝だ。生きるために血塗られた方策を取る事もある。そう、この武力鎮圧のように」

「………」

「だから、ドーラはその普通の感覚を無くさないでほしい。それで俺が、安易な虐殺なんかの手段を取りそうになった時には、叱って欲しい。『あんた、人じゃなくなってるよ』ってさ。

 ドーラの言う事なら、俺は信じられるから」

 そう言ってテオドラを見て、優しい顔で笑う。


「……目の前で、多くの犠牲者が出てるとこで言うセリフじゃないと思うけど」

 ペトルスの言葉に圧倒され、声が出せなかったテオドラは、しばらくの沈黙の後にちょっとひねくれた返答をする。

「違いない」

 あっさり同意し、競技場に向き直るペトルス。こういったところがなんとも憎めない。

「でも、もうそろそろ終わりそうな感じになってきたかな?」

 ペトルスの言葉の通り、武力鎮圧は急速に収束をし始めていた。

 先ほどの、抵抗しない者は殺すなという命令により、戦意を無くした暴徒の多くは我先に武器を捨て始めたようだ。元々武器を持たない女子供は言わずもがなだ。

 一度は「競技場にいる者は皆殺し!」などと言っていたテオドラだが、実際の犠牲者は全体の3分の1ぐらいだろう。少しほっとした。

「さっきの話だけど」

「うん?」

「やっと分かった気がする。なんでわざわざ娼婦のあたしなんかを皇后にした理由が」

「言っとくが、君に惚れたのも事実だからな?」

「そりゃ当たり前。てか、世の中のたいていの男は惚れさせる自信があるし」

「これまた大きく出たな」

 テオドラの盛大に盛った言葉にも、鷹揚に笑って答えるペトルス。

「ても、俺と考え、意見し、そして共にこの国を背負っていける女性は、君しかいないと思った。

 俺もいろんな女性を見てきた。ドーラより頭が良い女性もいたし、綺麗な女性も大勢いた。

 だが、頭良くて綺麗で、自分の意見もはっきり言えて、そして誹謗中傷に負けない。そんな女性は君しかいない。だから、君を選んだ」

「………初めて聞いた」

「初めて言ったから。でも嘘偽りない本心だし、結婚してからのこの5年、ドーラも皇后として俺を支えてくれているのを見て、俺の目に間違ってなかったと確信している」

「批判も多いけどね……」

『前代未聞』『女のくせに……』『皇后らしからぬ』保守貴族からの、そんな戸惑いや不満もよく耳にする。

「そんな声に怖気付く、ドーラではなかろう?」

 それはそうだ。そんなの、娼婦時代の下卑た罵声に比べれば、そよかぜみたいなものだ。


「とはいえ、ありがとうね」

「うん?何がだ?」

「そこで惚けなくてもいいでしょうに。あたしがこの惨劇を見てショックを受けたのを見て、励ましてくれたんでしょ?」

「………それは、想像にお任せする」

「何よそれ。50過ぎのおっさんの照れ隠しなんで流行らないわよ」

 テオドラに目を合わさず、競技場を見下ろしたままのペトルスの横顔に嘯く。


「あ、思い出した」

「何?」

「あんた、あたしの言うことなら信じられると言ったよね?なら絶対やるべきことがあるんだけど」

 ペトルスは無言のまま、テオドラに先を促す。

「空中税の廃止よ。あれは庶民に税負担を回す悪法だし、今回の暴動だってここまで広がったのは、根底にあの税への不満があるからよ。暴徒側の要求でもこれだけは正当性がある」

「確かに、空中税の導入は失敗だった。影響を甘く見ていたな」

「じゃあ」

「もちろんだ。御前会議と元老院にかける必要があるが、この暴動を見れば反対する者はいないだろう。焼け落ちた建物の復旧も急務だしな。ヴァンダル戦争も仕切り直しせねば」

「ひとつ危機を乗り越えたと思ったら、次々とやるべきことがやってくるよねぇ」

「政治に、終わりはないんだよ」

 終結しつつある競技場を眺める帝衣の2人は、すでに次ことについて話し合っていた。





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