第34話 皇后の日々(4)

「では、次は西方諸国との外交だな。パトリキウス」

「はっ」

 エルモゲニスよりは若い、金髪に青い眼の一見蛮族風の男が立つ。もともと帝都で弁護士として働いていたが、弁舌が立ち白を黒と言い包める話術(詭弁ともいう)にテオドラが着目して推薦した男だ。ペトルスも頭と口の回転の速さを認め外交官に抜擢、見た目の近い西方の蛮族国家ゲルマニアとの外交を担うようになった。

「はっきり申し上げて、ヴァンダル国王ゲルメスに当方の要求を受け入れる気はありません」

「要求拒否か。ヒルデリックの復位と正教徒の弾圧中止の両方ともか?」

「はい。共に拒否、です」

 むう……と不満気な声が参加者から漏れる。

「蛮族の分際で生意気な」「あやつら20年前の海戦の勝利で、我らを見くびっておるのだろう」「罰当たりめが……」

「発言、よろしいでしょうか」

 司教服の男がざわめく声を制するように手を挙げる。正教会の代表として参加しているマクシミリアヌス司祭だ。

「発言を許す」

「ありがとうございます」

 皇帝の許可を得て、禿頭を下げるマクシミリアヌス。ふくよかな聖職者が多い中、痩せて尖った顎と眼光鋭い釣り上がった眼は、見る人の背筋を自然と伸びさせて姿勢を正させるような威厳がある。

「ヴァンダル前国王ヒルデリック殿の復位。これが受け入れられない事は理解できます。ゲリメル殿は彼を追い落として王に就いた方ですから。前王を殺さず監禁しているだけでも理性的と申せましょう。ですが」

 マクシミリアヌスは語気を強める。

「我らの同胞が彼の国で迫害を受けている事は、到底看過できませぬ。やつらは我らと同じ神を信仰しつつも、誤った教えを信じる異端。切り従え再教化が必要というのが正教会の意向です」

 西方のゲルマン人の間では、正教が公認されていく過程で異端と認定されたアリオス派の教義を信仰している者が多い。

 イエススの磔刑像を偶像と見做して破壊するアリオス派に対し、磔刑を人類の原罪とみなし、十字架クロスを信仰のシンボルまで崇めている帝国正教会とは、基本的な礼拝の仕方にも大きな違いがあるのだ。

 信仰の問題である。互いに自らの信仰の正しさを疑わずに相手を攻撃するので妥協が難しい。


「我らも教会の意見に賛同します」

 と続いて声を上げたのは軍装の男だ。東方派遣の将軍の1人で、総司令官であるベリサリウスはメディアとの和平が正式になるまで現地から離れられないため、代わって出席している。

「我が帝国にもアリオスの輩はおります。が、陛下の厚き慈悲の心でコミュニティをつくって存在することが許されております。一方で彼の国では正教徒の財産を奪い、無一文で砂漠に放り出しておるとか。まさに神をも恐れぬ所業!」

 顎髭顔で参加者を見回しながら、将軍は演説を続ける。

「ヴァンダルの蛮族どもには断固懲罰を加えねばなりませぬ。こうしてみれば、今メディアとの和平が成り軍に余裕が生まれたことも神のご高配と言えましょうぞ。ぜひ軍の派遣を!」

「そうだ‼︎」「我が軍の力を見せる時!」と勇ましい声が軍人組から上がる。

『リックスの言う通りだわ。軍人は誰が相手でも戦えりゃいいのね……』

 彼らの言動を簾越しに見ていたテオドラが思う。

 ペトルスは人当たりがよく誰とでも明るくよくしゃべるが、本心を容易には明かさない。だがテオドラは例外らしく、彼女の前では軍部がやたらと戦いたがるのに手を焼いていることをよく愚痴る。

『とはいえ、青党を支える軍人たちを無視するわけにもいかないし』

 戦争より外交、正々堂々の会戦より謀略で追い詰めることを好むペトルスは、戦いで決着をつけたがる軍部とは本質で合わず、少なくとも外交面では緑党の考え方にちかい。

 だが派閥にはそれまでのしがらみもあり、安易に青党を切って緑党と手を結ぶこともできないのだ。うまく軍部をなだめすかし、コントロールしていくしかない。

『まあ、こういうことも肌で感じないとわからないことよねぇ』

 慣習として御前会議に女性が参加する事はなく(というか、そんなことを考えさえしない皇后が一般的)、議論に口を挟む事はできないが、こうして御簾越しでも討議を聴けることでわかる事も多い。


「いやいやぁ、まだそないな博打に打って出る時とちゃいますやろ。知らんけど」

 のんびりとしたとぼけた声でヨハンネスが声を上げる。

「メディアとの和平っちゅーても、東方戦線に兵隊ゼロってわけにもいかへんし。戦争するより安く済むって言うだけの話で、金がかからんわけではないんやで」

「財務長官殿は、すぐに金の話ですなぁ」

 髭の将軍が軽い口調ながらも、表情にははっきりと蔑みの感情を浮かべながら答える。多くの宗教がそうであるように、正教でも財貨を貪ることは禁忌とされているからだ。

「当然ですがな」

 そんな煽りは完全スルーして、ヨハンネスは答える。

「武器揃えるにも兵が日々食う食糧も、あんさんに払う俸給だって金がかかるんやで。小銅貨1枚使わず身ぃひとつと情熱だけで敵に勝てるっちゅーなら、わしらもありがたいわぁ」

 そうやり込められて一度は言葉が詰まる髭の将軍だが、すぐに反撃する。

「これは聖戦だ!神の祝福があればすぐに決着はつく!だらだら睨み合うよりは結果的には安くつくだろうが‼︎」

「メディアとの戦いを始める時にも『聖戦だぁ〜』ちゅーとりましたが、その結果はどうなりましたかいな?神さんも下々の都合で安易に聖戦認定されるのに辟易してるんちゃう?知らんけど」

「その言葉は教会に対する冒涜だ‼︎撤回しろ!」

「ここで言葉撤回しても、メディアとの戦いに勝てなかった事実は変わりまへんで?」

 声を荒げて参戦してきたマクシミリアヌス司教にも、挑発で応じるヨハンネス。

『あーあ…。売り言葉に買い言葉……』

 ヨハンネスは見た目や口調と違い、気が強い。他者をイラつかせる言動も多く、要らぬ摩擦を起こす。皇帝の御前であることにも気にすることなくいろんなことに口を挟み、こうして討議が中断することも珍しくない。

 と、カランカランと甲高い鐘が鳴る。皇帝がこの部屋に入るときにも鳴らされたもので、官房長官のナルサスが鐘に結び付けられた紐を引っ張っている。

「議論が伯仲する事は良き事ですが、他の出席者を軽んじる発言はいけません。双方この場で謝罪を」

 進行役たる官房長官に促されれば否はない。「えろうすんません」とヨハンネスが頭下げれば、髭将軍もマクシミリアヌスも皇帝に向かい黙礼する。


『さすがよねぇ。鐘を鳴らすタイミングがドンピシャだわ』

 声は出さなかったが、御簾の中でテオドラは感心する。

 冷静沈着で感情を表した所を見たことがない宦官ナルサスは、皇帝の懐刀であり腹心中の腹心と言える。事態を幅広い視野で見通すことができ、戦略面における皇帝の政策はナルサスの献策がたたき台になっていることが多い。

 また中国での宦官のイメージとは違い、帝国では宦官は人々から尊敬される存在だ。正教で忌み嫌われる淫欲を抑え、しかも子をなすことができないことから家の存続の必要がなく、清廉質素な生活をする者がほとんどだからだ。実際聖職者の中にも宦官は少なくない。

 ナルサスは下級貴族出身の三男だか四男だかで、学者として身を立てようとしていたところをペトルスと知り合い、三顧の礼で迎え入れた皇帝の知恵袋と言えた。

「対ヴァンダルについて、他に意見のある方はおられますか?私見ある方は挙手にてお願いします」

 ナルサスの中性的な声が響く。それに答え「恐れながら」と手を挙げたのはヨハンネスに近い文官の男だ。その立場から想像できたが、財政難から積極的な武力行使は避けた方が良いという意見だ。それに対して、敬虔な正教徒で知られる実力派貴族が速やかな実力行使を訴える。

 その後もそれぞれの立場で賛否両論がほぼ均等に出る。ヴァンダルへの早期の武力行使は、御前会議メンバーでも意見がまとまらないようだ。


『こういう時、リックスは意見を聞くだけ聞いて結論を先送りするんだよねぇ』

 よく言えば慎重、悪く言えば優柔不断な態度をとるのは、ペトルスの支持基盤が盤石ではないこともあるが、戦争や武力行使をできるだけ避けたがる性格もあるのだろう。

 テオドラとしては、是でも否でも早く決断した方が結果的にいい方へ向かうと思っているので、少々歯がゆい。

「意見具申、よろしいでしょうか」

 と、ここで本来は進行役であるナルサスが口を挟む。

「言ってみよ」

 ナルサスが智慧者である事はこの会議メンバーにはよく知られている。ざわめきがおさまり意見に耳を傾ける姿勢が見える。

「ヴァンダルの支配するサルディニア、コルシカ両島へ反乱工作を仕掛けるのはいかがでしょう」

『サルディニア、コルシカといえば、あれだっけ?』

 テオドラは謁見の間の上壁にある地中海を表したモザイク壁画に目をやる。

 かつては地中海沿岸全域を支配していた帝国だが、今はその半分、長靴ちょうかの形で地中海をわけるイタリア半島の東側海域、すなわち東地中海を支配しているに過ぎない、らしい。らしいというのも、そうペトルスに教えてもらっただけの話で、もともと文盲で地図というものに馴染みがない彼女には、「へぇ」以上の感想は生まれなかったのを覚えている。

 今会話に出てきたサルディニア、コルシカは西地中海にある。長靴のつま先の小石のようないびつな三角形の島がシチリア島で、その北西に楕円形の島が大小2つ縦に並ぶ。これがサルディニア、コルシカと教えてもらった。

「蛮族どもはここを拠点に海賊行為を働いております。これには当方のみならず、ゴート人たちも迷惑していると聞きます」

 古都ローマを含むイタリア半島を支配してるのはゴート王国だ。国王が若いため母后のアマランスタが摂政として政治を取り仕切っているが、帝国皇女の血をひく彼女は親帝国政策をとっている。いわば帝国の西における盟友国と言っていい。

「一方で、彼らの本拠地カルタゴとは距離があるため半自立状態とも聞きます。サルディニアの長ゴダスは強欲で目先の利に飛びつく人物。財物を与えれば当方のいいように踊ってくれるでしょう」

「‥‥さすがです、官房長官殿」

 パトリキウスが唸るように賛同をする。西方担当でさえ見落としていたような僻地の情報を抑え、そこに相手の弱点を見出す。智慧者と言われる所以だ。

「サルディニアの情勢が不安というのは、ゲリメルにとっても和平に踏み切る一因になるやもしれません。力ずくで弾圧するならば相当数の兵を本拠地から動かすことになり、兵力分散させることができます」

「和戦どちらになるとしても、損はないということだな」

「御意にございます」

 ペトルスの同意に軽く頭を下げて答えるナルサス。


「ですが、これだけでは弱い。もう一押ししてみるのも良いかと」

 顔を上げたナルサスは表情も変えずに更なる建策をする。

「カルタゴとリビアの間にあるトリポリタニアにも、同時に工作を仕掛けましょう」

『トリポリタニアなら、多少はわかるわ』

 再び地中海壁画に目をやるテオドラ。リビアは帝国領のなかでも僻地と言えるが、テオドラの嫁ぎ先であったヘゲボロス家があった。そこで聞いた話では、トリポリタニアには荒砂漠が広がりこれといった特産品もないために、帝国、ヴァンダル両国ともに支配下に置いておらず、土着の遊牧民が蟠踞する緩衝地帯となっているらしい。

「土着の部族を手懐けることができれば、カルタゴ近くに我が軍の橋頭堡を作ることも可能となりましょう。ゲリメルに圧力かけることにも繋がります」

 軍人組からも、「おお、確かに」と、膝を打ち賛同する声が上がる。

「また、原住民の協力があれば水場を含めた宿営地の策定や、物資輸送、さらに踏み込めれば我が軍に足りない騎馬兵を補ってくれることもできましょう」

 軍事作戦を前提にしたような提言に将軍たちには一様に喜色が現れる。

 一方のヨハンネスを筆頭とした文官たちの表情を見ても、妥協できる範囲内であるらしい。そもそもまだ戦いと決まったわけではない。周辺部からじわじわと固められる事で、ヴァンダルが態度を変えてくることも考えられる。


『これで決まったわね』

「官房長官の言や良し」

 テオドラの思いが以心伝心したかのように、ペトルスが言う。

「ではヴァンダルに対しては、サルディニアとトリポリタニアに工作を仕掛けるとともに、態度の軟化を待つ。軟化が見られない場合は武力行使もやむをえん。以上心得よ」

『ははっ‼︎』

「両地域への工作の詳細、人材はこれから詰めていきたいと思います。窓口は提言者である私、と言う事でよろしいでしょうか?」

「うむ」

 ナルサスの言葉に二つ返事で答えるペトルス。あまりの手際の良さに、事前に打ち合わせしてたんだろうな、とテオドラが思い当たる。

 多分、ヴァンダルについては戦争か和平かで揉めると予想がついていたのだろう。そのため意見を戦わせた後、両者共に受け入れやすい工作案を出す。抜け目ないリックスらしいわ、と思う。

「なおこの件は機密を厳に願いします。緑党にはヴァンダルと通じているものもおりますし、国益より青党の失政を望む者もおります。機密がどれだけ保たれるかで工作の成否は変わります。皆様のご理解を願います」

 ナルサスの言葉が、対ヴァンダル政策の締めの言葉となった。






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