第33話 皇后の日々(3)
ペトルスは官房長官が出してきた本日の議題が書かれたパピルスを一読、軽く頷いて言う。
「では、まずは対メディア外交の進捗からいくとするか。エルモゲニス」
「ははっ」
白髪にところどころ黒が混じっているためか、老人と言い切ってしまうには多少のためらいがある男が席を立つ。太い眉は白い毛がふさふさしており、細い目はその眉に埋もれそうだ。優しそうな風貌だが東方方面の外交を一手に受け持つ鋭敏な外交官でもある。将軍として軍を指揮したことも多く、豊かな白い顎ひげは戦傷を隠すために伸ばしているとペトルスから聞いた事がある。
「サーサーン皇家との秘密交渉を重ねた結果、やっと和平で折り合う事が出来そうです」
「おおおっ」「ついにか…」「それで条件は?」
人々の声が漏れる。会議出席者は自由に発言する事が許されており、それらの意見を聞いて議長たる皇帝が決定を下すというのがこの御前会議のスタイルだ。
「金を年110ケンテナリア、メディア帝国に貢納する事が条件です」
その額を聞いて、さらに大きなどよめきが上がる。
「そいつは高すぎる」「金貨80万枚ぐらいになるんじゃないのか?」「しかも毎年とは……」
「確かに高額ではあります。ですが、領土は双方が占領地を返却し合う事で合意しましたし、北方のコルキスにも手を出さない事を認めさせました」
コルキス(現ジョージア)は黒海東岸の小国で、長年親帝国政策を貫く事実上の属国だったが、ここ数年続く王位継承争いにメディア帝国が介入し始め、要衝ラジカで戦闘も起こっていた。
「それにしてもだな」「南方のイエメン方面では我が軍が優勢と聞くではないか」「和平はいいとしても、もう少し額はなんとかならんものか……」
「110ケンテナリア、ええんとちゃいますか?」
否定的意見が多い中で、南方訛りのとぼけた声をあげたのはヨハンネスだ。商人上がりで貴族のような家名を持たないため、出身地から『カッパドキのヨハンネス』と呼ばれる。とにかく金儲けに関しては独特の嗅覚が働き、それを面白がったペトルスが抜擢した財務長官だ。
「メディアはんと仲よう出来れば交易も盛んになるによって、関税も増えるんちゃうかな。知らんけど。軍隊を貼り付けておく銭も少なくなる事を考えると、そないな負担にならんとちゃうかなぁ。知らんけど」
断定的な言い方をしないのはヨハンネスの癖でもある。ふくよかな身体を揺すりながら大きな口でべらべらとしゃべる。
「それに、高額やからこそメディアはんは和平条約を破れなくなるんやないかなあ?ぎょーさん銭突っ込んで戦争っちゅー博打に手ぇ出すより、なんもせんと110ケンテナリア貰った方が得、と自分なら算盤弾くけどなぁ。知らんけど」
「本官も同じように思います」
エルモゲニスもヨハンネスの援軍を得て、言葉を強める。
「5年前の交渉の際も、一度は纏まりかけたのにこちらが貢納金の減額を言い募って、結局決裂しました」
これはペトルスとテオドラの結婚式に、メディア使節団を呼んで停戦となった時のことを指す。
「決着は戦場で、とあの時軍部の方々は言っておりましたが、その結果はどうです?」
エルモゲニスが軍装の将軍たちを見るが、彼らは困ったように目を伏せる。
ちょくちょく停戦も挟みながら大小何度も刃を交えてきたが、一進一退と言うしかない。
大きい戦いで言えば、タンヌリスでは負け、ダラでは勝ち、最近のカリニクムの戦いでは双方に大きな被害が出たものの、最終的に戦場を放棄した帝国の負けとなった。これらのことはこの御前会議のメンバーにはすでに共有されており、あえて指摘しなかったことだ。
「言っておきますが、本官は軍を非難したいわけではありません。本官とて軍を指揮してメディア勢と戦った経験を持つ者ですから。
騎馬兵を巧みに操り、弓術に優れた彼らはそう易々と屈服できる相手ではないのです。むしろそんな彼らと互角に戦い、和平に傾かせたことに感謝申し上げたい」
エルモゲニスが軍への感謝をあえて述べるのは、帝国の最強硬派たる軍部が和平への一番のネックと見ているからだろう、とテオドラは推察する。
軍人はプライドが高い。下手に煽れば感情的になり、理も考えず反発することもありうる。
「しかし、今しかないのです。知ってのように、今年老練なメディア皇帝カワードが崩御し、若きホスローが即位しました。代替わりとなれば側近にも世代交代が起こり、まずは国内を安定させようとするでしょう。
こんな時に戦って相手をまとまらせるより、和平と協力を申し出ることで末永い友好を築くことも可能かと。この高額の貢納金はホスローの治世始めの功績になるでしょうから」
「他には?これについて意見ある者はいるか?」
ひとしきり意見が出終わったことを見計らい、ペトルスがまとめに入る。新たな声が出ないを見て、軽く頷いて決定を下した。
「では、和平自体に反対はなく、貢納金の額には不満があるという者も、ということだが……。
下手に揉めて和平全体が破綻する危険を考えれば、この額でも仕方あるまい。戦争するよりは安くつく。皆の者、それでよいな?」
『ははっ‼︎』
参加者の声が揃う。皇帝の断が下されば否はない。
「陛下の裁可が降りましたので、この件につきましては情報公開が許可されます。出席者の皆様におかれましては、緑党その他の方々にも周知し、支持を広めるようお願いします」
ペトルスの決定を受けて、横に立つ官房長官のナルサスが滑舌の良い言葉で言う。
御前会議といっても国法で定められたものではなく、公的には皇帝の私的懇談会となる。正式な決定になるには元老院の可決が必要で、そのためにはこの場にはいない反皇派たる緑党の支持も得て、満場一致の形に持っていきたいからだ。
共和政時代には当代一流の弁論家による激しい討議が行われた元老院も、いまは皇帝の協賛機関に過ぎず、最終決定権は皇帝が持つ。たとえ議員全員が反対しても皇帝の一存で法案を通すことも可能だが、そのような強権的手法は貴族たる元老院議員の反発を招く。
青党と緑党が拮抗している現状では、緑党の協力なければ回らないことも多いのだ。
幸い、メディアとの和平は商人からの支持も多い緑党が主張(長引く戦争は物流の停滞を招く)していることでもあり、軍部の支持を受ける青党の方が強硬派が多いくらいだから、それほど問題なく支持は広がるだろう。
と、御簾の中のメッサリーナがテオドラの耳元に顔を寄せ、小さな声で囁く。
「私たちも一肌脱いだ甲斐がありましたね」
「そうね。リックスの長年の願いでもあったから」
テオドラもあまり口を動かさず、顔も向けることなく答える。
メディア外交団が来た時、非公式な歓談会で彼らを歓待したのがテオドラ以下の皇后付き女官たちだった。
なんとか和平を取り付けたいと思っていた皇帝ペトルスの意を汲み、事前に簡単なメディア人の言葉も覚え、彼らの郷土料理を出して郷愁を誘う。かつての高級商館『青玉の酒場』のスタッフとしてのもてなし術を最大限発揮して、メディア外交団を蕩けさせた。
大国の国策だ、外交団を歓待して喜ばせたことだけが理由ではもちろんないだろうが、どんな政策でも決めるのは人間だ。そして感情に左右される人が多いこともテオドラはよーく知っている。
政策内容には賛成してもそれを主張している人が嫌いだから反対する、なんていう人も珍しくないのだ。だからこそ媚びや追従、コネなどがいつの世でも有効なのだろう。
いずれにしても、メディア外交団の歓心を得ることに損はなく、ハニートラップ的なスパイ行為も厳禁してのおもてなしは功を奏した。帝国側は本気で和平をしたがっているという確証を彼らに与え、講和成立の一助になったのだった。
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