第35話 皇后の日々(5)

「続いて、税収増の件だな。カッパドキのヨハンネス」

「はいな」

 よっこらせと、自分で合いの手をいれて太った身体を立たせるヨハンネス。

「あ〜、陛下の即位後から行っていた徴税人の精査と交代が一通り終わりましたんで、いちおーご報告っちゅー事で。どの州も2割から5割の税収増、お国全体なら3割強の増加っちゅーことになりますなあ」

 一部の内容を知っていたらしい文官を除き、参加者は一様に目を見張り、低いどよめきが漏れる。軽い物言いだが、3割の税収増は相当な成果なのだ。

「しかし、徴税人を変えるだけでそんなに違いが出るものなのか?」

「当然ですがな」

 何を当たり前のことを、と言わんばかりの態度で言葉を続けるヨハンネス。

「今までは国から請け負った徴税人が州の税を集めて、決められた額を国庫に納めてたんや。徴税人のフトコロには納入額と徴税額の差額が入る仕組みで、住人からたくさん搾り取れば搾り取った分だけゼニになるんやから」

「徴税人は旨味のある仕事でした。今までは。だから選定を受け持つ元老院議員に『つけ届け』が溢れ、見事徴税人になった暁にはその賄賂分も上乗せして徴収してましたから、住民の負担は重いものでした」

 ヨハンネスの秘書官が言葉の後を引き継いで説明する。

「ですが、陛下が『徴税上限額の公布』、『徴税人の横領禁止』、『徴税人給与の増額と国庫払い』、さらには横領発覚の際の罰則強化と、矢継ぎ早に法制化しました。横領額の倍を国庫納入ですから、うま味よりリスクが上回り横領に手を染める者は一掃されました」

「密告者にも国庫納めの一部を報奨金として与えるっちゅー、とどめつきやもん。部下にも下手に命令できへんようになれば、真面目に働くしかあらへん。まあ、徴税官僚の給与も引き上げましたんで、暮らしていくには充分でっしゃろ」

 早い話、中間搾取を徹底排除したのだ。それだけの事ともいえるが、代々徴税人を請け負う家や選定貴族たちにとっては既得権益にもなっており、反対はものすごかった。特に緑党貴族がその恩恵に預かることが多く、緑党弱化も兼ねていた政策だったが青党にもその類いはおり、こうして実績を見せてその声を抑え込む必要があった。

一方で、税収増と地方の負担明確化によって皇帝の支持も高まっており、今のところうまく回っている。


「また昨年より始めた都市民への新住宅税。そっちの収入も順調に伸びてますわ」

 続いて報告したヨハンネスに、テオドラは鋭い眼を向ける。

『あの税はやめさせたい、けど……』

 参加者から反対意見は出ない。税収が増えているなら、その実態には興味がないのだろう。だが、今もかつての同僚である都市下層民との繋がりがあるテオドラには、この新税に対する不満をよく聞く。騙し討ちのようなところがある税なのだ。

 でも、この場で口には出せない。女性にはこの会議の発言権がないのだ。こうしてこの場に皇后がいること自体が例外で、これでさえ認めさせるには時間がかかった。

『まだまだ、あたしには力がない……』

 あっさりと流されていく報告を横目に、そう心に誓う。


「おっと、忘れてましたわ。金貨の鋳造量も徐々に増えてますな、ありがたいことに」

「鋳造量が?それは初耳だな」

 ペトルスがそう言うということは、ヨハンネスは事前に報告してなかったらしい。サプライズが好きな彼は時折そういうことをする。

「だが、その金の地金じがねはどこの産か?アイギュプトスか?」

 アイギュプトス(現エジプト)は帝国の穀倉地帯だが、古代には天河ナイル上流で採取される砂金の特産地として知られていた。今は完全に枯渇しているが、時折地下から古代遺跡が発見され、盗掘された黄金遺物が鋳潰されて市場に流れてくることがあった。

「ワイも最初はそう思っていたんやけど、どーもそうではないようで」

「では、どこのものか?」

「それが、よくわかりしまへん」

 ヨハンネスは笑い顔のまま首を振り、肩をすくめる。だがその表情には余裕があり、知っていることを全部出しているわけではないようだ。

 商人上がりのヨハンネスの悪い癖だ。もったいをつけて情報を小出しし、マウントを取ってくる。「情報で勝つ」のは商人には必要なスキルなのだろうが、貴族社会では反発されることも多い。

 貴族だって腹芸はするが、ヨハンネスはあからさま過ぎる。彼らに言わせれば「品がない」のだ。

『まぁ、あたしも人のことは言えないけど……』

 多分、正統派貴族からすれば、肌を晒して人前で踊り、娼館まで経営していた女が皇后だなんて、悪口のいいネタだろう。学がない、常識がないなど、とこき下ろされているに違いない。


 現代日本に生活する我々には、貨幣経済以外の社会を想像することは難しいが、歴史を俯瞰すれば現物経済=物々交換の時代の方が圧倒的に長い。

 帝国随一の大都市である帝都では貨幣経済が浸透しているが、一歩離れれば物々交換の農村が広がる。流通機構が貧弱な地方では欲しいものがいつもある訳ではないし、そもそも日々食べることにも苦労する人々が、「貯蓄」となりがちな貨幣を手に入れてもすぐに別の食物に替えるだけだ。ならば直接食べ物と交換した方が効率がいい。

 加えて、貨幣の原料となる金銀銅といった貴金属の産出量が少ない。

 それでも銀と銅は帝国内にも鉱山があるが、金はほとんど出ない。帝国での金貨と銀貨の交換レートが1:24という偏りも、金の地金が極端に少ないことに起因している。

 一方で、帝国金貨の人気は内外で高い。それは国法で金の含有量を高品位に保つことを守って鋳造しており、それに他では真似できない高い刻印技術で皇帝の横顔と言葉を刻んでいるからだ。

 金はその希少価値から、古来より混ぜ物を加えられることが非常に多い。金の延べ棒より平べったい金貨、金貨より産出時そのままの砂金(金の鉱山採掘は後の時代の話)の方が信頼度が高いのはそのためだ。

 だが砂金は取り扱いが大変なため、高品位で偽造が難しい帝国金貨は帝国のみならず西方諸国やメディア帝国、エリュトゥラー海(現インド洋)を超えた諸地域でも珍重されていると聞く。

 その結果、国外から買い集めた金の地金に帝国貨幣の刻印を刻めば、数倍の価値を持って流通していたのだ。その利ざやは帝国財政の一翼を担うまでになっている。

 ペトルスが鋳造増加と金の産出地に気をかけるには、充分理由があることなのだ。


「わかりしまへんが、ここちゃうかなっちゅー場所には心当たりがありまんねん」

 物思いに耽っていたテオドラを現実に引き戻すヨハンネスの言葉が響く。

「それはどこか?」

「それがマウリタニアっぽいねん。知らんけど」

 マウリタニアと言われても、地理的知識の乏しいテオドラにはどこだかわからない。もっとも参加者の中にも首を傾げている者がいるので、帝国領ではないのかもしれない。

「マウリタニアと言えば、カルタゴの西、ヴァンダル領ではないか。あんなところから⁇」

 西方担当の外交官であるパトリキウスはさすがに思い当たったようだ。その声を聞き出席者からざわめきが起こる。

「ヴァンダル領か……」「おいそれと貿易できる場所ではないな」「砂金は川がないと取れないのでは?」

「どうも、南の砂漠を越えて砂金を運んでくる人々がいるようで。知らんけど。

 ただまあ、場所が場所やから大っぴらに探ることも難しゅーて難しゅーて。これもあってヴァンダルはんとは仲良くして貿易協定を結びたいんや」

 ヨハンネスはしたり顔で頷く。

「確かに、安定的に金が輸入できれば財政も楽になる」「さっきの話ではないが、ヴァンダルを早期占領した方が良いのでは?」「うむ、蛮族どもに金は宝の持ち腐れ。早急に我らの手に」

 それを受けて軍人組が俄に活気付く。再びヴァンダル早期侵攻のインセンティブとなる話が出てきたからだ。

 だが、それにヨハンネスは皮肉な口調で返す。

「軍部の皆はんはアイソーポスに張り合いたいんやなあ。『金のガチョウ』を実演することで」

 1日1個、純金の卵を産むガチョウを持つ農民が、このガチョウの腹には金が詰まっているとして欲を掻き、ガチョウの腹をさばいたが一片の金も出ず、金の卵も得ることができなくなってしまう。子供でも知ってるアイソーポスの寓話だ。

「まだ情報確かならざるのに攻撃を仕掛けてしまっては、元も子もなくすこともあり得ましょう」

 そう官房長官のナルサスに追い討ちをかけられれば、将軍たちは押し黙るしかなかった。

 ヴァンダルに送られている密偵に金流通のことも探らせることを決定して、ヨハンネスの長い話は終わった。


 その後の会議でも、北方のテュルク族の動向と、その対応。帝都における青党と緑党それぞれの応援団員間の騒動。東方の大都市アンティオキア周辺で起こった地震に対しての災害復興の進捗。その他諸々。

 最大期より領土半減したとはいえ、帝国領はまだまだ広い。人口も多いため政策決定すべきことは多岐にわたる。様々な事柄について情報を共有し、決定もしくは現状維持などを決め、会議が終わる頃には、陽は地平線に没していた。






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