第22話 病床にて
アナスタシアと一緒に自宅に辿り着き、コミトらに3日の休館を告げた時はまだよかったのだ。
娼館で寝ることが多いため使うことが少ない自室のベットに潜り込み、一眠りした後には体調はさらに悪化していた。
『これは、まずいわ……』
身体が火照って暑い。節々が痛む。今まで体験したことがない痛みだ。
健康が取り柄で、今まで病気らしい病気にかかったことがないテオドラは、この体験にビビっていた。
現代日本では「たかが風邪」だが、この時代の医療技術、栄養状態では「たかが風邪」でも死に至る事も少なくないのだ。テオドラのように病気の経験が初めてというのも珍しい例ではないのは、初めての病気で死ぬ事が多いためだ。
『そう言えば、昨日のお客も体調悪そうだったわね……。
昨日の4人組の客のうち、2名が娼婦を指名する事もなく帰っていったのだが、咳を頻繁にしていた。しかも他に客がいなかったために、昨日出勤していたスタッフ皆で接待したのだ。もちろんテオドラもその1人だ。
と、テオドラが起きたことに気がついたのか、クレーテーが部屋に入ってきた。
「テオドラ様、体調はいかがですか?」
「……あんまりよくない……」
正直に述べたテオドラにクレーテーが少し目を大きくし、ベッドに近寄ってくる。
「かなり熱がありますね……。冷やした手拭いを持ってきます。汗もかいてますから、身体も拭きますね」
「うん……、ありがとう……」
体調が悪いと気持ちも弱くなる。いつもの勝ち気な態度はなくなり、素直にクレーテーに従う。
「私はこの家の下使えです。テオドラ様のために働くのは当然ですので、お気になさらなくてもよいです」
クレーテーは表情が乏しく、喜びも悲しみも顔で表現する事が苦手だ。
だが感情を感じないわけではない。てきぱきと動く彼女からはテオドラに尽くそうとする意志が見える。
「昨日のお客から
「そうすると、他のスタッフにも同様の方がいるかもしれません。後で確認をしてみます」
「お願いね……。悪い伝染病じゃなければいいけど……」
当時の医療では、病気罹患は死を覚悟することであり、貴族などでは遺言を残す事も珍しくないのだ。
「コミ姉、アナにはこの部屋に寄らないように伝えて」
「かしこまりました。特にコミト様は気をつけないといけませんね」
「あの人、自己犠牲の塊だからね……」
姉妹を守るために、売春宿に我が身を売ってしまうくらいだ。テオドラの病気を知ったら、つきっきりで寝ずの看病をしかねない。
だが、今この家で1番守らなければならないのは、乳飲み子で抵抗力の弱いソフィアだ。
赤子はちょっとした事でもすぐに天に召される。母親のコミトが病気にかかってしまうとソフィアが危ないのだ。
「クーには負担かけてしまうけど……」
「そんな事お気になさらず、なんでもお申し付けください」
「でも、クーに伝染ってしまったら」
「……私は、アナスタシア様に命を救われた者です。そしてこの家の皆様に生かされました」
テオドラが帝都を離れていた時の話なので詳しくは知らないが、入水自殺しようとしていたクレーテーを、アナスタシアが海に飛び込んで助けたという。
事情は、わからない。クレーテー自身が話したがらないからだ。
元の名前でさえ言わなかったらしい。クレーテーという名前とて彼女が名乗ったものではない。目覚めて最初に口にしたのが、クレタ島産の蜂蜜だったことからつけた通称だという。
読み書き計算もでき、行儀作法も身についていることから、上流層でそれなりの教育をうけてきたのだろうが、全ては想像だ。
だが、過去は問わないのが娼婦の流儀。
コミトやアナスタシアは、名前も事情も喋らないクレーテーを「悪い子には見えないしねぇ」の一言で、そのまま受け入れ下使えとした。
表情の乏しいクレーテーだが、アナスタシア姉妹に感謝しているのは全身から溢れ出る態度でわかる。
「そんなこと気にしなくていいのに……。それにその時はあたしはいなかったし……」
「いいえ。この家の皆様のためなら何でもすると、心に誓いました。もし病気にかかって倒れたとしても、本望です」
「重いって、言葉が。それにクーに倒れられたら、あたしがアナに恨まれるわ」
「でしたら、安静にしてできるだけ早く回復してください。それまでは私はここから離れませんから」
「……クーも言うようになったわね」
クレーテーとの付き合いは2年ほど。最初の頃は「……はい」「……わかりました」と素直に従うものの表情も意見もなく、それこそ誰かが作った鉄人ではないかとも思えたが、こうして自分の意志を主張できるようになっただけでも成長だろう。
『まあ、クーがそう言ってるならいいかあ……』
結局、テオドラも誰かに世話してもらわないと困るのだ。体を動かすのもきついし、クレーテーには申し訳ないなと思いつつ、彼女の献身に甘えることにする。
汗かいた身体をクレーテーに拭かれつつ、ぼーっとした頭でそんなことを考えていたテオドラだった。
ペストやインフルエンザといった悪名高き伝染病ではなかったようだが、テオドラの回復は3日の休館だけでは収まらず、さらに3日の休日延長を決めた。
クレーテーは若さからか気持ちが張っているからか、罹患もせずにかいがいしく看病をしてくれる。部屋に入ることを禁じられたコミトやアナスタシアは、部屋の外から「出来ることなら、なんでも言って!」と応援してくれた。
その甲斐あってか、果物や麦粥くらいしか口にできなかったテオドラにも、だんだんと食欲が出てきて、熱も落ち着いてきた。
真夜中に寝苦しく起きてしまう事も減り、ゆっくりと寝る事ができるようになった事も大きい。
♢♢♢
テオドラは、いつものテオドラの部屋でペトルスと酒を飲み交わしていた。
小さい丸テーブルに差し向かいで座り、ワインを酌み交わしながら、笑う2人。
「……だから、その無責任な態度はあり得ないよなあ。ドーラだってそう思うだろ?」
「まー、しょうがないんじゃない?みぃんな、自分がかわいいんだし」
「ほらまた!すぐそうやってドーラは俺の意見にケチをつける」
「そんなの、あったり前でしょ?あたしは詳しい事情もわかんないんだから。あたしに意見を求めたいなら、最初っから同席させなって」
「……それができたら、やってるって」
ぶすっとした顔で、ちびちびワインを舐めるペトルス。その姿からは、到底帝国の実力者とは思えない。
その自信なげな姿を見て、妙に嬉しくなるテオドラ。
40歳も半ばを過ぎた権力者が、20歳も下の、しかも娼婦にやり込めやれても、「無礼者!」とか「生意気な‼︎」とか、問答無用で黙らす事をしないのだ。そんな
そのうち「じゃ、そろそろ行くか」とペトルスが立ち上がる。テオドラに差し伸べられる手。
「ええ、そうね」とテオドラは、当たり前のようにその手を取り、立ち上がる。
2人は揃って部屋の扉を開けて出ると、そこは戦車競技場だった。
うわーんと唸るような大歓声。スタンドを埋め尽くした群衆が手を振りつつ「皇帝万歳!」「皇后万歳!」と叫んでくれる。
いつのまにか豪奢な帝衣と后衣を着込んでいたペトルスとテオドラが、鷹揚な態度で手を振って歓声に応える。そして儀仗兵の合間を縫って、競技場の貴賓席に向かう。
貴賓席の椅子の前に立った時に歓声は最高潮となり、すり鉢状のスタンドを声が乱反射する。
そこでペトルスが手で声を抑えるような仕草をすると、歓声は瞬時に収まる。
「我が親愛なる帝国民よ‼︎」
凛としたペトルスの声が響く。
「ここにいる后、テオドラの即位式にこれだけの民が集まってくれたこと、心より嬉しく思う‼︎……」
というところで、目が覚めた。
ぱっちりと開いたテオドラの目に入ってきたのが、自室の天井だったので、すぐに夢だと気がついた。
「…‥なんなの…‥、この夢……」
この時代、夢は天のお告げや警告とかんがえられている。つまり、こんな夢を見たという事は……。
「起きたか」
不意に男の声がかかる。
びっくりして半身を起こすと、部屋の隅にペトルスがいた。
「は?」
まだ夢の中か?と思って、間抜けな声が出た。
「戦場から帰ってきたら、病気で寝込んでいると聞いてな。服も着替えずに来てしまった」
言われてみれば、旅装姿のペトルスだ。いつものゆったりとした私服ではない。
「……え」
本物、なの?
「顔色はいいようだな。まあ、起き上がれるようになってよかった」
穏やかに笑うペトルス。
「夢じゃ……、ない?」
「なんだ、まだ寝ぼけているな」
「え、えええーっ‼︎」
目覚めたテオドラから悲鳴のような声が上がる。
「な、なんでうちにいるの⁉︎」
「アナスタシアに入れてもらった。クレーテーも熱が下がったから大丈夫だろうって」
「そーじゃなくて‼︎」
思わず半身を起こしたテオドラから毛布がずり落ちて、上半身があらわとなる。
はっとして毛布を引き上げ、頭から毛布をかぶる。
「何、どうした?今さら裸を隠す仲でも……」
「そっちじゃないわよっ!」
「じゃあ、何?」
「………顔」
「顔?」
「化粧よ!化粧‼︎
テオドラの声が、段々と小さくなっていく。
「あー、でも、ドーラはすっぴんでも悪くないと思うが」
「見たのっ⁉︎」
「そりゃもちろん。だって素顔で寝てたわけだし」
「………最悪」
娼婦にとり、化粧は武器だ。いや、世の女性なら多かれ少なかれ、その感覚があるのが一般的だろう。
そしてテオドラはその思いが強い方だ。化粧をし「
裸を見られることより素顔を見られる方が、抵抗感は大きい。
「……そんなに嫌だったか?だったら謝る」
テオドラが本気で困惑しているのが分かったのか、素直に謝ってくるペトルス。
『ホント、こーゆーとこなんだよねぇ……』
歳上の貴族の男、しかも帝国の権力者なのに、娼婦に頭を下げる。
こんな態度を取られて突っぱねられる女がいるだろうか。
「もういいわ。すっぴんを見られちゃった以上、隠してもしょうがないし」
もともと割り切りはいい方だ。被っていた毛布から頭を出す。
「執政官サマに家に来られちゃ、断る事はできないでしょ」
悲鳴で気がついたか、クレーテーやコミトが部屋の前に来て不安そうに2人を見ていたので、まずは安心させなくてはと思い、大丈夫、という意味を込めて姉妹に手で合図する。
「せっかく来てもらったけど、お店じゃないのでなんのおもてなしもできないんだよねぇ。あ、ワインくらいならあるけど」
「いや、いい。見ての通り戦場から帰ってきたばかりで、一杯飲んだらそのまま寝ちまいそうだ」
だが、言うほど顔に疲れは見えない。どちらかと言えば普段より明るいくらいだ。
「で?」
「で?とは?」
テオドラの言葉足らずの疑問系に、ペトルスも軽く首を傾げ疑問系で返す。
「旅装も解かずにあたしの家に来たんだ。なんか急用があるんでしょ?」
「それそれ」
我が意得たりとばかりに、ペトルスは笑いを深くする。座っていた椅子を引きずって、テオドラの寝台に近づける。
「ドーラさ、俺と結婚して皇后にならんか?」
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