第21話 戦争の影(3)
「テオドラ様?手が止まっていますが」
「ああ、ごめん。ちょっと考え事してた」
老ヨハネスの指摘を受けて、テオドラは我にかえる。ペトルスとのやりとりを思い出していたら、食事が止まっていた。
「報告を続けても?」
「お願い」
「はい。先月までの売り上げは好調でしたからまだ余裕はありますが、今の状態が続くようでは厳しくなります」
「あー、2ヶ月前からの『戦争特需』は確かにすごかったよねぇ。休みの子も動員してのフル対応だったもん。場所足りなくて、舞台にも机用意してさ。おかげであたしは全然踊れなかった」
これはアナスタシアだ。踊り命の彼女からすれば、舞台に立てないのはストレスが溜まっただろう。
「『戦争特需』とは面白い言い方するわねぇ。でも言い得て妙かも」
ペトルスとの密談を経て、「戦争があるかもしれない」ということをスタッフに広めさせたら、その翌日から店に行列ができるようになった。
戦場に赴く貴族、軍士はもちろん、商人にとっても戦争情報は売上に直結する。その情報が真か否か。真としても、規模は、時期は、場所は……など、確かめたいことは山ほどある。
テオドラもそれが分かっているから、情報を小出しして引き伸ばす。
「結構大掛かりな戦になるみたい」
「1ヶ月から2ヶ月先じゃないかなぁ。始まるのは」
「相手は東、メディア人っちゅー話らしいわぁ」
「今月末の戦車競技会?あそこで正式発表があるってさ」
「執政官様が総大将なんやてねぇ。気合入ってる証拠や」
「なんでも正教信仰をやめて、拝火教徒になれぇって言ってるらしいじゃない?メディアの人」
「失礼しちゃうわよねー」
「教会も全面支持するって。『これは拝火教徒との聖戦だあ‼︎』って」
盛り上げるための多少のデマも織り交ぜて、せっせと戦争情報を広げた結果が先月の戦争特需につながったのだ。
だが、いざ軍が出征すると、執政官と一緒に戦場に赴く貴族や元老院議員、軍に物資供給する御用商人などが帝都を離れた。
物価高、さらには聖戦を叫ぶ正教会の妨害もあり、ここ半月、店は閑古鳥が鳴いている。
「それでもまだウチは、爺やのおかげで値上がり前に消耗品を抑えられたから、まだマシだよね」
「恐れ入ります。でもそれも、ペトルス様の事前情報があったからこそです」
テオドラの言葉に、軽く頭を下げて答える老ヨハネス。
戦争があるらしい、と情報が流れてから、じわじわと諸色の値段が上がっていた。
先月末の戦車競技会でのペトルスによる戦争宣言の頃が最高潮で、酒や食品も倍近くに跳ね上がっている。
だが、いち早く情報を得ていたヨハネスは値上がり前に動いて仕入れ先と交渉、多少の金額の上乗せをして先3か月分の酒や肉などを抑えていた。おかげで余り物があっても、赤字は相対的に小幅に済んでいる。
「とはいえ、この状態のままではすぐに前月分までの利益を食い潰します。なんらかの手を打ちませんと」
「……」
「出勤するスタッフを減らすか、あるいはいっそ、数日お店を閉める事もありかと」
「……」
「近隣の店舗では、その手段を取ってる所もあるようです。この状態ではうちでも…」
「テオ姉、大丈夫?」
アナスタシアに肩をつかまれ、揺らされてはっと我にかえるテオドラ。
「アナ、ごめん。なんかまたボーッとしてたみたい」
「体調、悪いんじゃない?」
「んー……、言われてみると、なんか体がだるいかも。ちょっと早いけど、『月のもの』が来た感じがする」
テオドラの生理はかなり定期的で、先月から数えれば数日ほど早いが、機械ではない以上、そういう事も時にはある。
「ならば、ある意味ちょうど良いかもしれません」
老ヨハネスはうなずきながら言う。
「店を休ませる口実としては、1番無理がないものです。折角ですから数日休まれては?」
テオドラの店では皆に生理休暇を認めている。テオドラの場合は稼ぎ頭で店の顔という事もあり、店全体を休みにしている。
「うーん、そうね……」
「休んじゃおうよ、ねっ。こんな開店休業状態じゃ、気合も入らないし」
アナスタシアも熱心にすすめてくる。彼女の場合、単純に休みたいだけな気もするが、何割かは姉の体調を気遣っているのも事実だろう。
正直、あまり考えがまとまらない。即断即決が持ち味のテオドラとしては珍しい。
それだけ体調が悪く、集中力が落ちているという事か。
ここは周りの意見に従っておくべきだろう。
「わかった。休みにしようか。
えーと、今日が水曜日だから、水木金と3日休みにして、土曜から開店することにしよう。爺や、それでどう?」
「わかりました。それでよいかと。各所仕入れ先に連絡入れます」
「私は、今の決定をスタッフに伝えます」
これはクレーテーの言だ。表情はないがテオドラの考えを理解し、先読みして動ける下使えとしては得難い能力がある。
「あたしらも手伝うよ。帰り道途中の家もあるし」
「うちも。どこに行けばいい?」
一緒に食べていた、他のスタッフからも声が上がる。
「みんな、ありがとね」
「水臭いねん。姐さんにはいっっつも世話になってるし、これっくらい大した事やないやん」
一緒に店を支えてくれようとするスタッフの気持ちは、素直に嬉しい。
一般に、この手の店のスタッフの仲は悪いことが多い。
それは収入が歩合制で、自分の客が落とした額のパーセンテージで手取りが決まるから、スタッフ間で客を取り合うことがよくあるからだ。
店のオーナーが売り上げのため、あえてスタッフを競わせる事も少なくない。テオドラも下積み時代によく見てきた。
そして客を捕まえるのがうまい彼女は、陰に陽に嫌がらせを受ける事も少なくなかった。
それが嫌で、この『青玉の酒場』では売り上げを個人ではなく店全体のものとして、出勤したスタッフの頭割りにしたのだ。スタッフが協力して店を盛り上げようとする所以だ。
そうなると、売り上げのいい者の不満が溜まりそうだが、売り上げトップは店長テオドラ自身。しかもペトルスが太客になってからは、売り上げの半分近くは彼女の稼ぎだ。その彼女が率先して頭割りをしている以上、感謝こそすれ文句など出ようはずがない。
ただそうなると、あくせく動かなくても同じ額もらえるならと手を抜く怠惰者が生まれるのが人間だ。その姿は一心に働くスタッフのやる気を削ぎ、足を引っ張る。
だから、テオドラはスタッフの採用の際にはその点を最重要視していた。容姿や客の評判の良いスタッフであっても、店への協力ができない者には注意を与え、それでも改善が見られない場合はやめさせる事も厭わない。
収入も待遇もいい『青玉の酒場』に入店したい者はたくさんいるのだ。スタッフもそれが分かっているから、注意で大抵は行動をあらためる。
結果、テオドラに協力的なスタッフで店は固められており、急な決定にも献身的に動いてくれるのだ。
テオドラの決定があれば動きは早い。
それぞれの役割が決まり、あっという間に3日の休みの通達の手順が決まる。
「後のことはやっとくから、姐さんは帰って寝とき」
「ありがと。そうさせてもらうわね」
ここは仲間の好意に甘えるところだろう。
テオドラもこの時は、これが大ごとになるとは考えていなかった。
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