第20話 戦争の影(2)

 2カ月ほど時間を戻す。


「戦争、するの?」

 テオドラは、杯を持ったまま深く椅子に腰掛けてるペトルスに聞き返す。

「ああ」

「東の、メディア人の帝国と?」

「ああ」

「でも、戦争は避けたいって言ってなかった?」

「避けたかったさ、今でもな」

 ペトルスの表情は暗い。

『青玉の酒場』にきた時に政治のグチを言うことはあっても、ここまで暗い顔を見せたことはなかった。それだけ不本意なのだろう。


「でも、メディア外交団に『交渉打ち切りを本国より打診されました。雌雄は戦場で決しましょう』と言われてしまえば、もう戦うしかない。向こうはやる気満々だ」

 そう言って、ペトルスは杯のワインを飲み干す。

「東とは貿易を盛んにしたい、と言ってたのにねぇ」

 すかさず、空いたペトルスの杯にワインの差し瓶を傾けるテオドラ。

「そうさ。領土を増やさず国を富ませたいと思うなら、交易を盛んにするしかない。メディア人にも話のわかる者はいて、実際折り合いはつきそうだったんだ」

「どこからか、横やりが入った?」

「多分メディア国内の強硬派だ。敵と見れば戦うしか考えない戦闘脳が、メディア皇族にもいるんだろうな。今までの苦労をひっくり返されて、メディア使節代表の表情も疲れた顔をしてた」

「リックスの顔も、お疲れって感じだわ」

「ホントだよ。うちだって戦闘脳族は少なくない。叔父さんだって軍出身だし、軍部と繋がっている側近も多い。アイツらは戦争して武功立てることが生きがいだから、その戦争に何の意味があるかなんて考えちゃいない」

 今日のペトルスのグチは長い。これは溜まったものを全部吐き出させるしかないわね、とテオドラは聞き役に徹しようと決める。


「そもそも、メディア帝国とは何でもめてるんだっけ?」

 テオドラはペトルスに、話の方向性を多少変えるような聞き方をした。

 それにあえて乗ったか、口元に笑いを浮かべる、いつものペトルスの表情になり「ここからは『物言わぬ葦』で頼むな」と断ってから話し始めた。


 ♢♢♢


 元をたどれば、6年前の皇帝就任時の和平条件にあるんだ。

 そう、俺がこの店に初めて来た時ドーラが話してくれた、あの3人の甥の皇帝後継レースの戦いのことだ。

 あの時、メディア側があっさりと賠償金、正式には貢納金か、を認めたのは何でだと思う?

 考えてみなよ。あちらからすれば身勝手な理由で戦争仕掛けられて、都市を取られたんだ。にも関わらず、負けを認めたような貢納金。先に言っとくが、メディア側には戦えるだけの兵力はあったからな。

 …‥なるほど、内部分裂か。そこを思いつくのはさすがドーラ、と言っておこう。

 確かに、メディア皇家内部でも皇位継承をめぐる対立はあった。だが、それをも一気に解決する提案を俺がしたんだ。


『実子のいない新皇帝の後継ぎとして、メディア公子を頂きたい』ってな。

 ……なかなか大胆な提案だろ?あちらさんも驚いた顔をしてたよ。今のドーラみたいに。

 だが、メディア第3皇子のホスローってのがなかなかの野心家かつ傑物で、しかも父帝からは気に入られていたから、後継者たる第1皇子との軋轢が生まれていたのは掴んでいた。

 うちだって、叔父さんユスティヌス帝はポッと出の繋ぎだったから、地盤強化を急いでいた。強力な隣国の支援は喉から手が出るほど欲しかったからな。

 結果、その野心家のホスロー皇子を叔父さんの養子にすることで密約はまとまった。

 ……ドーラの懸念はもっともだな。これが漏れれば『売国奴‼︎』といきりたつ輩は多くいただろう。

 だから、メディア側にも言い含んで貢納金の形を呑んでもらったし、俺の提案だ、帝都に戻ってすぐ粛清を始めたのも、その地ならしのためだった。


 ……俺か?これも誤解されてるんだが、本当に俺は後継者になる気はなかった。

 確かに、前皇帝崩御の際に元老院で多数派工作をしたのは俺さ。当時の切羽詰まった状況なら、方向性を示してやれば、叔父さんに支持を集まらせるのは難しくなかった。

 だが、これは叔父さんが皇帝になりたいと言ったからやったんだ。

 叔父さんには、拾い育ててもらった恩がある。皇帝という帝国最高位につき、そのまま人々に囲まれて亡くなることができれば、これに勝る恩返しはないな、と。

 だから、その後はメディアの皇子に任せて、俺は引退、悠々自適なんて考えていたんだ。


 だが、結局この案はポシャった。

 理由はいくつかあるが、1番大きいのは宗教上の問題だな。

 メディアのサーサーン皇家ってのは、元は拝火教の神官の出身でな。拝火教とは光の神アフラを至高神とし、火をアフラ神の化身と崇めるやつで……って、知ってるか。そういや、この店にもメディア人のがいたな。

 で、そのアフラ神のおかげで支配者になれたと信じていたから、改宗にどうしても同意しなくてな。

 でも、それではこっちが困る。うちの国教は正教だ。

 形式的とはいえ、正教の総本山である帝都大司教は皇帝から任命される。なのに、皇帝が異教徒では教会も納得できないだろう。

 それにな、そんな話し合いの最中に、メディアの第1皇子、第2皇子が相次いで亡くなってなあ。養子にと考えていた第3皇子が、メディア帝国の後継者になってしまったんだ。

 ……わかるよ、これがきな臭い話ってのは。あのホスローってのは切れ者の野心家だから余計に。あまりにも都合良すぎる死だからなぁ。

 けれど、他国の宮中内の話だ。俺たちから口を出すことは外交的にできん。ああそうですか、ご愁傷様です、と言うしかない。


 これで養子計画は立ち消えたが、両国の友好を考えれば何か代案が欲しい。

 それで次に持ち上がったのは、帝国後継者と目されるこの俺に、メディア皇女が嫁ぐ案だ。

 ……そんなに驚くことか?

 いや、確かに俺は女に溺れるタイプではないと自分でも思う。この店に来ても、ドーラと乳繰り合うよりこうして酒を片手に話す方が好きだからな。

 そんな俺でも、政略結婚として割り切れば最低限の行為はするよ。向こうだって業務の一環と割り切って嫁いでくるだろうしな。俺の外ヅラがいいのは知ってるだろ?

 でもそれはドーラたちだって同じだろう。金を払えば誰にも友好的なのも、仕事のうちと割り切ってるだろうに。

 ……こうして考えると、執政官なんて偉ぶっていても、やってることは男娼とあんまり変わらないよなあ。


 話がずれた。

 この皇女嫁入り案は両国で検討され、その方向で進んでいった。

 皇后なら異教徒でも構わないし、王宮内で拝火教の祭壇も設けるつもりだった。侍女や護衛も数十人単位で引き受けることも決めた。

 皇女付きの側近なんて、そのほとんどが間諜の任を帯びているだろうからな。こちらに敵意がないことを知ってもらうにも、大量受け入れする方が長く友好を保てると思った。

 メディア側でも嫁入る皇女の選定が進んでいてな。何でも14歳という30も歳下の少女で、聞けばおとなしい、年齢よりさらに幼く見えるという末娘が候補として上がっていた。

 俺に幼女趣味がありゃ楽しめるかもしれんがなぁ。……いや、冗談だよ、冗談。

 ……そんな蔑むような目は、娼婦にはふさわしくないですよ?テオドラさん?


 まあ、そんなどうでもいい話は置いといて。

 そこまで具体的に皇女嫁取り話は詰められていたが、しかし突然ご破算になった。

 案を練り、双方の上層部に計り、また案を突き合わせるから、ここまでくるのに5年かかってるんだぜ。それが向こうの鶴の一声でパァだ。徒労感は半端ないな。

 理由?結局、皇女嫁入りなんていっても、あちらからすれば人質と大差ない。

 貢納金を払い、皇女も人質では大国としてのプライドが、ってのが理由らしいが、それは充分配慮してこっちも色々譲歩したんだがなあ……。

 こうなると、こっちも態度が硬化するのはやむを得ない。メディア側でも強硬派が台頭、というか、新皇太子ホスローが国内を固めるために戦争を欲してるらしい。

 なかなか食えない奴だとは思っていたが、一度は養子入りしようとしたこっちを嬉々として攻めてくるんだからなあ。そういった感傷に振り回されないから、優秀な政治家ともいえるんだが。

 とはいえこうなれば、降りかかる火の粉は払わねばならん。


 戦争するなら、負けるわけにはいかない。

 今まで手綱を握っていた正教会をけしかけ、正教VS拝火教の『聖戦』ということを喧伝させて機運を盛り上げるつもりだ。

 ドーラたちにも徐々でいいから、メディアと戦争になること、そしてこの戦争は向こうの、メディア人の責任だということを広げて欲しい。あと戦争に否定的な意見を聞いたら、それも教えてもらえると助かる。

 ………うん。ドーラの懸念はわかる。あまり宗教対立を煽ると、いざ矛を収めようとするときに障害になりかねないってことは。

 でもなあ、聖戦って言葉は、敬虔な正教徒を動かすには最適でなあ。彼らからの『浄財』も戦費の足しにしないと財政的にも厳しい。

 ……ドーラとしては心配なんだな。まあ多少の暴走はするかもしれんが、それもこれも戦争に勝つため。できるだけ早く防衛線を築いて、あっちにこれ以上攻めても無駄と思い知らせることができれば戻ってくるさ。


 ……そうさ、皇帝代理として俺も出征する。正式発表は半月後かな。戦車競技大会があるから、そこで臨席して人々の前で告知する。そこまでに機運を盛り上げておきたい。

 ベリサリウスも連れて行くから、奴の彼女、ニーナだったか、にも謝っといてくれ。『筋肉さん』を君から引き離して申し訳ないって。

 あいつには将才を感じる。この戦いでは将軍に大抜擢するつもりだ。

 戦功を挙げ、凱旋将軍として帰還することを願ってやって欲しい。


 そしてドーラも。

 君と会い、こうして話す時間がなくなるのが、俺にとっては1番辛い。

 ……リップサービスじゃないんだがなあ。本音だぞ、これは。

 まあとにかく、行ってくるよ。

 君にも……、俺の無事を祈ってくれたら、嬉しい。








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