第7話 2人の時間(1)
執政官という役職は、かつて帝国が共和政をおこなっていた頃の最高官職として設置された。
その後帝政に移行すると、執政官の実権はほとんどなくなり、老齢の元老院貴族を皇帝が指名する名誉官職と認識されることが多くなった。
だが、皇帝が老齢で執政官が若い場合は、意味が変わる。
共和政の伝統を残すこの国では、必ずしも皇帝の子が後継とは決まっておらず、皇太子といった公的な後継者を規定する官職もない。
「副帝」というNo.2の役職もあるが、皇帝健在中の副帝指名によって、気の早い貴族が副帝に忠誠を誓い、結果国を割って内戦状態になる例が少なからずあり、ここ数十年は副帝は空席のままだ。
そうなれば、本来名誉職にすぎない執政官に若い近親者を皇帝が指名することで、皇帝後継として国内に認識させる意味合いを持つようになる。
皇帝に直系男子がいないとなれば、なおさらだ。
娼館にやってきた執政官、ペトルス=サッバティウスの場合もそれにあたっており、周囲は彼を有力な後継候補と見ていた。
♢♢♢
「けっこう広いな……」
部屋に入ったペトルスがつぶやく。
「執政官サマは、こういう部屋に入ったことがあるの?他の店?」
案内してきたテオドラが、意味ありげな表情を浮かべて尋ねる。
「俺も執政官なんかになる前は、同僚に連れられてこの手の店には来てたんだ。まあ東方属州にあった店で、規模も質も、この青宝とは比べられんが」
「寝床しかない休憩部屋も多いからねー」
テオドラは改めて部屋を見る。
細長い部屋だ。奥には2人で寝ても充分な大きさのベッドが置かれ、手前には小振りの卓と2つの木椅子。卓には注ぎ口と取手のついた素焼きの酒瓶、2つの酒杯、チーズや干し肉の盛られたつまみ皿。店のスタッフに事前に準備させてたものだ。
天上はさほど高くはない。木製の壁には、華美にならないくらいの蔦模様が描かれ、薄暗い燭台の灯に照らされていた。
寝室を飾り立てる習慣のない帝国としては、清潔かつ充分な内装といえる。
ピンキリだが、薄い壁で仕切っただけで隣のあえぎ声が丸聞こえの部屋、カーテンもなく、部屋前を通る者から行為が見えてしまう売春宿もあることを考えれば、かなり上等な部屋だろう。
帝国や正教会の建前としては、売買春は禁止されている。
だが人類最古の職業とされているだけに、為政者の禁止の目をくぐり抜けて細々と(時には堂々と)続けてきたのが、性産業の歴史と言える。
この帝国の場合、一階の酒場で偶然知り合った男女が、上の休憩宿でひとときを過ごす。その際男側が女性側に心づけを手渡すという暗黙のルールで、事実上の売買春は行われていた。
さらにいえば、正教会的には神の前で結婚の誓いしていない男女の契りは「
実際、身分を隠し、ひとときの出会いで「野合」している高位聖職者もいたりするのだ。民衆が従わないのも当然といえた。
「まずは飲まない?せっかく用意してもらったし」
テオドラはペトルスを誘う。
「まだ飲むのか?」
「夜はこれから、でしょ。下じゃ、執政官サマに気後れしてあまり飲めなかったし」
「よく言うなあ。俺の倍は飲んでただろうに」
「気のせいじゃない?」
いたずらっぽく笑うテオドラ。酒好きで、飲み負けたこともない彼女なら、まだ序の口の部類だ。
「まあ、すぐにベッドインしたいなら、それもありだけど?」
「……いや、俺もテオドラともう少し話したいかな」
「そうこなくちゃ」
テオドラは椅子に座り、酒を注ぐ。つられて若き執政官も座り、注がれた酒杯を受け取る。
「何に乾杯する?」
「そうだなぁ……2人の出会いに、かな?」
「うわ、定型文っ」
「定型文だからいいんだよ。それ以上の意味がないってことだから」
「そんなもん?」
といいつつも、「乾杯」と答えてテオドラは杯を飲み干した。
「あー、美味しい」
そして、テオドラは編み上げた髪を解き、軽く頭を振って量のある黒髪を肩半ばまで垂らす。
成人女性が髪を下ろす意味を分かっていての行動だ。少し目を見張ったペトルスを横目に、テオドラは椅子ごとペトルスに身体を寄せる。
「でさ、話って何?」
いきなり切り込むテオドラ。
「んー……」
ペトルスはすこし言い淀み、テオドラをチラッと見る。
「何?」
「いや、テオドラもかなり砕けた物言いになったなあって……」
「執政官サマが言ったんだよ?一階の酒場は人目もあるから仕方ないけど、個室に入ったら身分に気にしないで話してくれって」
「それはいいんだよ。てか、嬉しい。ざっくばらんに話そうと言っても、堅苦しい話し方しかできない奴も多いから」
壁を感じてしまうんだよ、とペトルスは軽く杯に口をつける。
「じゃあ、執政官サマは他に何をお望み?」
「それだよ」
「どれよ」
「執政官サマ、という呼び名。浮世の身分を忘れてっていうけど、肩書きで呼ばれると否応もなく、自分の立場を思い出す」
それはそうか、とテオドラも思いあたる。
客の中には肩書きで呼ばれたい者も(時には「総督」とか「将軍」とか、実生活よりも上の役職をあえて呼ばせる者も)いるが、リアルで高身分者の多くはそれを隠す傾向が強い。さらに本名よりあだ名や愛称で呼ばせることも多い。
「ベリサリウスだって愛称つけられてたし」
「ああ、『筋肉さん』ね」
アントニナが途中から「筋肉さん」とベリサリウスのことを呼び始め、最初は抵抗していた彼もなし崩し的に「筋肉さん」で返事していた。
ちなみに、ベリサリウスとアントニナの2人は隣の部屋に入って、一応護衛という形をとっている。とはいえ、隣りのあえぎ声がモロ聞こえの安い娼館ならいざ知らず、高級娼館をうたっている青宝の酒場では、防音もしっかりしている。
実は護衛と言いつつイチャついている、かもしれない。
「わかった。じゃあ、なんと呼ばれたい?」
「……そうだなぁ。何がいいかな?なんかいい呼び方ある?」
と、ペトルスはテオドラの方を見た。好奇心というか、テオドラを試そうとしている色が見える。
『そうくるのね。ならば』
社会的地位の高い人を相手にするようになって気がついたことは、娼婦にも教養やセンスを求めてくることが多いということだった。
古典文芸の会話や社会情勢の知識、時には気の利いた返しをすることで、他者との違いを見せる。自己研鑽が高収入につながるのは、娼婦という仕事であっても変わらないのだ。
「……
少し考えたテオドラが、小首を傾げて答える。
「幸運者、ね。それは当然、俺の経歴をふまえてのことだよな」
ペトルスのうかがうような顔に、ニコリと笑いうなずくテオドラ。
「テオドラはさ、どんな話を聞いている?君の知ってる俺の経歴ってのを話してくれないかな?」
「え、……本人の前で??」
いろんな客の質問や要望を受けたが、これは初めてだ。
自分の立志伝を滔々と話す客は腐るほどいるが、自分の経歴を相手に語らせる。究極のナルシスト?それとも……。
「別に脚色しなくていいからさ。俺の話が巷ではどんなふうに広がっているのかなあっていう、ただの好奇心だから」
面白そうな事を期待するその顔色からは、単なる称賛や追従を求めているのではない感じが読み取れる。
こうやって客の求めている言葉を、態度や言葉の端々から探るのも一流娼婦の技量だ。そしてテオドラは自分のその能力を信じている。
「わかったわ。ただ、あくまで噂話で聞いただけだからね。いろいろ間違いがあるかもしれないけど」
と、テオドラは語り始める。
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