第6話 娼館にやってきた男(4)

「これは一本取られたんじゃないか。ベリサリウス君?」

 執政官と呼ばれた男が、口の端を上げて言う。

「し、しかし……」

「ローマに行けばローマ人に従えって、ありがた〜い司教様も言ってる。ここではそれが自然なんだよ」

「ですよねぇ」

 と、2人の会話に入っていったのは、テオドラの脇に残ったアントニナだ。

「ということで、失礼しますわ」

 と、ささっと動いて、ベリサリウスの横にスッと腰掛けた。

「……なっ、おいっ」

 一種の職業癖とでもいうのか、許可なく身を寄せてきた者を振り払うように、近づいてきたアントニナに腕を上げたベリサリウスだったが、その目が驚愕で止まる。

「なんて美しい…」

 軽くとはいえ、丸太のような腕が飛んできたにもかかわらず、アントニナはその腕を両手で受け止め、なおかつうっとりした顔でその筋肉隆々の腕を撫で始めたのだ。

「贅肉なく引き締まって、もう見てるだけでもドキドキしてたのに、今こうして直に触れられるなんて………、うふふふふ」

「おいっ、止めろっ」

 慌てて腕を引っ込めたベリサリウスだが。

「あらぁ、もったいない。減るもんじゃないしぃ」

 上目遣いでのたまうアントニナ。


「ねぇ、力こぶ、見せてもらえませんこと?」

「な、なんで俺が……」

「このふっとい腕から盛り上がる二の腕………。うふ、うふふふふふ」

「おいっ、ばか、触るなっ」

「最近の男の人ってぇ、鍛え方が足りないんですよねぇ。残念。それに比べて、この堅い腕ときたら……」

「だから、俺は今仕事中でっ」

「これなら当然、胸板も脇腹もガッチガチですよねぇ……」

「話を聞けっ!」

「えいっ」

「のわあぁぁ!脇腹を突くな!」

「うふ、うふふふふふ」


「あのベリサリウスがたじたじとは……。あの子凄いな…」

 執政官と呼ばれている男の独り言のようなつぶやきを、いつの間にか横に座っていたテオドラが拾う。

「あの子はちょっと変わり種でしてね。それなりに裕福な家の出なんですけど、筋肉を愛でたいという一心で、この道に入ってきたんですよ」

子とテオドラは呼んだが、アントニナは今年で27歳でテオドラより歳上だ。

色っぽい表情と引き締まった身体、無礼とも取られかねない言動と物怖じしない性格。そして筋肉に目がないという指向を隠そうともしない。

 これで2人の子持ちというのだから、なかなか見た目では人はわからない。

「なるほど……、あの子は古代人の生き残りなのだな」

 古来、筋肉美を愛でる文化はこの世界では一般的だった。男性は大衆の前で全裸で運動して、その肉体を見せつけることも行われていた。

 正教の教えで、今は男女問わず肌を見せるのを抑えるようになったが、古代の街のたたずまいが色濃い帝都では、肌もあらわな彫刻やレリーフがたくさん現存している。

「それなりに需要あるんですよ、あれでも」

「確かにプロポーションはよさそうだが」

「あの子、身体を鍛えてますからね。乗馬もできるんですよ」

「ほう。女の身でか」

執政官と呼ばれた男は、あらためてアントニナを見る。


「わたしもそれなりに、筋肉育てるんですよ。……ほら力こぶ」

「……まあ確かに、女性にしてはある方か」

「でしょう?お腹も結構……」

「だーっ!服、捲り上げんでいいからっ!」

「え、それじゃあよく見えないでしょう?シースルーの服でも、筋肉愛でるには……」

「だから!仕事中なんだよっ!」

「あ、もしかして触りたかった?」

「違うわ!」

「結構、だ・い・た・ん」

「だから、話聞けって!」

「もぅ、ノリが悪いわねぇ。お酒入れた方がいいんじゃない?」

「……どうせ聞いてないだろうが、仕事中なんだよ、俺は。部下たちの手前もあるし」


「えー、その件ですが」

 2人の掛け合い漫才に、ヤボと思いつつもテオドラが口を挟んだ。

「部下の皆さんも困っているようで」

 テオドラに言われてベリサリウスが周りを見ると、3人の部下それぞれに2人の店の女の子がつき、体を寄せ酒を勧められてる姿が。

「ほんと、たくましい体よねぇ」「楽しみましょ」「えー、いーじゃん、飲もーよぉ〜」「イケる口やろ、じぶん」「ほんま真面目やねぇ」「でも、そーゆーストイックなところも、ステキ!」

 女の子たちの楽しげで、かつ煽る声が聞こえる。部下たちも困ったような、しかしまんざらでもない緩んだ顔をして、チラチラとベリサリウスの方を見ている。

「もういいんじゃないですかねー?お酒を口にしても。こんな店で頑なに拒む方が不自然ですし。隊長さんが飲まないと、部下の皆さんも飲みづらいでしょう?」

「そうそう。もうググッと」

 アントニナも加わり、ベリサリウスに決断を迫る。

「執政官……」

 困ったように護衛対象の上司を見るベリサリウスだったが、その上司はにやついた顔で酒盃を軽く動かすのみ。

 それで覚悟を決めたか、目の前に置かれた葡萄酒の注がれた酒盃に視線を移し、数拍じっと見つめたあと一気に杯を掲げて飲み干す。

「おおっ、イッキ」「すご〜い!かっこいい〜!」「お見事でした」

 執政官、アントニナ、テオドラがそれぞれ褒め称える。

 同時に周囲を素早く確認したテオドラは、ほっとした顔の3人の護衛役も酒盃を口にし、周りの女子に囃し立てられている姿を見る。


「やるね」

 不意に執政官と呼ばれた男がテオドラの耳に口を寄せて、小声でささやく。

「何がです?」

「またまた。君の仕込みだろう?部下の護衛役に店の女性をあてがって、うまくベリサリウスを転がして、あの頑固者を店のルールに従わせたようだな」

「さあ、どうでしょう?」

 テオドラはすっとぼけたが、内心は、気づかれてたんだとちょっと驚いていた。

 クレーテーには言葉をかけていない。ただ目で合図しただけだ。

 それを察しのいい彼女が汲み取って、店の女の子を強引に3人の護衛役につけさせて、酒に手をつけやすくする雰囲気を作る。

 テオドラとクレーテーの信頼関係がないと出来ない連携なのだが、そのわずかな仕草から、この男はそれを読み取ったというのか。初対面なのに。

 だが、テオドラの中では警戒心より好奇心が優っていた。

『執政官といっても、ただのお貴族サマじゃないのね。そういや、平民上がりだっけ……』


「ますます興味が湧いてきたな、君に」

 テオドラと似たような考えを、この男も持ったようだ。

「今日はずっといてくれるんだよな?」

「金貨で買われましたから」

 にっこり笑いながら肯定する。

「この早い時間で、上にあがるのは店的にルール違反?」

 再び耳に口を寄せて、小声で囁いてくる。

 「上にあがる」とは、この酒場で意気投合した男女が「自由意志」という建前で、2人きりでイチャつくための、2階から上の小部屋に行くということである。

「違反というわけではないですが…、出来ればもう少しこの酒場を楽しんでもらえればと。まだまだ踊りやコーラスもありますし、魚料理も御好評いただいております」

「そうか。ならばそれに従うも一興か。では、まずは女主人おすすめの魚料理をもらおうか」

 男は嫌な顔することなく、笑いを顔に貼り付けたままで注文を入れた。










 






  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る