Ⅰ.
†
「夕食はお気に召されましたか?」
「ええ」
テーブルを挟んで向こう側に、マクマナス卿が目尻を緩々と下げて座っている。左手奥に置いたワイングラスの縁を指先でなぞれば、キュイン、とハープのような清い音を奏でた。それがやけに滑稽に思えて、フィオナは少しだけ表情を和らげた。それを機嫌が良いと勘違いしたのか、マクマナス卿は口を開く。
「私の工場は如何でしたかな、伯爵殿」
それを聞いたフィオナは途端、冷たい色を深め、紫色の瞳を
「あの、伯爵。執事の方々は?」
テイラーが少々気後れしながらも、遠慮がちにそう訊ねると、彼は、「仕事だ」と只一言告げた。ごく小さな音を立て、彼はナイフとフォークを皿の上に揃えて置く。食事には殆ど手を付けられていない。
「さて。マクマナス卿、そしてテイラー君。私の仕事も済まさなくてはならないのでね」
「もうお帰りになられるのですか」
マクマナスは、ナプキンで隠されていた彼の表情を目にすると、思わず顔を引き攣らせた。
「口直しといこうか」
餌を前にした
獲物を引き摺り込んだ
餌食の喉笛に喰らい付いた
否、それよりも恐ろしい何か。
「私としては、もう少し面白い遊びであることを期待したんだがね。残念だよ」
フィオナは椅子を踏み台にしてテーブルの上に立つと、ご馳走の乗ったままの皿やワインの残ったグラスを蹴飛ばしては床に落として行く。陶器やガラスの割れる音が何層にも重なり、部屋に響き渡った。そうして道を作り、テーブル上、一直線にマクマナスの方に向かって来るのだ。それに面食らったマクマナスは、驚きと切迫する焦りとで、混乱に思考を占拠され、完全に動きを止めている。
「止めて下さい!」と伯爵を止めに飛びつこうとしたテイラーは、彼の踵に胸を蹴られ、あえなく転倒した。テーブルの端、マクマナスの目の前まで来て、未だ錯乱状態にある彼を見下ろしたのは、不気味で邪悪じみた伯爵。
「つまらんままごとは終わりだ、マクマナス卿。私にはまだ山積みの仕事が控えているのでな」
「な、なんのことだ!」
「貴様、口の利き方に気をつけろ」
やっとのことで絞り出した叫びは、乾いた喉をひりつかせ、尚のこと彼を恐怖と涙に濡れさせた。その様子を冷徹な目で、くだらん、とフィオナは吐き捨てる。食事中には外していた手袋を着けると、ステッキを握り、後方に振りあげた。
「残念ながら、貴様に逃げる
乱雑に振られたと思われたそれは、背後から迫っていたテイラーの顎を的確に直撃し、またしても彼を床へと縫い付けた。
「まぁいい。先に始末するものがある」
テーブルから身軽に降り立ったフィオナは、マクマナス卿が使っていたナイフで、服ごと彼を壁に貼り付け、フォークを眼球に突き付けた。情けない悲鳴を上げるマクマナスに、フィオナは心底嫌そうな顔をした。
「暫く黙っていろ。さもなくばお前の腐った眼球をほじくり出すことになるぞ」
失神直前のマクマナスを放って、フィオナはテイラーへと近付く。彼は再び立ち上がり、口から血の混じった唾を吐き出した。
「おや、随分忠義に固い犬だったのですね」
茶化した口調で発せられた言葉に、テイラーはぎりり、と歯軋りした。「嗚呼」と、納得したように言うフィオナの、曲線を描いた唇から言葉が紡がれる。
「犬ではなかったか。どちらかと言えば、飼い主側の人間だったな。テイラー・アルダーソン君」
マクマナス卿が腑抜けた声を上げているが、まあ、そうなるだろう。何故なら。
「君が、この貿易会社を使って麻薬取引に関与していた主犯だからね」
だんまりが、全てを肯定していた。沈黙のが降りた。そして暫くして、彼の肢体から力が抜け、諦念と瞋恚が肉体を占拠しているような、立ち姿へと変わり果てた。
「何故そう思うのです」
俯いたテイラーから、震える呟きが洩れた。顔が持ち上がる。今までの彼からは想像もつかない程の悪形相だ。眼前のフィオナを、焼き殺すように睨め付けている。
「何故だ! この糞貴族! 俺がいつ何したって言ってんだよ!」
吠えるに、フィオナは眉を顰めた。
「君、煩いね。もう少し、声のボリュームを下げて喋りたまえ」
「はあ!?」
一歩、フィオナが間を詰めた。テイラーの目付きは殊更険しくなり、フィオナは益々気味の悪い笑みを広げた。
「君はこの会社に入り、その実績で副社長にまで登りつめた。そして、この頭に脳味噌の詰まっていない社長に代わって運営を仕切っていた。そうだろう?」
テイラーと伯爵の距離は、もうステッキ一つ分程か。それよりも短いか。
「そして、会社を使って麻薬取引に手を出した」
「証拠を! 俺が犯人だっていう証拠があるのかよ!」
んふ、とフィオナの歯の隙間から、淑やかな憫笑が零れ、彼の猟奇的片鱗を顕にした。彼の白く長い指先が、ジャケットの下から取り出したのは、陶器でできた人形の玩具。それを見た彼の表情に、影が射した。
「ご丁寧に隠していたじゃないか。君にしては少々雑な隠し方だとは思ったが。まあ、相手がコレなら、分からんでもない」
嘲りの視線を、馬鹿な面をして話を聞いているマクマナスに投げやって、溜息を吐くように言う。ステッキの持ち手の角で玩具を破壊すれば、欠けた端からさらさらと白い粉が流れ溢れた。彼の手から、首の折れた玩具の人形がごとりと音を立てて落下し、砕け散る。
「君は見かけに依らず、几帳面で真面目。名刺の名前が一直線に書かれていたり、文字を均等な間隔を空けて書いているところにもよく表れている。給料明細も見たよ。正当に受領すべき副社長としての給料分にすら、届いていなかったようだね」
傍まで来た伯爵は、彼の周りを回りながら続ける。
「話していて分かったが、倉庫の中身や管理、出荷入荷の日程なども把握している君に対し、社長は自社のことを、まるで何も分かっていない」
芝居がかった仕草で首を竦め、フィオナは同情にも見て取れる
「商売をする者として最低最悪だ」
「……そうさ」
鋭い気を漂わす彼の
「こいつは俺から家族を奪って。それを忘れてのうのうと生きている。だから俺はこいつから全てを奪って……」
彼の言葉が途切れた。つ、とフィオナの指先が、テイラーの唇に当てられたからである。にっこり、そんな擬音が似合う甘い笑みで、彼に続く言葉を紡ぐことを許さなかった。
「すまないが、君が犯罪者に成り上がった筋道などに、これっぽっちも興味はない」
愕然。そして絶句する彼の顎を、フィオナはステッキの端で持ち上げて、憐れみ深い色を瞳に宿す。否、彼は面白がっているのだ、彼の陳腐な復讐劇とその滑稽な結末を。
「実際、騙された者が悪い。それは事実」
つらつらと喋る伯爵の赤い唇が、テイラーは怖い。
「安心したまえ。この失態の責任はお前の所為だけでは無い。そこでお座りしている、貴族の体裁だけ取り繕った駄犬と仲良く半分こだ」
そこから覗く牙のような歯が、テイラーは怖い。
蛇の如く鎌首をもたげて、とぐろを巻き、転落を待ちわびているのだ。蝶番の外れた鳥籠と同じ、と彼は言う。
「グラスから溢れたワインとも。一度動き出した歯車はもう、止められない。解き放たれたものを、再度内に押し込めることは難い」
ステッキのグリップ部分を彼が回転させれば、キン、と音がして、本体からグリップの部分が外れ、白刃が現れた。仕込みステッキだ。
「残念だよ、君には商売のセンスがあったのにね」
そして、嗚呼、と思い出したように彼は付け加えた。
「そう言えば。外の用心棒は無意味ですよ、テイラー君。私のバトラーは命令をきっちりこなして来る」
その妖しく鈍く光るそれを、うっとりと眺めてから、伯爵の紫の瞳が彼を捉えた。
「悪には悪の鉄槌を」
ビュシュッと肉を切る嫌な音が響いて、ひ、と掠れた悲鳴がマクマナスの口から出た。落下し、体から流れ出るそれでカーペットを赤黒く染める彼は、木から落ちた
「正気じゃない……」
マクマナスは必死に後退するも、直ぐ後ろは壁で逃げられず、気持ちだけが無駄に足掻く。
「貴様も随分と阿呆だな。騙されても文句は言えまい。社長という名に噛り付いた下賤の分際で」
怖い。怖い、怖い、怖い。全身を這いずり回る震えで、顎が鳴る。
「さしずめ、貴様は傀儡。糸に操られ、寂れたゴミ溜めで踊るのがお似合いだ」
彼の虚ろな
その
【戦うイケメンコンテスト】
最終選考22作品に残らせていただきました。
ありがとうございました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます