Ⅱ. 朽ちた果実

Ⅱ.




 地獄の手紙屋って、知ってる?


 ああ、知ってる知ってる、聞いたことがあるよ。


 噂でしょ。


 でも、本当にあるらしい。


 嘘、怖いじゃない。


 誰かが試してみたけど何も起きなかったって。


 私は本当に殺されちゃったって話、聞いたよ。


 じゃあ、事実?


 出鱈目デタラメに決まってる、殺害要望を受け付けてるだなんて。









「すみませーん……」


 店に一歩、遠慮がちに足を踏み入れた男は、ぐるりと店内を見回した。


「誰か、いらっしゃいますか」


 雑多な街の、家や店がひしめく区域に、その店は埋もれるようにひっそりと佇んでいた。

 古めかしい外観だが、一歩中に入ると、アイボリーで統一された清潔感ある壁紙に、綺麗な装飾のアンティークランプが店内を照らし、木目調の床には塵ひとつ落ちていなかった。受付テーブルを挟んで、バックヤードに続く扉があり、店の形に沿ってぎっちりと取り付けられた木製の引き出しが、やや圧迫感と閉塞感を感じさせた。大小様々なサイズの引き出しが整然と並ぶその様は、絶妙に明媚めいびなバランスを取っている。


 「はい」


 奥から出て来たのはズボンにジャケット姿の好青年が一人。ジャケット下には紺のポロシャツという、幾ばかラフさを感じさせる格好が、彼にはよく似合っていた。

 青年は気さくな笑顔を浮かべ、


「お手紙ですね」


 と訊ねた。笑うと、血色のいい肌にえくぼができて、愛嬌のある幼い顔つきになる。


「ええ」


 男は革の鞄から、二枚の便箋びんせんを取り出した。躊躇いがちに差し出されたそれを青年は受け取り、宛先に視線を走らせた。


「明日の朝には届きます」

「お願いします」


 そして二枚目の手紙を見て、にっこりと目尻を緩めた。一枚目の手紙同様真っ白な封筒で、切手も貼られた一見何の変哲も無い手紙だが、ただ一つ異なっていたのは宛名が無いところだ。

 青年の指が、封筒の角を撫でた。その所作を、男は目で追う。ただの一秒が、ひどくながく感じられた。

 男は鞄から花を一本取り出し、テーブルに置く。震える唇を、なんとか開く。外の寒さの所為なのか、怯えの所為なのか。血色は心なしか悪い。開いた口から、呼吸の息と共に言葉を押し出した。


「バズナガルの十三番地、白薔薇の園。……ラッセルズ婦人に御祝いのお手紙を」

「畏まりました。お預かりさせて頂きます」


 青年は白の手袋を嵌めた手で、二枚の封筒をトン、と揃えてテーブル傍にそっと置いた。


「あ、ありがとうございます」

「お気をつけておかえりください」


 尚も優しい微笑をたたえる青年の見送りを背に、男は体を縮こまらせながらそそくさと店を出て行った。

 曇りガラス越しに男の姿が見えなくなったのを確認して、青年は奥の部屋に声を掛けた。


「なあに?」


 姿を現したのは、テディーベアを抱え、可愛らしい薄桃色のワンピースを着た金髪の少女。くりくりとつぶらな瞳は、青年と同じ、澄んだ青色。


「レイチェル、他の手紙も持って来て。薔薇園に行くよ」

「うん」


 彼女は頷き、直ぐにパタパタとスリッパの音を鳴らせて奥の部屋に向かって行った。ロングの金髪が、ふわふわと揺れる。

 再び姿を見せた彼女の小さな腕には、数枚の手紙が抱えられていた。それらは青年が手にする手紙と同様、宛名がない。


「お兄ちゃん、この格好どう? ちゃんとした格好できてる?」

「うん。可愛いよ」


 兄の返事に満足したのか、つばのある帽子をギュッと被り、彼女は嬉しそうに破顔して足を弾ませた。深い赤紫の靴が、とんとんと軽快な音を奏でる。

 そんな妹の様子を微笑ましく思いながら、青年はポシェットの奥に手紙を仕舞い込んで、テーブルの上に置いたままだった花を、窓辺の花瓶に生けた。カラフルな色に埋め尽くされていた花瓶に、またひとつ、新しい色が混ざる。

 青年も、アイロンがかかった紺のシャツに着替え、妹に手を差し伸べた。手を握りあった二人は人波の中へと紛れ、人知れず目的地を目指す。


 彼らの足取りは軽い。人混みを縫った後、時に忘れ去られてしまったかのような薄暗い裏路地をくぐって、閑静な住宅街を抜け、丘を越えても、まだ遠い。子供の足には少々きつかろうと思われる距離だが、何度も行き来する彼らにとっては最早朝飯前である。二人の影が伸び、木枯らしに撫でられると若干肌寒さを感じる頃、一軒の素朴な家がつつましく建っているのが見えた。その玄関の扉を開いて中に入って行く。


 人気のないその部屋には、まるで誰かが先程までいたかのような生活感があり、暖炉にくべられた薪には仄かな温かみが残存している。どれも同じ道にしか見えない長い廊下を歩き、曲がり、そして下り、また曲がり、を繰り返す。

 その家はまるで蟻の巣の様に、地下にその空間を大きく広げていた。通りがけの部屋へや部屋べやのドアの隙間からは、木製のサイドテールと座り心地の良さそうなロッキングチェアが見えたり、異国の地図が一面に貼られていたり、かと思ば空き部屋だったり。もう何階層目かの地下層で似たような巨大な空間が広がる中、彼らは奥から手前から五番目の部屋の扉を開ける。

 そこは書斎であった。大きくも小さくもない、何の変哲もない部屋には所狭しと様々な本がずらりと背を揃えて並んでいた。下から数えて十二段目、端から三十と四冊目の青い背表紙の本を、半分程引き抜き、梯子を使って上段の本の順番を迷いなく並び替えた。

 そして再度青い本を元に戻すと、大きな音を立ててロックが外れ、本棚が静かにそして滑らかにスライドした。隠し扉だ。先の見えない、暗闇へと続く階段が現れる。書斎の隅にあるテーブルの引き出しの奥からマッチ箱を取り出し、一本擦って、本棚の一角に置いてある小さなランプに灯した。


「レイチェル、足元に気をつけて」


 二人分の足音が幾重にも木霊して、何処かを流れる微かな水の音と絡まって耳に届く。青年は、妹の手をしっかりと握り、先導するように入り組んだ道を降りて行った。

 階段をくだりきると、薄闇に真鍮のドアノブが突如として浮かび上がった。


「ラトルダ」


 戸を開け、青年がランプを持ち上げると、彼の名を呼んだ人物がひとり、座していた。仮眠でもしていたのだろうか。長いソファに全身を預け、胸の上に開いた本を乗せている。

 物珍しい服装に、高い位置で長髪を無造作に結び、その無精髭を生やした顔つきは引き締まっており、眼差しも鋭い。このような格好の人のことを、と呼ぶそうだ。


「今日も疲れただろう。レイチェルも。ゆっくり休んでいけ」


 紺に染まった袴から覗くのは、筋肉のついた胸板。傍らに、年季の入った鞘に収まった刀が立て掛けてあり、それを扱っていたのだろう彼の身体の至る所には、無数の傷痕が目立つ。

 西洋的な空間に異国の文化を調合させた、なんとも表情し難い部屋は、彼の謎めかしい奇怪さにマッチしていた。


「これ、手紙。今月はやたら多かったよ」

「おー、ありがとう。お代は家に帰ったらもう届いていると思うよ」

「わかった」

「良い子だ。今日は何やらきちんとしているようだが、この後用事でも?」


 手紙の内容を読む合間に、ソファに腰掛けたラトルダとレイチェルの服装を見てそう言った。


「今日はね、フィオナお兄さまのお屋敷でご飯食べるの!」

「ほう」


 彼は髭をさすりながら身を起こした。


「この前言っていた、定期的に食事に招いてくれる貴族か」

「うん。街で迷っているところを助けてから、とても僕らに良くしてくれるんだ」

「随分と義理堅いお貴族様だな」

「ご飯とっても美味しいの。それでね、よくプレゼントもくれるんだよ!」


 ラトルダは、膝の上に頭をのせて眠そうに目を擦る妹の頭を優しく撫でながら、目を細める。それから、茶碗から茶を飲む男に、意を決した表情を向けた。


「"轆轤ロクロ"さん。僕はこの仕事を3年続けています」


 なんだ、とばかりに轆轤は片眉を持ち上げる。


「僕ももう十とそこらです。何となく、どんな仕事なのかも察してきました。あの伯爵が何故あんなにも懇意に可愛がってくださるのかも、関係があるのかな、なんて、考えています」


 暗闇を背後に構える、大きな異人の男の眼光に怯むことなく、ラトルダは彼と対峙した。澄み渡った、曇りのない瞳だ。


「でも僕は、辞めません。決して。今はこんな手紙を運ぶだけでとてもいい生活をさせて貰っています。孤児だった頃には想像できませんでした。いつか、もし、この金額の対価を払うことになっても後悔はしないでしょう」


 彼の言葉を聞き終わった轆轤は、おもむろに立ち上がりラトルダの髪を何も言わず撫でた。


「聡い子だね、ラトルダ。君はこの先どんどん成長して、大人になっていくだろう。そして、様々な壁にぶつかるだろう。その度に君は、この仕事を、今の立場を使って、自分と妹を守れば良い。君は武器を手にしているんだ」


 いいかい、と彼はしゃがみ、視線が合う。


「伯爵に学びなさい。彼は生き方が上手い。そして何より面白い。君は何かを守るために何かを捨てるかもしれないが、得るものもある。彼から、四捨五入を学ぶといい」

「はい」


 ラトルダがその言葉を胸に刻み、頷くのを見て、彼は、よし、とまた頭をぽんぽんと撫で、立ち上がった。


「そろそろ時間じゃないか? ディナーに間に合わなくなるぞ」

此処ここに居ると時間がわからなくなるよ」


 そうラトルダはほっと安堵したように笑って、妹の手を引き、帰って行った。

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