I.
他の伯爵に話しかけられた彼とは、それで話が途切れた。フィオナも、隣に座ってワインを嗜むオスカーに声をかけた。広い肩と筋肉質の厚い胸板に、ベスト姿がよく似合っている。
「お前、ティリット伯爵はどうした」
「俺の銃は照準を外さねえよ。さっさと終わっちまったもんで、もう別の案件さ」
「仕事が早いな」
ぱん、と手で銃を撃つ真似をする彼の仕草を笑って、赤ワインを口に含んだ。芳醇で優しい香りが鼻腔を擽った。
この澱んだ空気が心地良い。シガーを口に咥え、グラスの代わりにキューを手にして、立ち上がるドリューウェット公爵の恰幅のいい体が視界を掠めた。にやけた
「使える駒はありがたく使わせて貰うよ」
そう紡いだ唇は、微笑を湛えるのであった。
†
後ろ姿を呼び止めれば、彼はゆるりと振り返り、男と正対した。その麗しい声が男の名を。ゆっくりと食むように、呼ぶ。
中性的で美しい容姿。紳士的な立ち振る舞い、艶麗な雰囲気。彼の纏う空気は、抗いようのない重力の様に強引な力で、図らずも人を惹きつける。マクマナスは自身が呼び止めたにも関わらず、惚けたように彼を眺めていた。怪訝な表情で片眉を上げる彼に気付いて、慌てて姿勢を正し、急いた口調で先日の礼を述べる。
「お陰で、なんとか経営も衰退せずに済みます」
「それは何より」
優雅に微笑んだ彼の右手に、そっとデザートが添えられたプレートが乗った。それを差し出したのは、ダウズウェル伯爵の毒牙の一人として有名な、ギルバート・V・エルドレッド。そして、彼の背後に立つのはジャスパー・G・オーデッツ、左側に立つのはグレン・E・ウィッキンズだ。
マクマナスは社交界に滅多に呼ばれることはないが、彼等の名は勿論のこと知っていた。フィオナ・レドモンド・ダウズウェルの補佐を務める、優秀な執事達。彼を護るように寄り添い、近寄り難い壁を作っている。その浮世離れした彼等の姿に萎縮してしまいそうになる自身を叱咤して、マクマナスは彼に笑いかけた。顳顬を伝う汗を、握り締めてくしゃくしゃになったハンカチで拭う。これ以上みっともない姿を、彼の前に晒してしまわないように。
「いやぁ、こんな敷居の高いパーティーに参加させて頂けて光栄です。私もとうとう貴族の仲間入りですかね、なんて。ははは……。実は今日、副社長と共に出席させて貰っているんです。是非ともご挨拶も兼ねて紹介させてさせていただきたい」
名を呼べば、溌剌とした声で返事をしながら、男がひょっこり顔を出した。沢山のご馳走が乗った皿を抱え、満面の笑みで現れた彼は、フィオナを前にさっと姿勢を正す。
「お初にお目にかかり光栄です、ダウズウェル伯爵。テイラー・アルダーソンと申します」
無邪気さが抜けきらない顔つきの彼は、敬礼でもしそうな勢いで胸元から名刺を取り出し、伯爵に差し出した。彼はそれを受け取って、ちらりと視線で舐めてから、すぐにグレンに渡した。
フィオナと向かい合ったテイラーは、居心地が悪そうに
テイラーの緊張がマクマナスにも伝わって来た。当たり前だ。目の前に佇む彼は、機械メーカーを切り盛りする実業家で、由緒あるダウズウェル家の
「私はフィオナ・レドモンド・ダウズウェル。以後、お見知り置きを」
「後日、貴殿の工場を見学させて貰おう」
「ええ、是非いらしてください。精一杯おもてなしさせていただきます」
弾けるような表情に闊達な口調を乗せて、テイラーは応えた。嬉しさが零れ落ちている、そんな様子に、マクマナスも安心混じりの笑みを洩らした。
「では、楽しみにしているよ」
そう言って去って行く彼の後ろを、執事達が追う。しかし、ジャスパーだけは少し足を止めて、上背のある腰を折るように屈んだ。何か、と疑問符を抱いて固まるマクマナスの耳元に口を寄せる。右眼を隠す、艶やかな黒の髪が揺れる。
「うちの主人は犬並みの嗅覚をお持ちでいらっしゃいます。ゆめゆめ、お忘れなきよう」
それは呪文のように、彼をその場に縛りつけるのであった。
†
「出迎えご苦労」
ダウズウェル伯爵がその足を運んだのは、マクマナス卿の所有する、海に近い街はずれの工場。広大な敷地面積を有し、各倉庫には買い取った様々な輸入品や輸出品がうず高く積まれ、所狭しと置かれている。案内をするのは、若手副社長、テイラー・アルダーソンだ。三十半ばにして副社長を任されるのだから、中々切れ者のよう。くりくりとした目と丸みのある童顔に加え、あどけない笑顔を振りまくお陰か、年齢よりだいぶ若く見える。
「右手に見えますのが、西棟第二倉庫です。その奥には北棟第四倉庫が、そして左手には事務所がございます。北棟には主に、陶器製品を収納しています」
フィオナの顔を覗き込みながら、すらすらと澱みなく説明していく。
「それから、あれが東棟の……」
場所から納品されている物の詳細なデータや管理方法まで、しっかりと把握しているようだ。
「これで粗方の説明は終わりです。何が質問はございますか」
彼はフィオナと執事達を振り返った。黒を基調とした紳士服を着こなして、ステッキをつくダウズウェル伯爵と、燕尾服を纏った彼の執事。整った顔立ちと洗練された所作が、優雅な雰囲気を醸し出す。
「ディナーを用意しております。私は準備をしに行きますが、フィオナ様も休憩されては?」
「君は戻っていい。暫くうろつかせてもらうよ」
「わかりました。では、本館の方に居ますね。準備が終わるのは、十八時頃になると思います。マクマナス社長もいらっしゃっるので、お待ちの間はご歓談でもなさっていてください」
了解した、と微笑んで、マントを翻しながらフィオナは踵を返した。石畳の道をブーツの踵を鳴らせて歩いて行く。立ち去ったテイラーの影は、既に見えない。
「さてと。お宝探し、といこうか」
夕陽に引き伸ばされた大きな影。そこから、二つの長い影がすっと分離した。革手袋をきっちり嵌め直し、フィオナはグレンと共に奥の倉庫へと向かう。
「足元にお気を付けて」
グレンの先導で、倉庫の中へと入る。彼は内ポケットからマッチ箱を取り出して、火を灯した。その小さな灯りを頼りに薄暗闇の中、壁伝いに一周しながら床や壁の音を聴き、隈なく目を光らせる。次の倉庫で、探し物は見つかった。外見よりも少々狭い倉庫の内装を、彼等が見逃すわけがない。壁をグレンが強引に引き剥がして、隙間へと身を滑り込ませ、外で待っていたフィオナを呼ぶ。間違ってもフィオナが汚れたり怪我を負ったりしないようリードしながら、奥へ奥へと進む。
フィオナの口許から、くつり、と気味の悪いような、色っぽいような笑みが零れ落ちた。木製の壁の裏には、隙間を挟んで頑丈な丸太を積み上げたもう一枚の壁。その堅牢な壁には、鍵の付いた鉄製の扉。
「おやおや。これは……さも開けてくれと言っているようだな」
「左様ですね」
グレンも可笑しそうに笑う。そして片膝をつき、鍵穴を覗き込みながら、指を鍵部分に這わせた。真っ白なハンカチを口に咥えて真剣な眼差しを注ぐ彼の様子を、フィオナは体重をステッキに預けて、ゆったりと眺める。
「どうだ」
「面倒な造りですね」
「手っ取り早い方法でいい」
「承知しました」
グレンは扉からと両手を離し、手を拭ったハンカチもポケットに戻してしまうと、立ち上がった。彼の身長には些かこのスペースは狭いようで、屈まなければ頭が天井についてしまう。
「危ないですので、フィオナ様はお下がりください」
「でかした」
一笑したフィオナの目の前で蝶番は弾け飛び、重い音を響かせながら扉が外れた。ひょこ、とグレンの隣に顔を突っ込んだフィオナは、ご満悦と言わんばかりに片眉をあげる。
「チェックメイトだな。グレン」
「チェックメイトですね。ご主人様」
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