ファミリーレストランと元彼女たち

 デートというのは緊張するのに、帰りたくはならないものなのだと改めて思った。もしかしたら酔っぱらうというのは、こういう感覚なのかもしれない。

 とにかく、俺と宵月実季はデートをした。場所は電車で三十分も離れたところだった。俺たちは映画を見て、ご飯を食べて、カラオケに行って、まぁ、それだけだったが、楽しい時間を過ごした。隣に可愛い子がいて、その子は少なからず俺に好意を持っているのだ。それを楽しめない男がいるとするならば、可哀そうな限りだ。

 だがそんな中でも一つだけ、黒くて丸い疑問がぽんぽんと、俺の心の中を跳ねていた。

 俺はこう彼女に尋ねたかった。

 君は友達のことを知っているかい?

 俺は十回以上、彼女にそう聞こうとした。だが、言葉には出せなかった。

 それは一体なぜだろう。

 俺は家に帰って、ベッドに寝転んだときにそう思った。

 なぜ友達のことを聞けなかったのだろう。

 親が夕飯だと言いに来るまで、俺はそのことを考えていた。だが、答えは出なかった。もし彼女に聞いたら、何かが壊れそうだな、そう感じたのを思い出しただけだった。

 風呂からあがり、濡れた髪をタオルで拭いていると、宵月からメールが届いた。タイトルには、今日はどうもありがとう。本文には楽しかった、また遊ぼうね、顔文字、ハートマーク等々。そういった見慣れたものがたくさん並んでいた。

 俺はそれに、顔文字も絵文字も使わずに返信した。

 もちろん、友達のことは言わない。ただ、次のアポイントメントを取っただけだ。

 だがそれは一体何のために?

 仲良くなるためか、もしくは自殺の理由を見つけるためか。彼女との交友が大事か、それとも自殺の理由を探し当てるのが先決か。……俺はどっちを重要視しているのだろう。

 椅子に座って、三冊の文庫本を眺めてみた。

 なぜ友達はこの三冊を選んだのだろう。何かヒントになるものはないだろうか。

 宵月からの返信メールが届いたよ、と、携帯が甲高い音を出して知らせてくれた。

 彼女と今度会えるのは火曜日のようだ。場所は、駅前の公園がいいらしい。

 俺は、それでいいよ、と返した。


 次の月曜日、学校に行くと元彼女のことがとても気になった。それは罪悪感に似た何かのような気がしたが、彼女は元彼女であり、今の彼女ではない。そして次の恋人は彼女ではなく、きっと宵月だ。だから決して罪の意識なんてものは感じなくてもいい。だが、やはり、気持ちが重い。

 授業と授業の合間では、紅根と目が合った。紅根は数秒俺を見て、視線を外した。何かあるのだろうか。

 俺はこっそり携帯電話でメールを紅根に送った。紅根は、何か進展があったか、と聞いてきた。俺は紅根と目を合わせ、首を振った。


 火曜日の放課後、駅前の公園のベンチに座っていると、宵月がゆっくりとこちらに向かってくるのが見えた。約束の時間を5分ほど過ぎていたが、気にはしなかった。俺は、彼女を待っている間、考え事をしていたのだ。彼女は脳みその隅っこに微かに存在していただけだった。

 もちろん、今は違う。俺は彼女に触れたいし、抱きしめもしたい。五感全部を使って彼女の体を知りたい。

 俺たちは公園から出て駅へと向かった。

「そういえばさ」と宵月は俺を見上げて言った。「連織くんって、本とか読む?」

「本。……普段は読まないなぁ。宵月さんは読むの?」

「うん。読むよ。あ、あと宵月って呼びにくくない? 実季でいいよ」

 実季。あまり下の名前で呼びたくないが……。

「実季ね。分かった」

「私も、下の名前で呼んでもいい?」

 ……これはかなり嫌だったが、仕方なく俺は頷いた。

「ヒロくん」

 宵月はそう言い、笑った。

 俺はそれに笑顔で答えて、せめて報酬を貰おうかと彼女の腕を取り、それから手を取った。

 宵月はそれに応えた。

「実季は、どんな本を読むの?」

「うーん。色々かな」

「例えば?」そう言ったときに、俺たちは例の本屋の前を通った。

「例えば……。うーん。ミステリだったり、純文学だったり」

「一番面白かったのは?」

「うーん」

 その後、宵月は海外の小難しい名前を言った。もちろん覚えられない。そして、全く内容が想像できない。さらに読む気もないし、興味もない。

「へぇ。読んだことないなぁ」

「ヒロくんは何読んだことあるの?」

 俺は彼女の言う「ヒロくん」に改めて嫌悪感を覚えたが、いつか慣れるかもしれないと、我慢した。

「うーん。ああ、最近、『友情』っていうのを読んだよ」

「へぇ」と宵月は目を大きくして言った。「結構、古いのが好きなんだねぇ」

「うーん。まぁね。でもやっぱり、俺に読書は合わなかったよ」

「そんなことないと思うなぁ。古いのが読めるなら、大丈夫だよ。今度、私がおすすめのやつを貸してあげるね」

 宵月は手をつなぐのをやめ、俺の腕に手を絡ませてきた。彼女の柔らかそうな体が少し近づいた。彼女は服を着ているが、俺にとっては服を三分の一脱いでいるように感じた。あと少しか。それともここからが長いのか。

 俺たちは駅を抜け、ファミリーレストランへと入った。ここにくるのは夏目冬子と来たとき以来だ。

 店内に入ると窓際の席に案内された。しかし、俺はそこにあまり座りたくなかった。というより、今すぐ店から飛び出したかった。

 案内された後ろの席に、夏目とその仲間たちがいたのだ。そして、その仲間の中にはもちろん元彼女もいる。

 宵月が席に着くと、俺も仕方なくそこに座った。だが、心は明らかにざわめいていて、何をどうすれば、全てがうまくいくのか分からなかった。

「お店の人も気を利かせてくれればいいのにね」宵月は可愛い顔を俺に近づけ、小さく言った。彼女も俺の動揺を見てとったのだろう。もちろん元彼女がいることは知らないはずだ。制服を見て言ったのだ。

「そうだね。でも、いいよ」

 幸い、俺の後ろに夏目たちがいる。彼女たちを視界にいれなくていいのは助かる。

 ウェイトレスがお水とメニューを持ってくると、俺たちは何を頼むか考えた。

「うーん。チョコレートパフェとチーズケーキどっちがいいかなぁ」

 その呟きに俺は、うーん、と応えた。正直、宵月が何を食べようがどうでもいい。夏目たちがいつから、ここにいて、いつ頃帰るのか、その方が気になる。

「カロリーも気になるけど、チーズケーキにしよ」そう言って宵月は視線をこちらに向けた「ヒロくんは?」

 はっきりと感じたし、何年経ってもこのことは覚えていられる。空気が凍る、時が止まるというのはあり得る話なのだ。俺の後ろの席から一切の音が消え、周りの世界がうんとうるさくなった。

 宵月はそれに気づいているのか、気づいていないのか、気づいていないふりをしているのか、一人だけ動いていた。

「ねぇ」と宵月が返事を催促したところで、俺は、じゃあチョコレートパフェにするよ、と返事をした。

 宵月が店員を呼ぶボタンを押したのと同時に、後ろの席で誰かが動いた。俺たちの席の横を、夏目が通った。続いて元彼女が通り、名前もよく思い出せない二人が通った。その一人は俺をちらりと見てから去った。

「……もしかして、何かあった?」

 宵月は少し頭を下げ、上目遣いで俺を見た。

 俺はただ首を振り、何も、と答えた。

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