紅根と妄想

 朝、十分ほど早く家を出た。たしか紅根は早い時間から教室にいるはずだ。朝に練習をやっているのか、一緒に学校に行っている友達が早いせいなのか、それとも他に理由があるのかは知らないが。

 なぜ俺がそれを知っているのか。それは一度ばかり、時間を一時間も間違えて家を出たことがあるからだ。不幸にもその日は親が子を置いて旅行に出発した日だった。まだ寝ている弟を置いて、玄関のドアに鍵を閉めたことをよく覚えている。

 学校に着いてからは担任が来るまで三十分くらい待つはめになった。そして鍵を貰い、教室でぼーっと黒板を見ていると、紅根が入ってきたのだ。もちろん俺たちは朝の挨拶なんてしなかった。お互い興味がなかったし、こいつは誰だ、あ、もしかしてクラスメイトなのかな、なんて思っていたのかもしれない。


 教室のドアを開けると、紅根が窓際の席に着くところだった。グッドタイミングというわけだ。だがしかし、不幸中の幸いという言葉があるように、幸い中の不幸というのもあるわけで。野球部に所属している二人がすでに教室にいて、二人ぺちゃくちゃと何かを話していた。

 ……せめて寝ていればいいものを。

 俺は廊下側一番後ろの席に鞄を置いて、椅子に座らずに、紅根の元へと歩いた。

 紅根は鞄を机の横にかけ、胸ポケットからイヤフォンを取り出しているところだった。

 俺は彼女の隣の席に座った。彼女は訝しげにこちらを見た。

「同じ中学校だったんだよね」

 俺は友達の名前を出すのを忘れてそう言った。

 しかし紅根は誰のことを言っているか分かっているようだった。

「そうだけど」三白眼の鋭い目がこちらを向いた。

「放課後か、電話でもいいから、あいつの」

「デートをしよう」彼女は俺の言葉を遮って言った。

「ん?」

「次の土曜日デートしよう。時間は午後の四時過ぎ。待ち合わせの場所は、神社前ね」

 野球部の声がいつの間にか止んでいて、その二人の視線を背中に感じた。

 彼女は椅子に座り、体をこちらに向けて足を組んだ。しっかりとしているが、太過ぎず、意外にもすらりとしている彼女の太ももが見えた。彼女はポケットから携帯電話を取り出した。

「メルアドと番号教えてくれる?」

 彼女の携帯電話にはピンク色をした可愛らしい熊のストラップがさがっていた。


 俺は紅根との会話をよく覚えている。それは中学時代に付き合っていた幼馴染との会話と同じくらいだ。不思議なもので、世の中には合う人間と合わない人間がいる。どんなに優秀で性格がよくても、一緒にいてなんだか居心地が悪いという人もいるし、反対に、どんなにクズで酷いやつでも、なんだか会話が弾むなあと思うこともある。これが、波長が合うというやつだろうか。彼女を思い浮かべるとき、俺はそんなことを一緒に考える

 俺は彼女に好意を持っていた。それは青春に付いてまわるような、浮ついているような気持ちではなく、単純に人間、もしくは生き物として好きだということだ。

 それと同時に、俺は一度彼女を抱いてみたいなと思っていた。それはあの太ももを見たときから思っていることだ。服を脱がせて、どういった乳房をしているのか、どういったアンダーヘアーをしているのか。そして太ももから足を眺めて、くるりと反対を向かせる。前とは反対に、踵からふくらはぎを見て、小ぶりなのか、また大ぶりなのか、もしくは大ぶりでも引き締まっているかもしれない臀部を見る。それから腰のくびれを見て、強い筋肉が詰まっているだろう背中を見る。俺は彼女を後ろから抱き寄せ、耳元に……なんて妄想を働かせたくらいだ。

 もちろん実行には移さないし、移せない。

 波長が合うのと同じように、セックスが出来るか出来ないか、恋愛が出来るか出来ないか、そういったものも世の中にあるのだ。可哀そうなことに。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る