友達と本
友達からは夏目が同じ中学校出身だとは聞いていたが、同じクラスにもう一人そのような生徒がいるとは聞いていなかった。たしか俺は「同じ学校の人はいるの」と聞いた気がする。すると友達は「あの子」と夏目冬子を見た。それだけだ。あの子と、あの子、なんてことは言わなかった気がする。なぜだろう。
そんなことを考えながら、俺は学校から友達の家まで歩いた。それが正しい帰宅路かどうかは分からなかったが、地図上では最短ルートだった。腕時計で時間を計ったところ、到着まで十七分強かかった。運よく赤信号に捕まらなかったら二、三分は早くつけたかもしれない。
友達が亡くなった日、校門で別れたところまでは何もなかったように思う。俺が「またな」と言うと、友達も「またね」と言ってくれた。それはその日だけではなく、前日も前々日も、どちらかが風邪か何かで休まない限り、そうだった。少しも変なことではない。つまり、急に自殺したくなったのなら(そういうことがあると聞いたことはないが)、あの日に何かあった可能性がある。もしかしたら、この帰宅路に答えがあるのかもしれない。あの日の完全な再現はできないが、それでも……。そう思い、俺は歩いた。だが、結果は、何かがあったのか、もしくは何もなかったのか全く分からないということだった。
俺は金曜日の放課後、担任に友達の家がどこにあるか聞き、線香をあげさせてもらえないだろうかと電話するために、電話番号も教えてもらった。俺は一度も、友達の家へやってきたことがなかった。家がどこにあり、どんな外観をしているのかさえ知らなかった。
俺は家に帰ると、制服のまま、教えられた番号に電話をした。電話に出たのは母親で、俺が率直に線香を上げたいと言うと、優しい声で俺の来宅を了承してくれた。
家は一軒家で、昔ながらの日本家屋だった。二階はなく、平屋建てだった。その代わりに敷地は広く、その隅には例の蔵があった。蔵の壁は白く、カビのようなものも外から見える範囲にはなかった。漆喰だと思うが、知識がなく、確証はなかった。ただきれいだった。
友達の家の周りにある家屋も同じようなつくりで、この地域は昔からある住宅街のようだった。
表札に友達の苗字が彫ってあるのを確かめてから、俺は敷地内へ入った。そして玄関前に立って、チャイムを押した。すぐにインターフォンから母親の声がして、俺は名を名乗った。
少しだけ待つと、玄関が開いた。友達の母親はきちんと化粧をしていた。
俺は仏間へと通された。そこには父親がいて、俺は頭を下げて挨拶をした。
「よく来てくれたね」父親は微笑んだ。「あいつも、うれしいだろうね」
おじさんはそう言ったが、俺には死の向こう側というのがあるのかどうか怪しんでいる人間だった。
「そうだと僕もうれしいです」
この言葉が精一杯のものだった。もちろん、あいつが喜んでいるのなら、うれしいが、それは誰も分からないだろう。
俺は仏壇の前に座り、線香に火をつけ、手を合わせた。写真の中にある、学生服を着て笑っている友達を、瞼の裏に残しながら、俺は、一人頭に思い浮かべた。
なぜ死んだ。何があった。俺はそれに関係があるのか。学校のことに関係しているのか。それとも全く関係がないのか。衝動的な自殺なのか。それとも計画的な自殺なのか、云々。
1分以上合わせた手を離すと、俺は両親の方へと顔を向けた。
母親も父親も少し目に涙を溜めているように見えた。
さて、と心の中で思い、俺は一つ二人にお願いしようと口を開いた。それは友達の部屋をよかったら見せてもらえないかというものだった。
なぜなら俺は、友達に貸していたものがあったからで……と、一度はそんなことを考えたが、その嘘を吐くことをやめることにした。俺は正直に、なぜ彼が死を選んだのか気になっている。もしかしたら、友人の自分にしか分からないことがあるかもしれない。だから、よかったら部屋を見せてくれないか、と頼んだ。
二人は顔を見合わせてから「いいですよ」と答えてくれた。
友達の部屋は、俺が通された部屋とは逆側にあり、その部屋は蔵に近い場所にあった。窓からは庭が見え、その先に蔵が見えた。
部屋にはベッド、勉強机と椅子、洋服ダンス、本棚があった。他にはテレビやラジオ、それほど大きくないオーディオコンポがあった。
部屋はよく片付いていた。友達の性格上、それはあり得ることではあったが……。
おじさんは、亡くなる前とほとんど同じ状態なのだと言った。つまり、部屋が片付けられたわけではないようだ。
それにしても綺麗だ。ベッドの上には、布団がめくれるわけでもなく、しっかりと整えられている。机の上には何も出ていない。カーペットの上にも、何もない。
俺はおじさんに、机の中や本棚を見ていいか聞いた。少し間があったが、おじさんは頷いてくれた。
椅子を引き、それから俺は一番大きな引き出しを引いた。中には何かの説明書やプリント、所謂書類が入っていた。奥まで見て、さらに何か特別なものはないかと調べてみたが、何もなかった。
次に右側にあった少し小さな引き出しを見てみた。入っているのは文房具と財布だった。こっそりと財布の中身を確認した。入っているのはお札が数枚と、どこかの店のポイントカードだけのようだった。
その下の引き出しはどうだろう、そのまた下の引き出しは……そうやって見ていったが、気になるものはなかった。教科書やノートを覗かせてもらったが、そこにはうまく整えられた黒板の写しがあるだけだった。
本棚はどうだろう。俺は友達の両親に見られながら、本棚の前に移動した。本棚は一メートルもない小さなものだった。棚には漫画本が数冊と中学の卒業アルバム、そして文庫本が三冊あった。文庫本には、本屋の名前が書かれた紙製のカバーが付けられていた。本で埋まっていない部分は、CDで埋まっていた。クラシック、ジャズ、ポップ、ロック、パンク、メタル、スクリーモ、クラブミュージック、演歌。友達は音楽と呼ばれているものなら何でも聴いていた。ああ、そうなんだよ。彼は音楽が好きなんだよ。本じゃない。
俺はカバーに隠れて見えなかった文庫本を手に取り、三冊全てのタイトルを読んだ。『若きウェルテルの悩み』『はつ恋』『友情』。
「小説を読むやつだなんて、知りませんでした」
「そうね」とおばさんは少し考えるように言った。「その本は最近増えたものかもしれない」
俺はページをぱらぱらとめくった。三冊とも、最初のページに紙のしおりが挟まっていた。
俺は少し考え、これを借りてもいいかと聞いてみた。もし最近買ったものだとするならば、本に何かヒントがあるかもしれない。
おじさんは一度、おばさんと目を合わせ、頷いてくれた。
次に俺は卒業アルバムに手を伸ばした。香月君というのがどういった男子なのか気になった。
俺は、失礼します、と言ってアルバムを開いた。そして、友達が何組で、香月君という男子のことを知っているかどうか聞いた。
友達は三組だった。そして、香月君が何度か家に遊びにきたことがあると教えてくれた。
三組を見た。三組には今より、いや、ほんの少し前より、ほんの少し幼い友達がいた。それは、中学の学生服のせいかもしれなかった。そのクラスに夏目冬子がいて、彼女は長い髪を二つに結んでいた。醜いわけでなく、どちらかというと可愛らしい子だったが、写真でみても、やはり俺は彼女にピンと来なかった。
俺は一組のページに戻って、香月君を探した。いない。次に二組のページを開いて、彼を探した。彼はいなかったが紅根がいた。クラスの一番小さな男の子よりも、体が大きいのが写真からも分かった。動いている彼女より凛々しい表情をしている。……夏目よりも彼女の顔のほうが俺は好きだ。だが、だからといって何かを仕掛けようとは思わない。何かあったら殴られそうだ。殺されそうでもある。
次は四組だ。俺はページをめくった。香月君は一番左上から右に四つ移動したところにいた。坊主に近い、短いヘアスタイルの男子だった。顔は割と男前かもしれない。
「これが香月君ですか?」と俺は念のためおばさんにアルバムを見せた。
おばさんは、そうよ、と頷いた。
そうか、この男が香月君か。……見たことはないな。あいつの口から聞いたこともない。だが、覚えておこう。
卒業アルバムを元の場所に戻し、俺は二人に向きなおった。
「パソコンは持っていたのですか」
個人のでもいいし、家族共有のものでもいい。俺はパソコンの中に、秘密のデータがあることを期待した。
しかし、おじさんとおばさんは首を振った。家にパソコンはなかった。
おばさんは、俺が何も入れるものを持っていないのに気付いて、小さな紙バッグに文庫本を入れてくれた。俺は何度も頭を下げ、また返しにくるときに連絡しますと言いながら、玄関を出た。
敷地から外に出るまで二人はこちらを見ていた。別にそれがおかしいことだとは思わなかったが、二人が息子を見送ることは一生ないのだと思うと、とても悲しくなり、同情のような感情を覚えた。
塀の向こう側にある蔵を見ながら俺は歩いた。蔵の中も見たかったが、さすがに言いだすことはできなかった。もしかしたら、二人もあの日以来、そこに入ることができないのかもしれない。そんな二人に、ぜひ見せてくれとは言えない。俺にだって、分別だとか、礼儀だとか、常識のようなものは持っている。いやいや、お前はそんなもの持っていないよ、と言う人はいるだろうが。
俺は友達の家から、もう一度、学校へと向かった。今度は通学する気持ちで移動する。
帰宅路と同じ道だが、それとは少し違って見える景色が、ゆっくりと流れていく。友達は通学路と帰宅路、どちらが好きだったのだろうか。なんとなくだが、俺は通学路の方が好きだ。それは一度も信号に捕まらなかったせいもあるかもしれない。
学校の校門前に着くと、今度は駅の方向へと向かった。駅前には、この文庫本のブックカバーに載っている名前の本屋があったはずだ。友達がそこで買ったかどうかは定かではないが、行く価値はあるだろう。
最寄りの駅には五分ほどで到着した。近くのスーパーには多くの人が出たり入ったりを繰り返していた。俺は駅前の広場を通り、本屋へと歩いた。
本屋に人はほとんどいなかった。女性客が一人雑誌コーナーにいて、小学生男子一人がコミックコーナーにいた。俺はレジにいた店員さんに話を聞くことにした。
少し聞きたいことがあるのだと言うと、眼鏡をかけた若い女性の店員さんは、どうされましたかと俺を見上げた。俺はこの本がここで買われたかどうか知りたいと、紙バッグから三冊の文庫本を取り出した。
店員さんは、本をお預かります、少々お待ちくださいと、奥にある扉へと引っ込んだ。はたしてレシートも無しに、ここで買ったどうかなんて分かるのだろうか。
レジの横にはポイント会員入会のお知らせが出ていた。もし友達の財布の中に入っていたポイントカードが本屋のものだったとしたのなら……。もっと調べておけばよかった。
俺はレジ近くにある雑誌コーナーへと向かい、何か面白そうなものはないかと探した。女性誌から始まり、料理本へ、それから裁縫や家電、インテリアと続いた。そのあとに男性誌があり、次にスポーツやアニメ、カメラ、鉄道など、マニアックな雑誌が続いた。だが、どれも俺の好奇心を刺激しなかった。ページをめくってもそれは変わらないだろうと思う。
しばらくすると奥から店員さんが出てきた。俺はそれを見て、レジへと戻った。
本の一冊はここで買われたものということだった。その本は「友情」だった。いつ買われたのか分かるかと聞くと、九月の最初の頃だと教えてくれた。他の二冊はおそらくここで買われてないらしい。
では、他の二冊はどこで買われたのだろうか。この辺りに同じ名前の書店があるのだろうか。
そのことを聞くと、近くではないがあると教えてくれた。そこは学校から歩いて30分もかかるところだった。
そこへ行くべきかどうか、俺は迷った。いや、行こうとは思うが、果たして今日行くべきか。正直、歩いて行くのはきついし、家に一度帰って自転車で行きたくもない……。今度にしようか。
どうもありがとうございます、と言い、俺はレジから離れた。店員さんが少し不思議そうにこちらを見ている気がした。
家に帰ると、さっそく俺は本を開いた。果たしてどのくらいで読み終えられるのか。読書をしない俺にとって、この課題はほんのりと苦痛だった。それでも友達の自殺と関係があるのなら、読まなければならない。
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