第45話 女神様

「神様は……、下着をつけないものなんですか?」


「っっ、え、ええまあ。ここには女神しかいませんし、互いにコミュニケーションを取ることもありませんので、いっそ裸でもいいんですけど……、

 男性を呼ぶにあたって、対策を考えていませんでした。

 なので、あまりこちらを見ないで頂けると……」


「はあ、まあ別に。神様が裸でも気にしませんけど」


 どちらかと言えば納得した気持ちの方が強い。

 神様は服なんて着ない。


「あなたが良くても私が恥ずかしいんですっっ!」


 と、神様にしては器が小さい発言が飛び出した。


 神様もそういうことを気にするのか……ちょっと親近感が湧いた。


 同時に、ゾッと背筋が凍る感覚。


「……兄さん? 鼻の下を伸ばしてますね」

「そんなことは……」


 一瞬だったが、裸の上にレースの布を纏っただけの金髪美少女の姿が、強烈に映像として残ってしまっている。無意識に表情に出ていたとすれば、妹が見逃すはずもない。


「天色が一番だよ」


「どうだか」


 ふんっ、と視線を逸らされる。

 うーん、まあ、予想通りの反応だ。

 生前もクラスメイトと軽く挨拶を交わしただけで、不機嫌になるような妹だ。


 向き合ってはいない、とは言え、女神様の両手が俺の顔を横から挟んでいるこの状況は、かなり距離的に近い接触だ。

 言葉を交わす以上の重罪。

 加えて言葉も交わしているため、重罪が積み重なっていく。


 相手は神様だぞ? という説得も通用しないだろう。

 たとえ相手が小学生や幼稚園児だろうと、妹は面白くなさそうな表情を浮かべるのだから。


「嘘じゃないよ。だって俺はお前のことが一番――」

「そのことなんですけど、いいですか?」


 生前にできなかった告白をやり直そうとしたら、女神様に止められた。

 多少はむっとしたものの、確かにいま言うべきことかと考えたら、ムードもなにもない。


 妹のご機嫌を取るために言っただけ、とも取られかねない状況では相応しくなかった。


 それに女神様がいち早く気付いて止めてくれた……わけではなさそうだ。


 俺の顔から指が離れていく。

「振り向かないでくださいね?」――うんうんと頷く。


「お兄さんの告白の前に、私からお話をさせてもらっても?」


 お兄さん……と神様に呼ばれると変な感じだ。


 その呼び方も妹は怒るはずだけど、相手が女神様だからか、不満の声は上げない。


「はい、どうぞ。説明は、してほしいですからね」


 俺と天色がこの世界にいる理由。

 天国でも地獄でもないなら、どうしてここにいる?


 死者が全員、ここにくる決まり、ではないようだし、

 俺たちは特別扱いされていることになる……。

 その理由を知らないまま、とても来世にいける心境じゃない。


 来世があるのかどうかも分からないけど……。


「とりあえず自己紹介ですね。私は女神・マイア」


「……どうも」


 一応、言っておくが、俺と女神様は向き合っていない。

 後ろから女神様に自己紹介をされている状況だ。


「お兄さんの背中はなんだか落ち着きますね」


 女神様の指先が俺の背中をなぞる。


「ちょっ、くすぐ……っっ」

「あはっ、びくってしましたね」


 楽しそうな声が後ろから聞こえてくる。

 意外と子供っぽいところがあるのか……?


 さっき一瞬だけ全身を見た時、

 下着の有無に目がいき過ぎて、顔立ちはあまり確認していなかった。

 女性であることは分かっても、細かい年齢までは分からなかった。

 いや、神様だから見た目と年齢は必ずしも紐付けされているわけではない……?


 見た目は参考にはならないのかもしれないな。


「ぴーっ!! ……です、兄さん」


 ホイッスルを吹くように声を出して、妹の警告が飛んでくる。


「あとマイアも……調子に乗るな」


「ご、ごめんなさい……」


 女神様が、しゅん、とうなだれているのが背中越しでも分かる。


 妹が女神様を手懐けていた。

 ……妹の干渉力はどうやら人の域を越えたらしい。


 俺が目覚める前、妹と女神様の間にどんな会話があったのか、

 気にならないと言えば嘘になるけど、聞いても教えてはくれないだろう。


 教えてくれたとしても、それが真実とは限らない。


 きっと、それっぽい言葉で誤魔化されて、丸め込まれるだろう。


「ええっと、お兄さんが目覚める前にですね、私と妹さんで少しお話しまして」


 そこで仲良くなったのか……、友達って感じはしないが。

 既に上下関係が出来上がっているのが気になる。


「そこで、ある取引きが成立しました」


「取引き?」

「はい」


 すると、妹の天色が裸足でぺたぺたと白い床(?)を歩き、俺の目の前へ。


 それから屈んで、目線が合う。


「兄さん。兄さんはわたしのことが一番……なに?」


「それは……」


 ムードもなにもない中で、今、俺に告白しろって言うのか?


 天色も、俺の気持ちに気付いているだろう。

 言葉にこそしていないものの、互いの心の内はなんとなく分かるものだ。

 だって、兄妹なのだから。


 でも、今の妹の心の内は、まったく見えない。

 間違いなくこの場で伝えることは、妹の理想のシチュエーションとは程遠い。

 女神様とは言え、他人がいる中での告白は、妹が一番嫌うことだと思っていたからだ。


 それでも、「言って」と駄々をこねるような言い方に、応えないわけにはいかない。


「言ってくれないと、話が進まないんだもん……しょうがないの」


「分かったよ」


 内容は割れていると言っても、いざ伝えるとなるとやはり緊張する。


 口内が渇く。妹も妹で、視線を左右に振って、落ち着きがない様子だ。


「…………」


 しん、と音が止んでいる世界。

 自然音さえもない空間は、時間感覚を狂わせる。


 何分経った? 何時間? やばい、早く言わないと――、


 両肩から伝わる体温に、緊張が一瞬だけ解けた。


 その瞬間に、自然と口が動く。


「天色が、好きだ」


「っ、に、兄さん……」


「俺たちは兄妹だ。付き合っても、結婚はできない……、でも、俺はそんなこと関係ないって思ってた。たとえ結婚できなくても、子供も作れなくても、天色と一緒にいられたら、それで幸せなんだ。だから、これからもずっと一緒にいてほしい――」


 同じ墓に入りたい……という願いはもう叶っているのだろうし、

 こうして死んだ後に言うと茶化しているように思われるだろうけど……本音だ。


 妹に看取られたい。

 だから、その時まで一緒にいてほしい。


 それが、俺が抱えていた気持ちだ。


「俺と、付き合ってくれ、天色」


「――はい」


 天色が頷いてくれた。

 だけど緩んだ妹の表情が、すぐに引き締まった。


「――本題はここからです」


 俺の両肩に手を乗せていた背後の女神様が言う。

 そう言えば、取引きを交わした、と言っていたな……天色と。


 それと、俺の告白がどう繋がるって言うんだ……?


「兄さんに質問。本当にわたしのこと、好き?」

「当たり前だろ、好きだよ」


「本当に?」

「本当に。俺の全部を渡せるくらいには、好きだ」


 一度言ってしまうと、もうなんの抵抗もなく、好きと言えるようになる。

 ただ、あんまり言うと、一度の好きに重みがなくなっていく感覚がある……。


「……なんだか軽い言葉に聞こえてきた……」

「何度も言わせるからだと思うぞ……」


 俺が思っていることは当然、妹も思っている。

 俺が気付いたことに、妹は随分前には気付いているものだ。


「うん。だからね、兄さんがわたしのことを好きだっていうのは、信じるよ」

「じゃあ、付き合う……で、いいんだよな?」


 俺たち死んでるけど、来世では一緒にいられる……ってことなのだろうか?

 女神様と交わした取引きが絡んでいるのだろう。


「付き合うのは、まだダメ」

「……え?」


「兄さんを疑うわけじゃないけど、証明してほしいの」

「証明……?」


「うん。そのための取引きを、マイアと結んだの」

「女神様と? どういう――」


 振り向くと、右手で胸を隠し、左手で股間を隠す女神様の姿があった。


 あ……、と思い出した時には既に遅く、

 裸の上にレースの布を纏っただけの女の子の体を、ばっちりとこの目で見てしまっていた。


 女神様は、見た目だけで言えば、妹と同じ年代に見える。


 見えるけど……一部、差があるのは個人差なのだろう。


 女神様は涙目で、体を捻らせながら、


「む、向こう向いてて、お兄さん!?」


「え、あ、悪いっ、見惚れてた!」


 素直に口に出して、振り向くと、

「へえ」と俺を見下ろす妹が立っていた。


「一番好きだと公言しておきながら、見惚れていた、ですか……」

「あ」


「これは、手加減は必要なさそうですよねえ……」


「ひっ」と小さな悲鳴を上げたのは女神様だ。

 ……なんであんたがそんな反応を!?


「マイア。やっちゃって」

「で、でも、まだ説明をしてな――」


「ん、必・要・ないのっ」


 黒い笑顔の妹に押し負け、女神様が俺にだけ聞こえる声で謝る。


「ごめんなさい、説明は後でちゃんとしますから――」

「あの、危ないことじゃ、ないですよね……?」


「………………頑張ってください」


「あのぉ!? 危ないことじゃないですよねぇっ!?!?」


 そんな俺の抗議は受け取られず、全身が淡く光り始め――、


 真っ白な世界から反転、真っ暗闇に包まれた。

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