最終話 最愛の妹へ

 遥が病院に運ばれたのは一週間前――。


 鞠矢ちゃんが記憶を失い、日常へと帰還した日。


 鞠矢ちゃんと斬子が姉妹として仲直りできた日。


 僕がぼくの正体を思い出し――自覚したその日。

 

 アイファが音もなく気配なく消えた――あの日。


 そして遥が遥でなくなってしまった――あの日。


 つまりあれから一週間が経った今――僕は遥が運ばれた病院へ、やって来た。


 中に入り、受付の看護師さんに用件を伝える――すると、

「毎日熱心ですね」と言われた。

 とりあえず会釈しておいた。


 ――なんと、僕のことを毎日見ている看護師さんだったらしい。

 僕の顔――覚えられているのか。

 僕はあなたのことなどまったく覚えていないですけど。


 毎日、何十人と登場人物を見ているのだ――いちいち一人一人、覚えているわけもない。


 さっきの看護師さんのように――、僕を見てあいさつをしてくれる人は少なくなかった。

 まあ、一週間、毎日ここに来ているし――そりゃ覚えるか。


 そろそろ顔パスでいいんじゃないのかと毎回のように思うけど、

 やはりそこはきちんとしないといけないらしい。


 しかし、面倒と言えば面倒だ。毎回、受付に行くというのも面倒だ――、

 けれど病室に行く途中で出会った看護師さんは、


「お見舞いに来る人のことも見ているんですよー。

 病人を見て気分を悪くする人もいますからね。

 だから受付も、色々な意味で必要なんです」


 と説明してくれた。


「僕は――見てみてどうですか?」

「あなたは大丈夫そうですね。問題ないですよ」


 笑顔で言う看護師さんは――それから僕を見送ってくれた。


 問題はない――か。


 体調のことではなく、人格的なことを聞いたのだけど、さすがにそこまで読めるわけでもないか――そういうものは気づけないのかもしれない。

 気づいたところでデリケートな部分。

 あまり、干渉することはできないのかもしれない。


 自分のことだ――、自分でどうにかしろということ。自分でしか、どうにもできない。

 そんなところなのだろう――。


 利用しようとしたエレベーターは、一杯一杯だった。

 なので階段を使って上の階へ。


 そして、

「着いた」

 ――遥の病室に辿り着く。


 五階――二号室。


 結構、良い待遇で、個室だった。

 贅沢な奴め、と思うけど、これも仕方のないことなのかもしれない。

 大部屋にして人とコミュケーションをする――、それで回復する可能性も、ないこともないのだが……しかし今の遥はたぶん、逆なのだろう。親も、医師も、そう判断した。


 今の遥は、人との繋がりよりも、自分との重ね合わせ――それが大事。


 自分を見つめる時間――だからこその個室。


 遥と話すのは、しばらくの間は家族だけ――だから斬子に会わせるのも、鞠矢ちゃんに会わせるのも、もう少し後になりそうだ。そう言えば、それを斬子に言うのを忘れていたな……。

 あの時は頷いてしまったけど、お見舞いにいけるのは、まだまだ後になるだろう。


 けれど遥の精神状態が安定しているのならば、すぐにでも会わせられる――遥が会いたいと言えば、すぐにでも会わせる。親も医師も関係ない――遥の気持ちが、全てだ。


「――よし」

 僕は深呼吸をしてから、ノックする――、

「入るぞ」


 扉を開ける――中に入ると、遥が体を起こした。


 眠っていたらしい――どうやら起こしてしまったようだ。


「あ……、えっと、お兄さん、ですよね?」


「うん。お兄さん。遥と肉体関係を持っている、お兄さん」

「それは嘘だと分かります」


 すぐに否定された。ふむ――最初は嘘を吐いても、

「ほ、ほんとですか!?」と驚いて面白かったのに、

 最近は考える余裕ができたのか、回避の仕方が上手くなっている。

 まあ、嘘を吐き過ぎてなにも信じてもらえなくなったことに近いけど。


 まったく、嘘ばっかり……。そんな風に口を尖らせる遥を見る。


 ――遥は記憶を失くしていた。


 記憶喪失というやつだった。

 母親に父親に兄貴――家族のことも覚えていない始末。


 当然、友人のことなど覚えていないし、魔法少女のことも覚えていない。


 僕のことも――むるるのことも覚えてはいない。

 流れに乗って――魔女も同じく。


 きっと、トリガーはあれだろう――斬子に正体がばれてしまい、力を失ってしまい、祐一郎の死を忘れることができなくなったことによるショックなのだろう。

 それとも気絶し、倒れた時に打った、頭への衝撃がトリガー……と思ったが、さすがにそれはないと思った。


 現実的かもしれないが、それよりもやっぱり精神的なショックの方が大きい――、その方があり得そうな気がする。


 原因はなんであれ、遥は記憶を失った。


 しかし逆に良かったのではないか、とも思う。


 記憶喪失にはなったけど、記憶があった時よりも、苦しまなくても済むのではないか。


 祐一郎の死を知らないのだから――結果的にハッピーになれたのではないか。


 ――そう思える?


 僕は思えない。

 思えなかった。


「……今日は、体調はどう?」

 出にくい言葉を無理やりに出して聞いてみた。


「うん、と――まあ、良好ですね」


 そう言って微笑んだ遥。


 彼女は、ピンク色の、子供っぽいパジャマを着ていた。


「それ――」

 僕はそのパジャマを指差す――。


「これですか? さっき女の人が――いえ、お母さんが持ってきてくれたんです」


 パジャマの襟を引っ張って、アピールしてくる――ちらちらと白い肌が見えていることに、遥は気づいていないらしい。ほんと無邪気――昔を思い出す。


「…………」

 その昔も結局、祐一郎から奪ったものだけど。


「えっと……」

 遥は遠慮しているように言葉を上手く吐き出せないようだった。

「その、記憶……のことなんですけど、まだ、全然……」


「いいよ別に。無理やり、じゃなくていいんだし。忘れた頃に思い出すよ」


「なんかそれ、上手いですね」

 遥は、ふふっ、と笑い出す。

 口元を手で覆うその仕草――まるでお嬢様のようだった。


「お父さんもお母さんも、良い人です――もちろんお兄さんもです……。

 だからこそ、わたしなんかのために毎日、通ってもらって……なんか、悪いですよ」


「放っておいてほしいのか?」

「いえ――そういうことを、望んでいるわけじゃ……」


 それは、当然か。

 僕はただ、遥の――記憶を失う前の遥の言葉を、思い出しただけだ。


 遥を放っておく。鬱陶しく思う。

 それが春希祐一郎――遥の、兄貴の姿。


 しかし――。


「……放っておくことは、できないよ」


 答えなど決まっていた。


 たとえ、しつこく構うことで。

 遥のことが好きで、べったりとくっつくことで。


 遥が記憶を取り戻し、祐一郎の死に勘付いてしまったとしても。


 ――僕は、それでも構わないと思っている。


 遥が気づく――、

 それは、苦しむことが明白だけど、僕はそれでも良いと思っている。


 その方が良いと思ってしまっている。


 確かに、大好きな兄の死を受け入れるのはきつく――それから先を生きることは、もっと苦しいけど……、だけど、自分を失うよりは、まだマシだと思える。

 遥はいま、遥でなくなっている。

 新しく生まれ変わった遥とも言えるけど――ただの中身がない、外側だけとも言える。


 今の遥には、なにもない。


 なにも詰まっていない。


 自己がない。


 それは生きているけど、本当に生きていると言えるのだろうか。


「えへへ、ありがとうございます。

 やっぱり、構ってほしいです。嬉しいですから」


 遥は――僕の妹は。


 僕の手を、ぎゅうっと握った。


「こんな妹ですけど、この先ずっと、よろしくお願いしますっ」


 遥の笑顔を見た。

 満面の笑みを見た。


 絶対に、記憶を取り戻したいと思った。


 時間はかかるかもしれない――それでもいい。


 僕は何十、何百、何千と生きられる、魔族なのだから――。


 時間は、たっぷりとある。



 その時、なんとなく思い出した――あの言葉。



 ――私以外の女を泣かせるな。



 これは、アイファの言葉。


 あの時の、火文字のメッセージ。


 もしも、裏切った僕を、もう一度だけ、使い魔にしてくれるのならば――。


 それは、最初の命令と受け取ろう。



 僕は遥を――、


 大好きな妹を――、



 ――幸せにします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る