第39話 兄の本音

 その言葉は――すがりたい言葉だった。


 彼女の胸で泣きたいぼくの心――感情をさらに激しくする効果を持っていた。


 すぐにでも立ち上がり、駆け寄りたかった。

 その矢を抜いてあげたかった――でも、できなかった。


 足が、動かない。動けない。

 足と地面を繋ぐようにして――矢が刺さっていた。


 アイファと同じ矢――元を辿ればそれは、遥のものだった。


「もういい」


 遥の炎が躍り出す。

 乱舞――炎がアイファを喰い焦がす。


「そんな事情は知ったことじゃない。

 ここまでがまんして待ったんだから、わたしの話も聞いてくれないと、燃やすわよ? 

 ――むるる」


「…………」

 怒った遥のことは、何度も見ている――けれど、

 今までの怒りは、まったく怒りに相当していなかったのだということを今、認識させられた。


「話って、なに……?」


「お兄ちゃん――」

 遥はぼくの前に、立ち塞がる。

「お兄ちゃんを、どこに隠したの?」


 そのセリフは――、遥らしくない。

 いや、兄を恋愛対象として見ている遥ならば、そう言ったところでおかしくはなく、当たり前のことだとは思うけど、しかし、ぼくの正体を見破った遥が、気づいていないはずがないのだ。


 春希祐一郎は死んでいる――そのことに、気づいていない遥ではないのに。


「…………」

「……なんで黙っているのよ、早く――早くっ、お兄ちゃんを返してよ!!」


 ぼくを指差しながら言う遥――その指は、震えている。


 ぼくの言葉を待っていながらも、怯えている――言わないでくれと願っている。


 しかし――遥は、


「――早くっっ!」


 そう急かす。


 遥だって分かっている――祐一郎が死んだことなど、分かっている。


 しかし認めたくないからこそぼくに、どこに隠したのかと聞いているのだろう。

 ぼくから聞いて、答えを知って、安心したくて。兄が生きていると確信を持ちたくて。


 嘘でもいいから遥を安心させるために、ぼくは言うべきなのだろうか……。


 遥を、騙すべきなのだろうか……――いや。


 ぼくにはどうにもできない――扱うことのできないデリケートな部分だ。


「…………」

 だからぼくは――、


「言えるわけ、ないだろうが……ッッ」

 

 そう言った。


 もうそれは、答えだった。

 直接的に言わないという逃げを選択したぼくだった。


 そして遥をちらりと見れば――、彼女の足元が濡れていた。

 地面の色が濃くなっていく。雨でもないのに、丸く、いくつも痕ができている。


 落ちる水滴――遥は泣いていた。


 ぼくは――その顔を見たくなかったのに。

 ぼくは――そんな顔にさせたくなかったのに。


 きっかけは、それでは、なかったのか――? 


 ぼくが春希祐一郎に成り代わったのは、それが目的では、なかったのか――?


 騙し続けて半年ほど――、色々と努力を積み重ねて結局、目的は果たせなかった。


 ぼくは失敗した。

 そして失敗は、まだ続く。


「お兄ちゃんは……」

 遥の弱々しい声――、

 糸のような声は、ぷちんと切れそうだった。


「もう、いないの……?」


 初めて知った事実ではなく――確信を持てなかった事柄の、確認。


 ぼくがここで――ぼくでなくとも誰でもいいが――頷けば、春希祐一郎が死んだことは事実となる。遥の中で、もう幻としては認識できない、しっかりとしたものになる。


 ここまできたのならば、今更、隠すことでもない――偽ることでもない。


 遥は自分で辿り着けた――ここで誤魔化したところで、いずれ認めなくてはならない事実だ。

 なら――早くとも遅くとも、変わらないだろう。


「祐一郎はもう――いないよ」


 静かに――ぼくの言葉だけが空間を支配しているかのように。


「彼は死んだ――もうどこにもいやしない」 


 そしてぼくは、祐一郎としての姿を解こうとした。

 遥の目の前で、これ以上、祐一郎の姿でいるのは酷でしかないから。


 だから魔法少女監視員としての姿でいることにした。


 ぼくは不定形。


 不定形生命体。


 不安定存在――か。


 姿は様々――、固定されていない自由自在な存在。

 ……確か、遥と一緒にいる時は、白いウサギのぬいぐるみのような姿だったと思う。祐一郎から、ウサギのぬいぐるみになる――そうなると、感覚がまったく違くて、戸惑うことになるだろうが、すぐに慣れるだろう。


 そう思い、その姿になろうとした時――遥は、

「……そのままでいい」と、言った。


 ぼくが聞き返す暇もなく――遥は炎を、最大出力で、アイファにぶつけた。


 さっきの攻撃で既に瀕死の状態で倒れているアイファに向かって――容赦なく。


 本当に――本気で、殺す気で。


「が――ッ」


 爆心地はすぐ近く――熱風、衝撃を全て抱きしめるかのようにして喰らったぼくは、後ろに吹き飛ばされる。……アイファは、死んではいないだろう。それは分かるが、しかし、あの一撃を喰らえば、心配になる。


「く、――遥っ!」


「むるる――待ってて。あの魔女をすぐに倒してくるから」


 遥の目に、光を感じない。

 黒く、闇に堕ちているような――そんな印象を抱かせる。


「どうして……――」


 そんなこと――聞くまでもないことだった。


 魔女を倒す。


 日常へ、帰還できる。


 記憶を失う。


 失う――記憶を。


「……まさか、祐一郎が死んだ記憶自体を、忘れようと……?」


「だから――」

 遥は、生きる希望を失ったような、死にたがりのような目で、ぼくを見る。


「むるるがまた、偽ってよ――またわたしを騙してよ。

 魔法少女でないわたしは、きっと今度こそ、気づかないはずだよ」


 そんなことを笑顔で言う遥。

 彼女の精神はもう、立ち直れない――今の状態では絶対に立ち上がれない。


 記憶を失くすか、死ぬか――どちらかしかない二択を、決めつけてしまっている。


「遥――」


 説得できるとは思っていないけど――ぼくの言葉なんて、届かないと思っているけど、

 それでもぼくは言う。


「変わらないよ――きっとばれる。

 記憶を失くしたところできっと、遥は気づくよ」


 見破る。


 祐一郎が好きならば。


 魔法少女であったところで、なかったところで、結果は変わらない。


 しかし――、


「大丈夫だよ」

 遥は自身満々に言う。


「今回の反省を活かして、むるるが、ばれないように努力をすればいい――そうだね、次はわたしのことをもっと、放っておけばいい。

 鬱陶しいと訴えればいい……、それがわたしのお兄ちゃんだから」


「…………」


「むるるはお兄ちゃんにすごく近かったよ。でも、致命的なミスがあったんだ」


 致命的なミス。


 それはぼく――むるるが祐一郎に成り代わることで付け足してしまった、余計な設定。


「お兄ちゃんはね、わたしのことなんて、なんとも思っていないんだよ」

 嬉しそうに、楽しそうに、祐一郎の事を話す遥。


「わたしがどれだけ好きだ好きだと言ってもね――意識を向けてくれることはないし、興味さえも持ってくれない。完全に一方通行。

 だから、半年前からお兄ちゃん――むるるのことだけど、おかしいと思ったんだよね」


 成り代わっている時、ばれてはいないと思っていたけど、なんと――初手から躓いていた。


 致命的過ぎる。そんな欠陥を抱えて、半年も過ごしていたのかよ。


「でも――おかしいけど、嘘だとは思わなかったかな……。

 だって、わたしの想いが通じたんだ、と思ったからね――」


 でも、そんなことはなかった――あるはずがない。

 遥は、そう続ける。


「ずっと見てきた。お兄ちゃんのことなら、なんでも知っている――、

 だからその時点で気づくべきだったのに、だらだらと過ごしてしまった……」


 お兄ちゃんは誰にも興味がない。

 なににも興味がない。


 自分にさえも、興味がない。


 むるる以上に不定形で――不安定。


 まるで貶しているかのように兄を語る遥だけど――本人としては褒めているらしい。


 頬を赤く染めて、


「それが、お兄ちゃんなの……大好きなのぉ」


 そう言って、溶けそうな表情をするのだ。


「そして、そのままだらだらと生活していったわたしは、たぶん、あれがなければ気づけなかったと思う――お兄ちゃんがもうこの世にいないなんて、気づくことはなかったと思う――」


 あれ――。


 遥は『あれ』を取り出して、ぼくに見せてくる。

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