第32話 知らない思い出

 席に座ってなにも頼まないというのも――しかも自販機で買った飲み物を飲むというのも――居心地が悪いと思い、三人で軽くつまんで食べられるたこ焼きを買うことにした。


 今は鞠矢ちゃんが買いに行っている――なので席に座っているのは僕と斬子。


 不機嫌な斬子が対岸にいる。


「……そんなに怒らなくてもいいんじゃないか?」

 僕が言うと斬子が僕を見た。


 矢のような視線。刺突。怯えて当たり前の鋭さだった。


 不機嫌が僕に向いているような気がするが、さすがにそれは八つ当たりだ。

 確かに、さっきの一件は怒るほどのことではある――死にかけたのだ。死にそうではなかったとは思うが、しかし打ちどころが悪ければ死んでいたはずだし。

 それを考えれば怒るな、と言う方が無理かもしれない。

 だけど、事件ではなく事故なのだし。相手にも悪気はないのだから、仕方のないことだ。


 ――悪気がない。


 今は、そういうことにしておけば。


「――それは、うん、分かってる」

 斬子の態度が優しくなった。

 威圧的な雰囲気はやはり、鞠矢ちゃんに似ていた斬子だ――ほんと、似ている。


 同じ細胞かと思ってしまうくらいだ。

「でも思うのよ、せっかくのデートを邪魔されたってね。まったく――あの女」


「……一応、他人でも目上の人だからな?」

「知ったことか。他人なら目上でもなんでもただの他人よ」


 斬子はメガネをはずし、布で拭く――その様子を僕はじっと見つめた。


「? な、なに?」

「いや、なんでも。メガネをはずした斬子なんて、珍しいなって」


「……そうかしら? あんたはメガネをかけていない私の方をよく見ていると思うけど」


「そうだっけ?」

「そうよ。メガネをかけた方がいいって言ったのは、あんたじゃないの」


「…………」

 忘れっぽい僕のことだ。そんなこと、もう忘れてしまっていたのだろう。


 斬子のメガネを、長年ずっと見続けていたからこそ、定着してしまったイメージなのかもしれない。一度ついてしまったイメージやキャラは、そう簡単にははずせない。

 取り替えることも難しいだろう。


 鞠矢ちゃんのように。


 だが、鞠矢ちゃんのイメージは、僕の中ではもう切り替わっているが。


「まったく、私がメガネをかけたのは、高校卒業後からじゃないの――」


 ――――。


 ――――え?


 さらっと言った斬子。さらっと言って、言葉を止めた斬子。


 それから先はなにもなく、ただ鞠矢ちゃんの帰りを待つ――たこ焼きを待つ、斬子。


 高校――卒業?

 まだ、一年も経っていない?


 あれ? 忘れっぽい僕でも、これはさすがにおかしい。

 全然、長年じゃない。半年ほどしか経っていない。


 なのに僕は、斬子は昔からメガネをかけていたと思っている――勘違いをしている。


 メガネをかけていない斬子を見るのは、これが初めてではないけど、しかしあまり見ない、珍しいものだ。表情がよく分かり、斬子の素顔が見れる、レアなことだと思っていた。

 しかしそうではない――、僕は見ていたはずなのだ。

 幼馴染なのだから、斬子の素顔など見れたはずなのだ。実際に、ずっと見ていたはずなのだ。


 なのに。


 なぜ――。


「……斬子、ちょっとトイレに行ってくる」

「いいけど、そこはお手洗いとか言いなさい」


 そんな注意をされてもしかし、僕は頷くことをしなかった。

 だいぶマシになっていた気分の悪さも、戻ってきたかのようには激しくなる。

 トイレに行ったのも最悪、吐けるからだった。後は、気持ちの整理。


 脳の整理。


 記憶の整理。


 向かう途中、さり気なく鞠矢ちゃんを探したけど、見つけられなかった。

 きっとどこかにいる。人が多過ぎて見つけられないだけだろう。


 そして僕は、トイレに辿り着く――個室に入り、便座に座って一呼吸。


「どうなってる――」


 どうなっている。

 僕がおかしいだけだと思う。


 世界は変わらず動いている――回っている。


 だから、僕がおかしいだけなのだ。


「帰って、アルバムでも見ておくか……」


 現時点では記憶の問題など、どうしようもない。なので気持ちだけを整理させた。


 そして一旦、吐いておいた。

 無理やりに胃の中にあるものを吐き出す。

 今からたこ焼きを食べるのは少し、いや、かなりしんどかったけど、斬子や鞠矢ちゃんに心配をかけたくはないので、無理やりにでも食べなければならない。


 いや、本当に駄目なら、鞠矢ちゃんや斬子にたこ焼きを譲れば解決するけど。


 不自然にならないように、自然に譲れば、心配なんてかけないだろう。

 手を洗い、清潔にしてから――そして僕はトイレを出た。


 フードコートに戻った僕は席――斬子と鞠矢ちゃんの姿を見る。


 楽しそうに話している――、ああも姉妹、仲良く話していると入りづらい。

 それに二人だけにしてあげたいという自分の願望が入ってくる。


 進む足を止めて、混雑している人の中で立ち止まった。

 人の波に飲まれてしまいそうだったけど、なんとか踏ん張る。

 その結果、体と体がぶつかって、不快感が天井に当たった。


「…………」

 あと少し――ほんの少し、二人だけにしてあげよう。


 思い、僕は引き返す。

 そして、僕は見る。


 視線の先に、彼女を見る。


 従業員。

 会社員。


 その二人に似ている、三人目の人物を――。


「今度は婦人か……」


 なにか法則性でもあるのだろうかと考えてみたけど、なにも浮かばなかった。

 なにもないのかもしれない――そこに法則性など、皆無なのかもしれない。


 なにもない――謎はなにもない。

 トリックなんて仕掛けもない。


 ただの思い付きかもしれない。


 もっと言えば、ただのなんでもない偶然かもしれない。

 僕がこうも深く考えてはいても、事実はただ似ているというだけで、そこに意味なんてないのかもしれないし、その三人に関係はないのかもしれない。

 ないとは思うが、しかし本当に空似なのかもしれない――三人。


 三人――か。


 空似――しかし気になってしまっているのならば、突き詰めてもいいのではないだろうか。尾行なんて、そんな人の道からはずれたことをするのには抵抗があるけど、鞠矢ちゃんの時に一度やっているので、今更感がある――なので抵抗はなく、僕は彼女を追いかけた。


 追いかけている内に、トイレに戻ってきてしまった――だが目的はトイレではなく、横にある階段だった。あまり利用されない静かな階段。そこを、婦人が上がっていく。

 

 二階を越えて、三階を越えて――四階。


 この上にも階はある、けど、駐車場だ。

 なので売り場としては最上階になる――この階。


 そして婦人は、フロアの中心地点へ――、

 フードコートを見下ろせる見晴らしが良い場所に向かった。

 僕もゆっくりと後ろから近付く。しかし、近づき過ぎるのもばれてしまう可能性があるので、横にずれ、距離を取ってから、同じようにフードコートを見下ろす。


 鞠矢ちゃんと斬子――たこ焼きを食べずに待ってくれている。


「あ……それもそうか」


 僕が戻らないと食べられないのか。それは悪い事をした。


 一応、連絡でもしておくかとスマホを取り出した時。


 婦人が、手を挙げた。


 必然的に目で追ってしまった。


 それが致命的な、スロースタートになってしまった。


 腕から手の先――追ってみれば、このフロアの中でも最も大きい照明がある。

 シャンデリアだ。


 蛍光灯なんて比較に出すのが馬鹿馬鹿しく、

 ダンボールの荷物なんて比較に出すのも馬鹿馬鹿しい、

 一回りも二回りも大きな、照明。


 真下にはちょうど、鞠矢ちゃんと斬子。


 笑っていた。鞠矢ちゃんと斬子もそうだけど――婦人も同じく、笑っていた。


 その笑みは恐ろしく、ぞくりとする。

 なにをするのか感覚的に、本能的に分かってしまう。


 僕は駆けた――でも、間に合わなかった。



「バイバイ、雷の魔法少女――」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る