第29話 緊急脱出魔法

「これ試着したいから、ついてこい」

「……斬子は?」


「服見てる」

「……鞠矢ちゃんも服、見てくれば?」


「あたしは今これを試着したいんだから――いいから着いてくればいいんだよ」


 そう言ってすたすたと先に進んでしまう鞠矢ちゃんを、僕はとりあえず追う。

 しかし――なぜ僕なのか……。


 感想など求められても、一言で済んでしまう言葉しか持ち合せていないんだけど。

 ――たとえば、四文字くらいのやつ。


 誰かを喜ばせることなど僕にはできそうもない。

 できた時は完全に運で――僕の実力ではないのだから。

 しかし運も実力の内と言うらしい――けど、そうか?

 

 運は実力じゃないだろ。


 運は運だ。


 実力は実力だ。


 ほら、きちんと分かれている。


 区別されているものなのだから――。


 すると、

「ちょっと待ってろ――」

 鞠矢ちゃんが言う。


 どうやら試着室に着いていたらしい――それから鞠矢ちゃんは個室に入り、カーテンを閉める。けれど閉められたカーテンは数秒と経たずに、再び開けられた。


「……絶対――絶対に覗くなよ」

「覗かねえよ」

 するかそんなこと。


 世界に僕と鞠矢ちゃんしかおらず、鞠矢ちゃんにはなんの力もなく、好感度がメーターを振り切っていれば、覗いていたかもしれないけど――世界はそんな風に構築されていない。


 覗いて中を見て――、しかし焼きついた光景は記憶と共に消えている可能性が高い。


 鞠矢ちゃん――加えて斬子の殺人拳で。恐らくは、たぶん。


 着替え中の女の子を覗いた罰はそれに匹敵する――それ以上の罰があるかもしれない。

 そんな代償を払ってまで、見たくはない――。


 だが、鞠矢ちゃんのプライドを守れば、別に見たくないわけではないけど――。


 ただ、今は見たいとは思わないだけだ。

 数年後は、どうだか分からないが――たぶん見たいと言うんだろうなあ、僕は。


 冗談と本音と――半分半分の感情で。


「そんなはっきりと……っ――はいはい、そうですかそうですか。

 そりゃ、余計なお世話だったかもな」


 むすっとして、鞠矢ちゃんは僕を突き放す――言葉的に突き放す。


 怒らせちゃったか……、まあ、確かに即答過ぎたかもしれない。

 少しでもいいから悩んだ振りでもすれば良かったかもしれない。

 たとえばれていても、それくらいはするべきだったか――反省反省。


「ほら、いいから早く着替えてくれば? 

 別に、どこにも行きやしないよ――僕はここで待ってるから」


 それを聞いて、鞠矢ちゃんは少し驚いたように目を開かせた――、そして少しだけ微笑んだ。


「……待っててくれるんだ……ひざまずいて」

「そこまでやるとは言っていない」


 忠誠心があり過ぎる。

 やったとしてもさすがにそれは主が見ているところで、だ。


 監視されていないところでは脱力するに決まっている――、

 全員が全員、そうだとは言わないが、人間、そんなものだろう。


「さすがに跪かないけど、待ってるから――早く着替えてきなって」


「うん! じゃあ待ってて――」

 そして閉められるカーテン。


 中では、がさごそ、だんどんと音が聞こえてくるけど、これ本当に着替えだよね? 

 音がまったく着替えとは思えなかった。


「はあ……」

 思わず溜息――それにしても、鞠矢ちゃんの相手をするのは疲れる……。


 出会った頃は、鞠矢ちゃんはまるで僕のことを格下に見るかのように振る舞っていたから、僕としてもやりやすかった(……僕には下っ端の素質でもあるのだろうか)。


 しかし、今はどうしたことか、僕のことをちょっと仲の良いお兄ちゃんとでも思っているのか、態度が柔らかい。そして懐いてくる。

 鬱陶しいとも邪魔だとも思うわけではないが、やりづらい。


 一度ついてしまったイメージ。脳内に刷り込まれたキャラ――それが今、ぼろぼろになっているわけだった。最初が偽りで、今の鞠矢ちゃんが本物と言えばそうなのだろうけど――、

 やはりギャップがある。慣れるまでに時間がかかりそうだった。


 なにがきっかけなのか……一昨日――やはり一昨日か。


 あの時の一件で、ここまで変わるものなのか……。

 それほど鞠矢ちゃんは、仮面を被っていた。

 別人かと思ってしまうほど、厚い仮面を被っていた。

 上手く、隠していた――偽っていた。


 それほどまで、がまんしていた。


「頑張っているよ――頑張ったよ、鞠矢ちゃんは」


 そして僕は天井を見上げた。


 別に、なにかを思って見上げたわけではない。


 下を向くのも前を向くのも疲れたから、消去法で、上を向いただけだった。


 ただそれだけのこと――そしてその行動は、運が良過ぎるくらいに、良かった。


 鞠矢ちゃんが入っている個室――天井などなく、天井と言えばこの建物の天井のことになる。

 個室自体に天井はなかった。

 だから天井にある物が、もしも落ちてきた場合、

 個室の中に、そのまま落下物が落下することになる。


 そして――蛍光灯。


 がたがたと震えていて、見るからに落下しそうな、不自然とも言える動きの蛍光灯。


 落下地点は分かりやすく、鞠矢ちゃん――恐らくはその頭部。


 危険が迫っている。


 これは覗くなとか、言われていることを考えている暇などなかった。


「――あ」

 蛍光灯が落下する数秒前――、いや一瞬前。

 僕は駆け出し、個室に飛び込んだ。

 着替えの途中で肌を露出させている鞠矢ちゃんは、驚き過ぎて声が出せていなかった――、


 好都合。

 そのまま鞠矢ちゃんを抱きかかえ、そのまま個室を通り抜ければ良かったのだけど、僕に破壊の才能はない。結果、壁に密着することで、蛍光灯の落下を避けることにした。


 蛍光灯は落下し、僕の背中を少し掠めて、地面に着地した。


 高い音と共に蛍光灯が割れて――破片が散らばる。


 音に――鞠矢ちゃんも事態に気づいたようだ。


「――今、お前!」

「……とりあえず、鞠矢ちゃんはおとなしくしてて」


「むぐうう!?」

 僕は鞠矢ちゃんの口を塞ぐ。


 おとなしくしていれば、音に気づいた店員さんがすぐにきてくれるだろう――。

 ――いや、待て。それはまずいんじゃないだろうか?


 今、僕は鞠矢ちゃんを抱きかかえていて――その鞠矢ちゃんは、ほぼ裸だった。


 正確に言えば上半身だけを脱いで、服で隠しているわけだから、裸とは言えないかもしれないが、駆けつけてくれた店員さんが、一瞬で事態を察してくれるとは思えない。


 勘違いするだろう――間違いなく。


 間違いなく――誤解される。


 悲鳴――。

 騒ぎ――。


 ああ、最悪だ。


 どうにかしないとどうにかしないどうにかしないとどうにかしないと――。


 しかし案など見えてくるはずもなく、

「ど、どうされましたか!?」という店員さんの声――、

 どたどたと聞こえてくる複数の足音から、店員さんは一人ではないらしい。


 もう限界だった。

 まあ、誤解は一瞬で、きちんと説明すれば分かってくれるだろう。


 そう思って諦めた――もう見つかる気は満々なのだった、けど――。



 いつの間にか、僕は外にいた。


 

「――あれ?」


 太陽の光――涼しい風――久しぶり。

 僕は辺りを見回し、ここが屋上だということに気が付いた。

 屋外駐車場――ではなく、人が入れないようになっている屋上だった。

 屋上と言うより、ただの建物のてっぺんか――。


 そんな場所に僕一人だけ……いや、もう一人。


「……さっきは、その、ありがとう」


「……鞠矢ちゃんか、やっぱり」


 可能性としてはそれしかないだろうし。

 鞠矢ちゃんは裸ではなく、魔法少女の衣装を着ていた――、なるほど、僕が限界だと思ったその時に、咄嗟に魔法少女としての力を使ってくれたわけか……。


 ありがたいけど、しかし――、

「こんなことに力を使って大丈夫なの?」


「なにをどう使おうがあたしの勝手だし」


 鞠矢ちゃんは言った。


 自由――。


 秘密をばらす。誰かに姿を見られ、正体がばれる――、

 それらを守っていれば、基本的には自由で、なにをしてもいいらしい。


 まあ、正体を隠している身としては、あまり大きなことはできないかもしれないが。


「……正体がばれたり、しないよね?」

「……たぶん」

 おいおい、曖昧に頷くなよ。


「というか、どうやってここに……――」


「瞬間移動」

 鞠矢ちゃんは即答した。


「は?」

「だから、瞬間移動」


 ――それは、分かる。聞こえている。


 ただ理解できていないだけだ。

 今更、言うことではないけど、現実離れしていて、感覚が追いついていないだけなのだ。

 ――瞬間移動って、魔法少女ってそんなこと、できたっけ?


 過去――子供の頃、ヒーローものは見ていた気がするけど、魔法少女ものは見ていなかったから、確かなことは言えないが……、

 瞬間移動などしていなかったはず。

 できるのならば飛んで現場に向かう必要ないし。

 距離とか条件の問題とか、探せば理由など、あるかもしれないけど――。


 だからイメージとしてついている魔法少女と、鞠矢ちゃんがなっている魔法少女は、違うのかもしれない。似ているだけで、構造はなにもかも――原点から違うのかもしれない。


「……お姉ちゃん、心配してるかな」

「いや、別に斬子は、僕たちが更衣室に行ったこと知らないはずだし……」


「知ってるよ」

「は? なんで?」

「あたしが言ったから」

「…………」


「だから二人一緒に消えたら何事だって、なるかもね」

「勘弁してくれよ……」


 突如消えた僕ら二人――、斬子の知らない空白の時間。

 さて、どんな言い訳をしようか。


 魔法少女のことなど言えるはずもない――、蛍光灯の事故も、魔法少女のことに関連するので言えないし……つまりは言い訳が思いつかなかった。


「斬子に心配させず、怪しい目も向けられず、場を丸く収める言い訳――、

 綺麗に作られた理由はないものか……」


「なら――楽しいことをしてたとか」

「質問できる隙を作るなよ」


 楽しいことってなんだよ。色々あり過ぎるだろうが。


「まあ、二人で……どこかに行ってた、とかが一番、無難なところかな……」


「大人の階段を上ったよね」

「階段を使う暇なく、僕らここにいるだろうが」


「じゃあ、もう案は出尽くしたかもな……」

「考える気がゼロだからねそりゃ」


 鞠矢ちゃんは使い物にならなそうだ――実際、ならないことが分かったし。


 言い訳に関しては、なにも言わせない方が良さそうだ。

 一切、絡ませない方がいいだろう。

 絡ませたらなにもかもを断ち切られそうで、壊されそうで――危険。


 せっかく考えた言い訳も初手で崩されそうな気がした……。この勘は、信じよう。


「ま、喉が渇いたから飲み物を買ってたと言えばいいか……。

 となると買わなくちゃ言い訳にならないのか……」


「あたしはなんでもいいよ」


「ちゃっかり貰うつもりなんだね……ま、助けてもらったし、いいけどさ」

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