第22話 脱出
屈み込んで、膝に自分の顔を押し当てて、声を押し殺そうとしているのかもしれない――、
しかし効果は発揮されていなかった。しっかりと声は届いてしまっている。
にしてもこんな姿――、決して見せないと思っていたけど。
やはり高圧的で孤高のようなイメージでも――女の子。
まだ、子供だ。しかしこれで僕は少し、鞠矢ちゃんに対しての意識が変わった。
なんだ。
話しかけにくいとかそんなの、僕の勝手な思い込みだったのか。
目の前にいるのはただの強くて、しかし時には弱い、
どこにでも溢れるほどにいる女の子の内の、一人なのではないか。
服装やさっき見た光景――、鞠矢ちゃんが起こした現象に疑問も残るが。
僕が相手するのは人外なんかではない――化け物でもない。ただの女の子。
――妹。
斬子の、妹なのだ。
―― ――
僕は、常備しているハンカチを鞠矢ちゃんに差し出した。
彼女は数分(……いや数十分かもしれない。時間の感覚も麻痺しているらしい)の間、泣きっぱなしだった。目は充血していて、腫れている――。
ハンカチを受け取るために顔を上げたその一瞬だけだったが、その顔を見てしまった。
弱り切っていて、少しつついたら、崩れてしまいそうに不安定な精神だった。
しかしそこは鞠矢ちゃん――、常人ならばもっと時間がかかるところを、ハンカチを受け取って、数秒で立ち直った。涙を拭い、それと一緒に弱気も拭い取ったのかもしれない。
今いる鞠矢ちゃんは、泣いているだけの鞠矢ちゃんではない――、
あの、高圧的な鞠矢ちゃんだった。
「……ありがとう、ございます」
「うん、どういたしまして」
高圧的とは言え、さすがに礼儀はきちんとできるらしい。
だが使ったハンカチを洗わずに、そのまま返すのはどうかと思うが、まあいいか。
ハンカチを受け取り、ポケットにしまう。
「……あたしが泣いていたことは、誰にも言わないで」
「うん? ああ、大丈夫。そもそも言う人いないし」
鞠矢ちゃんが泣いていた、なんて言ったところで、話が通じる奴なんてのは姉である斬子くらいだろう。恐らく、鞠矢ちゃんは馬鹿にされることを危惧して口止めをしたのだろうが、僕が言える相手は斬子くらいなものだ――そして斬子ならば、間違いなく心配する。
馬鹿になんてしないだろう。まあ、心配も過剰になるかもしれないけどね。
「それで、鞠矢ちゃん……とりあえず服装、どうにかできない?」
ぼろぼろで傷だらけの服装のまま、外に出るのはさすがにまずい――騒ぎに乗じて逃げるどころか、騒ぎの新しい中心を作ってしまいそうだ。可能性の話――六十くらいだが。
「それ」
すると鞠矢ちゃんが僕を睨みつけて言う。
「この服装のあたしを、見ている。あんたは見えている――にもかかわらず、あたしにはなにも変化はない。これは、どういうことなの?」
「どういうことなのって――」
それは、そのまま同じ質問を返したい。
「僕が分かるはずないじゃないか」
「なんでだよ! だって、だって――おかしいじゃんかっ!」
「鞠矢ちゃん、落ち着いて」
拳を握り締める鞠矢ちゃんを落ち着かせる。
彼女はがまんしているのだろう――、
それは見ていて分かるが、同時に限界だ、ということも分かる。
このままじゃ、いつ爆発してもおかしくはない。
「……鞠矢ちゃん、服装、変えられないの?」
「変えられない、わけじゃない、けど……」
「なら、今すぐでにも変えて。早く」
「なんでそんなに急かすんだよ。別にこのままでも――」
「いいから、早く」
少々の沈黙を挟んだが、すぐに、「分かったよ」と承諾してくれた鞠矢ちゃん。
彼女は少し僕から距離を取る。
僕に向いたまま、後ろに離れていき、
十メートルくらいか……、離れたところで服の内側に手を入れた。
胸元から手を入れて、もぞもぞと指を動かす。
そして出て来た時、手には――石が握られていた。
紐付きで、紐は、首にかけられている。なるほど、ネックレスなのか。
「――――」
聞き取れなかったが、なにか呟き、鞠矢ちゃんは目を瞑って、石を額にあてる。
すると鞠矢ちゃんの体が光に包まれる――、顔以外はなにも見えなくなった。
やがて、光が強過ぎて、僕も目を開けることが厳しくなってきた。
途中でがまんできなくなり、目を瞑る――そして次に目を開けた時には、
鞠矢ちゃんは中学校の制服を着ていた。
いつもと変わらない状態に戻ったわけで、日常に戻ってきたわけだった。
ぼろぼろの室内で言えることではなかったが。
非現実の状況に加えて、非現実な格好――存在。
そんな状態で冷静に、落ち着けるはずがないだろう。
だからこそ、こうしてリセットしたわけだ。
「……制服姿、似合ってるね」
「うるさい。黙れ殺すぞ」
照れ隠しにしては攻撃的過ぎるんじゃないか? この子。
やはり似ている――斬子に似ている。
斬子も鞠矢ちゃんに追いつくレベルで――いや、追い越し突き放すレベルで――毒舌だ。
本当に元他人なのだろうか、この二人は。
同じ腹から生まれた姉妹としか思えないんだけど。
本物を越えた姉妹――。
絆は案外、深いんじゃないだろうか。
「で、戻ったわけだけどさ――なにがしたかったんだよ、一体」
「なにって――あのままじゃさすがにねえ。だから鞠矢ちゃんには――」
「その鞠矢ちゃんって……なんで『ちゃん』付け? あたし、許可したっけ?」
「…………」
え? してなかった? ――あ、うん。してなかったかもしれない。
というか、してないな。
した記憶があるのは斬子との会話で、鞠矢ちゃんの呼び方の件について面倒だから、
『許可は出たよ』とテキトーに言った記憶があるからだった。
忘れるところだった。この設定は、未だに適用はされていないのだった。
「ごめん、不快ならやめるけど」
「……いや、いいよ。今更、他の呼び方も気持ち悪い」
そう言って、ぷいっと顔を逸らす鞠矢ちゃん。
逸らしても、あるのは壁と瓦礫くらいなものだけど――、
あ、でも外に通じる、壁に空いている穴があるか。
しかし鞠矢ちゃんは、そことは別の方角を見ているので、見たところで面白くはないだろう。
退屈に気づき、すぐにこほんと咳払いをして、僕を再び見る鞠矢ちゃん。
一体、なにがしたかったのだろう……。
「――で! こうして着替えたわけだけど、どうしろっていうんだよ、これから!」
「そんな大声で言わなくても伝わるって。まあそうだね――じゃあ、散歩でもしようか」
「――は?」
「散歩。――知らない? 今の子は理由なく外を出歩かないのかな?」
「いや、知ってるっつうの、散歩くらい。でも、なんで今?」
「落ち着くでしょ? 風に当たって、のんびりと外の景色を眺める。
まあ、コンクリートだらけだけどね。
空でも見れば、自然の中にいると極小でも思えるんじゃないかな」
「こんなコンクリートばっかりの景色を見て、のんびりなんて、できるはずないっつうの」
「できないのなら、無理してのんびりしてもらわなくてもいいよ」
この言葉は少し、語気が強くなってしまったかもしれない。
鞠矢ちゃんは少し、肩を震わせていた。
「……歩きながら、話そう。のんびりとできる内容じゃないかも――、
のんびりしようと言っておいて、悪いけどね」
僕は微笑む――、
そしてそんな僕の手を握って、鞠矢ちゃんは引っ張ってくる。
急かすように――、
気持ちだけが前傾姿勢のまま、走ってしまっているかのように。
「あたしも、聞きたいこと、たくさんあるんだよ」
それから僕たちは壁に空いた穴から外に出た。
外には大量の人がいた。
全員、破壊されたショッピングモールを眺めていた。
僕はそれをちらりと見ながら、しかし、すぐに去っていく。
――もう関わることは、ないだろう。そう思った。
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