第19話 赤い弾丸

 艶のある黒髪が倒れている彼女の顔を覆う――、体もほぼ包み込んでいる。

 それくらいには長い髪の毛だった。


 僕は恐る恐る倒れている彼女に手を伸ばし、隠れている顔を見ようと髪の毛を触る――、

 さらさらで、持ち上げても指の間からするりと抜けてしまう。


 落ちた髪の毛は、元あった位置からずれたところに着地する。それによってさっきまでは隠れていた肩が露出されていた。肩だけでなく、首元まで見えてくる。

 あと少し髪の毛をずらせば、顔を見れるくらいのギリギリさであった。


「…………」


 気絶している女性――、彼女の知らないところで色々といじくるのは失礼だとは思うが、けれど、こちらも得体の知れないものをこのままここに置いておくのも、放置して出口に向かうことも、できそうにはない。


 なので遠慮なく髪の毛をずらさせてもらった。

 顔を確認する――ただそれだけだ。


 優しく丁寧に、髪の毛をずらし、出てきた顔。右目の下にほくろがあり、それが特徴的な女性だった。細身で、引き締まった、良いスタイルをしていたので期待はしていたが、いとも容易く僕の期待を越えてきた。


 まあ、美人だ。

 大人の女性って感じ。

 妖艶ようえんとか、そんな言葉がぴったりだった。


 ごくりと唾を飲み込む音が、僕の喉から聞こえてくる。

 無防備に眠っている彼女――誘ってんのか……。

 しているはずもないが、そう思ってしまう。

 いやいや、と首を左右に振って、認識をあらためた。 


 それよりも今は、彼女を起こしてここから脱出することが最優先だろう。


「失礼」

 と断って、彼女の腕を取り、自分の首に回す。


 そのまま持ち上げて、彼女を支えてやる。


 その時に彼女からなにかが落ち、それを拾う。

 ……帽子だ。色は赤。だが、日常的に被るわけがない帽子だった。

 ハロウィンなどで被るような、仮装の衣装の一部……、

 まあ、魔女のイメージが強い帽子だ。


 帽子に気づいて初めて彼女の服装に意識を向けると――、

 帽子と同色のマントを羽織っていた。

 最初はカーテンでも巻きつけて飛んできたのかと思っていたが、

 きちんとした服装だったらしい。


 帽子――魔女のような――、なるほど、そしてこのマント。


 コスプレでもしていたのだろうか。


 とにかく、マントはこれから先、脱出するとなると邪魔になりそうだったので、脱がすことにした。コスプレならば、脱衣は簡単だと思っていたが……あれ? 意外に難しい。


 脱がすのに手こずり、立っていた状態だったのに、

 いつの間にか座っている状態になっていた。

 ここまで低くなってしまったのならば、いっそのこと底までいってしまおう。


 思い、彼女の体を地面に寝かせる。

 そして片手を伸ばし、

(たぶん、今の構図は見る人の百人が百人、僕が彼女を襲っている、と思うだろう……)

 彼女の首元から中に手を入れようとしたところで、僕の手が掴まれた。


「い、」


 こぼれた声は最後まで言えなかった。

 僕の視界が、くるりと回転し、体が壁に激突した。

 それから続きの声をやっと吐き出すことができた。


「……ってえ」


 事後、状況が理解できた。

 つまり――投げ飛ばされた。


 まるで無意識のように、

 ただ近くにあるものを投げ飛ばしたような軽さで、僕は投げ飛ばされたのだろう――彼女に。


「……ん、あら。……失礼」


 と、これまた見た目と同じく、色っぽい声をかけてきたのは、彼女だった。


 帽子の位置を直しながら――、マントをばさりと翻し、埃を落としながら。

 テキトーに僕に意識を向ける彼女は、

 今の僕の行動には、なんの疑問も抱いていないようだった。

 危険さえも、感じていそうにはない表情だった。


 少し不用意に体に接触してしまっていたかな、と反省していた僕だが、

 あちら側があまり、気にしている――わけではなかったので、僕も気にしないことにした。


 とりあえず意識が戻ってくれたのは助かった。

 トリガーがなんだったのかは、分からないが。


 いつまでも横になっている気はないので、立ち上がろうとしたら――、

 自重を支える手が激痛を呼び出した。

 全てをその手に預けてしまっていたので、その手が力を失くしたら、必然的に僕は地面に激突してしまうことになる。


 ――なんて無様な姿だ、しかも彼女に晒してしまった。


「大丈夫?」


 心配そうに声をかけてくれる彼女。

 ありがたいとは思うが、きっかけはあんたなんだよねえ。

 ……僕も悪いけど――なので、おあいこだ。


「立てる?」


「ああ、立てます立てます。全然、大丈夫です」


 強がってそう言ってみた。

 強がるもなにも、弱っているわけではなかったのだが。


 こうやって弱みを見せることで、相手の保護欲でも刺激できるかなと思ってやってみたが、効果はなかったようだ。

 とは言え、片手に痛みがあるのは嘘ではない。

 現在進行形で(結構な)痛みはあるわけだが、まだがまんできる範囲だ。


 手の事を気にされても困るので、

 彼女の視界に入らないようにして手を後ろに回し、隠すことにした。


「あなたこそ大丈夫ですか?」

「ん? なに? 私?」


 他に誰がいるのだろう。


「そうです。いきなり、壁を壊して突っ込んできたので」

「……ふーん、そうなんだ」


 彼女は自分のことには興味がなさそうに、返事をする。


「で、君が助けてくれたわけなの?」


「いえ――、介抱しようとした寸前で、手を砕かれましたから」


「私、砕いてたっけ?」


「嘘です」

「嘘なの? もー」

 頬を膨らませる彼女。


 ……緊張感の欠片もない会話だなあ。

 ほのぼのとしていて、平和を感じる会話だが、そろそろ目を覚まそう。覚ますべきだ。

 平和なんて、そんなわけがない。事実、こうしてショッピングモールが破壊されている。


 揺れと轟音で、地震かと思っていたけど、それだけではなさそうだ。


 それだけではない、か――、それか、そもそもで地震ではない、か。

 外の様子が分からないので、情報もまったく入ってこない。

 傍観者側からの解読がないので、なにが原因なのかが、まったく分からなかった。


 この際、原因なんて、なんでもいいけど。

 なので気にしないことにした。


 予想でも仮定でも、答えが一応でも出ているのならば、安心はできる。

 未知ではない――と、心の中で思えるのだから。


「ふーん。ふーん、ふーん――」

 鼻歌にしてはリズムが無さ過ぎて、滅茶苦茶だった。

 彼女は僕の周りをぐるぐると回って、僕を観察している。

「君は、一般人だよね?」


「……はあ」

 一般人でない人がどういうものか、聞いてみたかったが、

 まあ政治家とか大金持ちとか――、社会に名を残しているような有名人が、一般人ではないのだろうと思って、聞きはしなかった。

「一般人だと思いますけど――」


「だよねえ。うん、まあ、そうなるよねえ」

 特徴的に、語尾を伸ばす人だな、この人は。


 その声のせいで、まったりとしてしまう。

 まるで、寝起きみたいな気分になる。


 彼女の目もとろんとしていて、寝起きなのかと思ってしまう。

 気絶を睡眠の一種とすれば、彼女はさっきまで眠っていたことになる。

 なので、とろんとしているのも分かるものだが。


「なにか気になることでもあるんですか?」

「うーん。なんでも、ない、かなあ」


「そうですか。なら、早く逃げましょう。

 いつ、またこの建物が崩れるか分かりませんから。

 静かな内に早く外に行きましょう」


「そうしたいんだけどねえ。私にも私の用事ってものがあってねえ――」


「なんです、それ?」

「君には関係がないから言わなーい」


 テキトーに手を振って優しく拒絶してくる彼女――、まあ、確かに関係ないけども。


 しかし、この非常事態にもかかわらず、用事を優先させるとは。

 しかも逃げるわけではなく、ここに残るという用事……、

 それはつまり、僕に、あなたを見捨てろと言っているようなものではないか。


 別行動と言えば、聞こえはいいが。

 だけど、僕は外に行き、彼女は中に戻り――。


 こんなの、僕が彼女を見捨てたと思ってしまうのは、当たり前じゃないか。


 できるわけがない。

 理由を聞いて納得すれば、しないこともないけどさ――。


「とは言ったもののねえ――」

 すると、彼女が僕を見る。

 さっきとは目の色が違うので、少し身が固まった。

「君は関係ないわけじゃ、ないっぽいんだよねえ」


「……は?」


「だからあ……まあ言っても信用しないと思うけど。

 そもそも、信用する以前に、追い返されるようなシステムなんだけど。

 まあ例外があっても仕方ないよね。それとも、君は関係者なのかな?」


 言っている意味が分からずに、目をぱちくりとさせる僕。

 そんな僕をじっと見つめる彼女は、手を伸ばし――、僕の額を指でつつく。

 つんつん、と二回もつつかれた。


「えい、えい」


 声も足されて。


「――まあ、こんなんじゃあ、分からないよねえ。どこからどう見ても人間だし」


「……なんなんですか、一体」

 文句を言いながら、つつかれたおでこを擦る。


 つつかれた時に少しどきっとしたのは、気の迷いとしておこう。


「えっと、んー。まあ、こういうこと」


 彼女は指を、自身に向ける。


 僕は指を追って、彼女を見る。目が合ったところで、「ね?」と言葉ではなく、同意を求められたが、なにが、「ね?」なのか、まったく分からない。

 分からないのでなんとなく、指で彼女を指してみた。

 やはりこれにも意味があるとは思えない。


「君は私を指差してるね?」

「はあ……そりゃあそうですよ」


「そうよねえ。まあもっと序盤から分かり切っていたことだったんだけど、一応の確認だったわけで。――付き合ってくれてありがとね。なるほど、こりゃ初めてだよ」


「…………」

 もう、相槌すらもない。


「つまりね――君は、私が見えているんだ」


「    」


 遂には、言葉さえも失った。


 見えている――? 

 それはもちろん、あなたのことなど最初から見えていますとも。


 見えないなんてそんなわけがない。

 僕は人間で、あなたも人間で――、見た目からして、人間で。

 こうして少し話してみて思ったけど、やはり人間で――、

 見えないなんて、現実離れしていることが、起きるはずがない。


 しかし、そんな突飛な発想ができるというのは、貴重だ。

 できそうでできない思考回路をしている。

 人間――どこかでブレーキをかけてしまっているところがある。

 しかし彼女は、そんなブレーキなど根本からへし折っているように、全力疾走だった。


 全速力過ぎて笑えない。

 まともに受け答えをするのが、正解だと思ってしまう。


 こんな笑い話、当然のように笑って受け流し、本題に戻るべきなのだが。


「……ええ、見えていますよ。ついでに言えば、触れます」


 言いながら、僕は手を伸ばす。


「いいや、触らなくてもいいよ」


 ニッコリと笑顔で言われた。おまけに手をはたかれた。


 痛めている方ではない手を出していたので、ほっとした。

 もしも痛めている方を叩かれたら……――想像だってしたくない。

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