第16話 秋月姉妹 その2
ふふふ、と笑う斬子は少し病的だった。
そんな微笑みは、爆弾にしか思えない。
「一緒に暮らすことは急遽中止。今は鞠矢の精神を落ち着かせることに全神経を注いで、どうにか説得をしている最中。……でも、説得なんて妥協じゃなくて、一緒に住みたいと思わせなくちゃ、駄目なのよね……。それは私が、あの子に姉として認められていないってことだろうし」
ここで、
「そんなことはない。鞠矢ちゃんはあんな態度でも、斬子のことを姉として認めているよ」
と言うことはしなかった。
そんな言葉は破綻している。
本心を言葉で隠すことはできるけど、無意識に出てしまう癖――態度では隠せない。
態度で出てしまっているということは、姉として認めていないのは、鞠矢ちゃんの本心だ。
それは分かりやすく、分かり切っていることであるが。
そして、僕は気になることがあった。
なぜ、そんな状態である時に、斬子は僕に鞠矢ちゃんのことを教えたのか――、
遥のことを聞いてみれば? と言ったのか。
「ああ、それね――」
僕の質問に、斬子は不意打ちされたような対応をしてから、
しかし、きちんと答えてくれた。
理由はあったらしい。
「なんとかなるかなって、思っただけ」
「なんとか……」
「そう、なんとか。なんでもいいから、事態が好転しないかなって」
これ以上、悪い方には行かないんだから、と斬子は言いたそうだった。
まるで今が最悪な事態だ、とでも言いたそうだった。
だが、これで最悪なんて――まだまだ。まだまだ底には底がいる。
「じゃあ、遥のことは関係なく――」
「いや、そこはきちんと関係しているわ。遥ちゃんと鞠矢は、たぶん友達。
よく見るほどじゃないけど、一緒にいるところは見たことがあるからね」
だから――。
だから僕を、鞠矢ちゃんに会わせたのは、
事態を好転させてほしいからってだけじゃ、なかったのか。
「遥ちゃんとあんたのこともどうにかしたかった。
悩みを解決させてあげたかった。
だから可能性として、ある中で確実性の高いものを、あんたに渡しただけ――それのついでに、どうにかしてほしかったのよ、私の方も。
ごめんね、なんか、利用したみたいで。不愉快なら謝るわ。
なんでもする。言いなりになる。なんでもあんたの言うことを聞くわ」
頭を下げるとか、行動で表すことはしなかった斬子。
しかし言葉だけだが、本気が伝わった。
ここで不愉快だとなんだと言えるわけがない。
言う気はない。僕と斬子の関係である。
利用――すればいい。別に、減るものではない。
だけど斬子のセリフの、「なんでもする」には、惹かれるものがある。
「なんでも――ね」
僕は繰り返す。
すると自分の失言に気づいたらしい斬子が、慌てて訂正を入れてくる。
「なんでもって――でも、なんでもするわけじゃないわよっ!?」
「どういう日本語をしてるんだ。意味が分からないよ。
まあ、言いたいことは分かるけどさ――でもそれって、前言撤回と大して変わらないよね。
言ったことに責任を持たないなんて、斬子らしくもない」
「っ」
息を詰まらせる斬子。
体が震えているのは、怒りではないと信じたい。
「じゃあ、なによ……あんたは一体、私になにをさせるって言うのよっ」
声の調子からして、怒ってはいないのだろう――それが分かったのは収穫だった。
斬子は重大そうに考えているが、僕は斬子でどうしようかなど、まったく考えていないわけだが。確かに一瞬、色んなことが頭の中をよぎったけど、今はそれどころではないし。
なので、「冗談。なにもしないって」と伝えた。
すると、「あっそ」とさっきよりも怒りを含む斬子は――、やはり分からない。
解読不能で――別次元だ。
いや、逆転の発想で、僕が別次元かもしれないが。
ともかく――、
「昨日、鞠矢ちゃんに逃げられたんだ。
斬子の名前を出したら、『その名前は出さないで』って言われてね」
「…………」
斬子は黙る。
それもそうか――妹に、嫌いだと言われたようなものだ。
僕も昨日、妹に言われたばかりなので、気持ちは良く分かる――共有できるだろう。
そして僕は言う。
「でも、もう逃がさないよ。
今日、鞠矢ちゃんに会ってくる……今度こそ、失敗はしない」
失敗はできない。
もしもここで失敗をすれば、遥だけではなく、斬子のこともどうにもできなくなってしまうかもしれない。そんな極限の緊張感を背負って行くわけだが、不思議と体は震えていなかった。
失敗するかもしれない、その怯えが僕の中に、一つもない。
なぜだろう――、成長したと取れば前向きだが。
まあ、気の持ち方が、いつもと違うからだろう。
行くと決めた。向かうと決めた。
やり遂げると決め、死にもの狂いでしがみ付くと決めた。
――失敗がそもそもで予定にないものだから、怯えることができないのかもしれない。
良い精神だ。良い感じに――良い方向に感覚が麻痺している。
しかし時間が経つにつれて、必然的に麻痺は取れ、感覚が正常に戻ってくる。
そもそも僕の正常が、本当に正常なのかどうかはまず置いておいて――話を進めよう。
行動を起こすのは早い方がいい。
この怯えのない感覚が、いつまで続くか、分からないのだから、尚更だ。
ここで僕が冷静だったのならば、昨日と同じ壁が立ちはだかることに気づけただろうが、しかし、麻痺は冷静さえも麻痺させていた。
つまりは現時点では気づけずに、僕は動いてしまっていたのだ。
「ごちそうさま」
言ってチャーハンを食べ切る。
いや……順序が逆だったな。
食べ切ってから、言う言葉なのに、言ってから食べて切ってしまった。それがどうしたと言うレベルだが……。順序を間違うほどに興奮しているのか、僕は。
その様子に驚いた斬子は、自分のそばには目を向けず、ずっと僕を凝視していた。
ごちそうさまのごの字を言おうとしていたらしいが、僕につられて、出してしまいそうになっていたらしい。言ってから食べ終わるまで、時間差が少なかった僕はあまり違和感はなかったが――(いやあるけど)、斬子は違和感がありまくりだと思う。
言って数分してから食べ終わるのは、やはり変だろう。
僕は食べ終わった皿を片付けようと、皿にスプーンを乗せて、持ち上げる――席を立つ。
じゃあまたな、と指で示して、斬子から離れたようとした時、
「ねえ」と声が聞こえる。
問答無用で斬子の声だ、と分かった。
ぴたりと止まり、振り返れば、目と目が合う。
「私のために、行ってくれるの?」
見上げてくる斬子の表情は、彼女の中の弱さを見せてしまっていた。
いつもいつも気を張っている斬子ならば、絶対に見せない表情――、
油断とは違う、素の表情なのかもしれなかった。
斬子は素を出さず、いつも気を張っていて。
鞠矢ちゃんは高圧的に人を寄せ付けないようにしていて。
つい最近、出来上がった姉妹だというのに、二人はよく似ている。
まるで本物の姉妹のように――。
それができなくて、斬子は悩んでいるわけだが。
でも――、斬子が思っているほど、鞠矢ちゃんは斬子を嫌っているのだろうか……。
なんて、ここで考えていても仕方ない。
僕は、それを暴きに、もう一度――、鞠矢ちゃんに会いに行くのだから。
そして、斬子の質問に僕は即答した。
考える時間はなく、斬子の語尾と同じタイミングで、
僕の言葉は始まったと言えるくらいには、即答だった。
その答えは、斬子だって予想していたものだっただろう――。
「――そんなわけあるか。妹のためだよ、悪いけど」
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