第15話 秋月姉妹 その1
「ちょ、あんまり暴れると、そばが……」
「こぼしたら全部、あんたに食べてもらうから」
「意地汚いよ」
ちっ、と舌打ちが聞こえてきた。
もちろん斬子だ。僕は、文句は言えない。
「そういうことは冷静に言い返してくるのね、あんたは」
「なんで怒っているのか、分からないけど、ごめん」
「それよ、なんで怒っているのか分からないのなら、謝らないで。
謝られている気がしないから」
「…………分かった」
これには、それもそうだなと納得したので、素直に従った。
なんで怒っているのか、分からない。
まずはそこから暴かなければいけないのか――?
しかし、斬子はすぐに怒りの根源を暴いてくれた。
「昔からそうよ――あんたは。
言いたいことがあれば言えばいい。隠さないで言えばいい。がまんしないで言えばいい。
言ったところで、あんたを責めよう、なんて思っていないわよ。
言わないで苦しまれたり、悩まれたりする方が迷惑。見ていてイライラするのよ。
いい――祐一郎。いいから、言いなさい」
指先で、おでこをこつん、と一回だけつつかれた。
それはつつかれたと言うよりは、押されたような感じだった。
だけど言葉と、そして物理的なあと押しで、僕は言うことができた。言おうと思えた。
その内容が斬子を追い詰めることになるかもしれないことだとしても、構わずに。
それに自分を追い詰めることになるだろうことを、僕が言うか言うまいか悩んでいることに、斬子は気づいていたのだろう。気づいていながらも、僕をあと押しした。
分かっていたのだ。
だって、進ませたのは斬子だ。僕が気づくと分かっていて、押したのは斬子だ。
引っ掛かった異物を取り除こうと訪ねてくるだろうことを分かっていながらも、
僕を押したのは、斬子だ。
覚悟は決まっていた、ということか。
なら、引き延ばすことに意味はない。
言ってしまった方が――訊ねてしまった方が――楽になれる。
斬子にとってはそれがいい。
だから僕は言う。
前もって考えていた問いに入る前の、そのきっかけの一言を。
「鞠矢ちゃんに、会ったよ」
「…………」
斬子の沈黙は予想通りだった。
逆に、これだけ言われてもなんて返せばいいのか分からない。
ふーんとか、そうなんだ、とかでいいのに、
あまりにもテキトー過ぎやしないか、と思ってしまう。
しかし、僕の思考がそのまま斬子と同じとは限らない――というか絶対にない。
違う人間で、性別も違う。同じになることなど奇跡だ。
だって僕だ。
僕と同じ思考をしている奴など、存在してもまともな奴ではないだろう。
斬子は常識人で、人間をしている。
僕とは違うのだ、どこもかしこも、なにもかも――。
「……そう、なんだ」
なので斬子は、僕みたいな面倒くさいことを考える暇なく、返事をした。
とりあえず沈黙の空気が嫌だったから、放ったような言葉だったが、
それでも空気が沈まない効果があったので、会話をしようとは思ってくれているらしい。
逃げないで向き合ってくれているのは――安心した。
だが、斬子が向き合ってくれているのに、僕の方は親切ではなかった。
……間を空けずに、続きを話せば良かったな。
言えなかったのには、言うべきことの整理など、今更のようにしていたからだったが、
しかし整理をするほど、多く存在しているわけでもない。
そう、たった一言で済むのだ。あの言葉の続きは。
だけど整理するだけではなく、斬子の反応を見たかった、というのも、言わなかった理由にある。空気感を感じ取りたかった。空気感が分かれば、言っていいことと悪いことの判別が容易くなり、足元を崩すことがないからだ。
今回もそれを狙ってみたが、上手くはいかなかったようだ。結局、空気感は伝わらない。
不明のまま進むことになる――、だが、どうせ空気はある一つに収束するだろう。
伝わらなくても分かることが伝わったところで、確信に変わるだけだ。
充分な働きをしているとは思うが、僕にとってはあってもなくても変わらないようなものだ。
なので、これ以上、待たせるのも悪いと思うので続きを口にする。
一言。
「斬子と鞠矢ちゃんは――仲が悪いのか?」
柔らかくして言った言葉だった。
鞠矢ちゃんの昨日のあの態度から感じ取れたのは、仲が悪いなんてレベルには見えなかった。
喧嘩をして嫌っているようなわけではない。
まるでこれから、一生、会わないつもりでいるような態度だった。
鞠矢ちゃんが実際に言っているわけではないが、態度は口よりも語る。
雰囲気が、なにもかもを語っている。
分かりやすい性格をしているのだ、鞠矢ちゃんは。
「――そうね、さすがにそこまでばれているのなら、説明しないと気持ち悪いわよね……、
もやもやとして、さ」
言って、斬子は箸を置いた。
まだ、そばは半分以上も残っていたが、構わずに。
「あと、人の妹をちゃん付けで呼ぶのはやめてくれる? なんか、嫌だから」
「そこに理由はなさそうだね」
「あるわよ――なんか嫌だから」
――それは理由なのか? 思ったが、理由として扱うことにした。
しかし、鞠矢ちゃんをちゃん付けで呼ばないとなると、必然的に呼び捨てになるわけだが、そっちの方が馴れ馴れしくて嫌なのではないか?
「じゃあ、呼び捨てになるけど」
「人の妹を呼び捨てにして――失礼ね」
「もうどうすればいいんだよ」
頭を抱えるほどではなかったが、手も足も出ない状態だった。
よくある斬子の八方塞がりにさせる話術には、僕も適応の仕方が分からない。
適応させないように斬子がしているわけだから、まんまとはまっているわけである。
「本人は? ちゃん付けでいいって、納得しているの?」
どうだったか……記憶力は良い方ではないので、確信はなかった。
許可は、取っていなかったような気がするが……。
しかしここでそれを言って、別の呼び方にするのも面倒なので、鞠矢ちゃんは納得している、ということにしておいた。
こんな嘘、斬子はすぐに見抜けると思うが、今回はばれることはなかった。
ばれているが、指摘されなかっただけかもしれない。それはそれで、珍しいことだ。
ともかく僕は頷く。
「そう、ならいいわ」
と、斬子の許しが出た。
さて、なにから話せばいいのか――ここは気を遣ったのか、斬子から切り出してきた。
「実を言うと、鞠矢と話したことは、五回もないかもしれない。私は、せっかく姉妹になったんだし、これからずっと姉妹という関係を続けていくことになるわけだし――、だから仲良くなろうと話しかけていたんだけどね……。
でも、鞠矢は、私のことなど見てはくれなかった。無視して、避けて、突き放してくる。
突き放し、自分も遠ざかっている――、私は鞠矢に、嫌われているのよ」
「…………」
「もちろん、なにかをしたってわけじゃない。嫌われるようなことは、していないと思う……そもそも、最初から嫌われていたようなものだからね。
でも、嫌うのもまあ、分かるかもしれない。嫌っているというよりは、不安なんだと思う。
だって、両親は結婚してから、私たちを引き合わせたのだから――」
「……姉妹になって初めて、顔を合わせたってことか」
「そういうこと」
それは……、確かに良いイメージは抱かないだろうな……。
「まったく知らない赤の他人が目の前に現れて、今日からその人が姉だ、と言われて、はいそうですかと納得できる人は少ないと思うわ。
相手側は、鞠矢にはサプライズ的な要素で私を秘密にしていたらしいけど、
それがいけなかったのかもしれない……。鞠矢は、なにも知らされていなかったのよ」
初顔合わせ――その時の鞠矢ちゃんの顔が想像できる。
鞠矢ちゃんはきっと、家庭でも、あの高圧的な態度を変えることはしなかったのだろう。これは、ただの予想であるが、間違っているとは思わない。
そんな彼女の目の前には、常識的に考えて自分よりも立場が上の人物が現れた――、それは内心、穏やかではないだろう。
斬子の存在が、鞠矢ちゃんにとってのストレスになってしまっているとしたら――。
わがままだが、嫌う理由にはなるかもしれない。ほんと、わがままな話だが。
だが、それだけで思い出したくもないと言うか――?
毎日、顔を合わせると言うのに――、
いや、待て。
「斬子、鞠矢ちゃんと暮らしてる?」
「……暮らしてないわ」
斬子の言葉――僕の中にあった前提が破壊された。
暮らしていない――別居中。
ああ、だから鞠矢ちゃんは昨日、斬子の家とは反対の方向に歩いて行っていたのか。
買い物かと思ったら、普通に自分の家に帰っていたのかもしれない。
「それは意外だな……結婚したら、普通は一緒に住むものじゃないのか?」
「そのつもりだったんだけどね……もう分かるでしょ? 鞠矢が嫌がったのよ」
そこまでストレートに行動を起こすとは。イメージ通りだが、驚いた。
「一緒に住むのなら死んでやる、とまでは言ってないけど、それに匹敵するくらいには言われたらしい。相手側――……お母さん、と呼ぶのには抵抗があるけど、書類上はお母さんである彼女の方から、お父さんにそんな連絡があったのよ。
もう一緒に暮らす気満々のところにこれだから……、軽く家庭崩壊が起こってるわ、今」
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