二章/魔女、潜伏……、

第14話 過ぎた失敗

 寝起きの眠気さがまだ残っている昼時――僕は食堂に向かう。


 睡眠が充分に取れなかったのはやはり昨日の――、

 いや、今日だったか――の件があったからだろう。


 あの後から今になるまで、妹とは会っていない。

 朝食の時もタイミングずれて会えなかった。

 早くから学校に向かったようだが、昨日までは早く登校してはいなかった……。


 あの浴室の一件のせいで、もしかして僕を避けているんじゃないだろうな。


 だとしたら難しいことだと思う。

 家族だし。毎日、顔を合わせる。

 この状況で家族一人を避けるのは最難関だろう。

 ハードなんて生ぬるい。システムに喧嘩を売る愚行だ。


 まあ、方法がないこともないけど――たとえば引きこもるとか、家に帰らない、つまりは家出をすることだが。それは避けているというよりは、逃げていると言えることだ。

 しかし妹がそれをするとは思えない。

 なぜならスポーツマンだ。逃げることを知らないで育ってきた――。


 僕とは違う思考回路をしているのだ。

 僕の脳内選択肢に必ず出てくる『逃げる』というコマンド――、

 僕とは違うのならば、妹の選択肢には『逃げる』など出るはずがない。


 そんな確信のない可能性の話で、妹はきっと、家には帰ってくると思っているのだが、実際はどうなるのか――夕方、もしくは夜になってみないと分からない。


 可能性として、考えてしまっているのは、僕の勘が鋭くなっているから、かもしれない。だが僕の勘は、良い方ではない。はずれる方が多いし――。そもそも、勘が働くことが片手の指を折ることで足りる程度の数でしか、発揮されたことがない。


 そんな、はりぼてのような勘を重要視してもどうかと思ったが、帰りに妹を迎えにでも行こうかな、と考えてみた。

 それに、それとは別に、ついでの用もある予定だし。


 あの時から時間が経ったので、あらためて考えてみるけど――、

 あの時の妹の言葉。僕の質問の、答えになっていない答えを聞いて。


 ここで僕は、引き下がることができるのか?


 答えは否だった。


 気持ちは変わらず妹に向いている。


 あれくらいの拒絶で、心が折れることはない。

 大嫌い、なんて、好きになるフラグみたいなものではないか。

 ――なんて、前向きに考えているが、言われた当時は相当ショックだった。


 しかし、今は完全に復活しているので、その時のことを事細かに思い出したところで、ダメージはだいぶ少ない。

 まあ、ここでゼロと言えないところを見ると、傷は充分以上に深かったということか。


 ゼロではない、小数点のダメージでも、しかしダメージなので、自傷行為はやめておこう。


 ともかくあの時、妹は拒絶をした。

 誤魔化すのでもなく、僕を突き放すことで、あの場を収めた。


 しかしあれで確信になったのは、遥は、やはり言えないことを隠している。

 それも日常的に隠すような、優しいものではないこと、ということだ。


 人付き合いか? 金銭が絡まるのか? 薬が根を張っているのか――?


 考えれば考えるほどに、嫌なイメージが生まれてくる。

 となれば動くのは、早ければ早い方がいい。

 いま動いている段階でも、充分に遅いのだが、今より遅くなるよりは全然マシだ。


 僕にとって妹は一番だ――、どんな理由があろうとも、たとえ地球が滅ぼされようとしている状態でも、最優先事項は妹のことだ。

 だからここで僕は、いつも通りに妹を優先させると思っていたが、しかし、気づけば食堂で【ある人物】と対面して座っていた。


 無意識ではなくしっかりと意識はあった。だからきちんと選択してからの結果だ。


 斬子はそばを。

 僕はチャーハンをテーブルに置き、食べることはせず、お互いに口を開くのを待っている。

 そして最初に開いたのは、斬子の方だった。


「今日は祐一郎の方から誘ってきたわね――珍しい。なんだか怖いわ、怖い怖い」


「いや、昨日、相談に乗ってもらったんだし、その話でまた呼び出すのは変なことかな?」


「別に。変じゃないわよ。……先に、食べ始めてもいいかしら」


 既に箸を持っているので、相当、お腹が空いていたのだな、と分かった。

 そこまで欲望が前のめりに出てきているのにお預けにするほど、僕は鬼ではない。

 鬼は斬子の方だ。もっと正確に言えば、母さんだが。


「どうぞ」と促した。

 斬子と僕は同時に、いただきます、と言って食べ始める。


 そう――妹優先だと思いながらも、こうして斬子を呼んでしまっている。

 それは斬子に聞きたいことがあったからだ。


 それくらい、妹よりも一時的に優先しても文句はないように思えるが、

 その内容は数分で解決することではないのだ――。


 もしかしたら日をまたぐかもしれない大仕事になるかもしれないのに。

 にもかかわらず、僕は先に、こっちの行動をしてしまっている。

 時間的に近いし――、なんて理由は、理由としては機能しない。


 時間など関係なく、優先したい方に一目散に向かえばいいのだ。

 待っている時間こそが、無駄でしかないのだから。


 だが僕は――。


 僕は、斬子を優先、させた?


 妹よりも? 遥よりも?


 ――まあ、結局、斬子に聞きたいことは鞠矢ちゃんのことだ。

 鞠矢ちゃんの件は、最終的に妹のところに行きつくから、妹のためと言えるし。


 少し無理やりな気もするが、今はこれで納得することにした。しばらくすれば、納得は僕の心に馴染み、染み込んでいくことだろう。違和感は払拭されるだろう。


 抱えている問題は妹のことと、

 妹のことから枝分かれして繋がり、抱えてしまった斬子の問題。


 現時点ではこの二つが、僕の中にある消化しなくてはいけないこと。

 義務などはないが、消化しないというのは、なんにでも当てはまるが、気持ち良くない。

 できるのならばしたいものだ。


 動くのは早めに――と、自分で言っていたはずなのに、

 考え込んでしまっているので、動く時間がどんどんと遅くなってしまっている。

 こうして、もたもたしてしまっているのは僕の悪い癖だ。


 ある程度、考えが決まったら、動け。

 そのある程度まで辿り着くのが、極限に難しいと言えるのだけど。


「どうしたの? 全然、箸が進んでいないけど」

「スプーンだけどね」


「…………」

「……ごめん。そこは問題ではなかったよね」


 細かく指摘するのはこれが初めてではないが、いま言うのは明らかに間違いだった。


 せっかく、会話のスタート地点を作ってくれた斬子を、不快にさせてしまった。

 というよりは、苛立たせてしまった。

 こうなってしまうと僕への八つ当たりが増えるのはいつものことだ。

 だが、今のは僕が原因だから、八つ当たりではないのかも……因果応報、自業自得?


 いや、細かい差異は今はいい。

 指摘するはずの斬子も、今は機能していないので、大ざっぱに生きることにした。

 今に限っては。


 まあ、元々、大ざっぱに生きているような大ざっぱな人間だ。

 ――あれ? 特に変化がないのではないか。驚きだ。


 それはともかく、ごめんから先、斬子の返事がないのが、見えない敵を相手にしているようで不気味だった。いつ爆発してもおかしくない爆弾を抱えて生活しているような……。

 比喩に比喩を重ねて、訳が分からなくなっているが、僕も訳が分からない。


 構わずチャーハンを食べることで、平然としていることをアピールしてもいいかもしれない。

 実際にはしなかったわけだが――。なぜなら、斬子が動いたからだ。


 食べかけのそばをすする――再開させる。


 それを見て、僕もチャーハンを食べる。やっと、時間が動き始めた。


 嫌な空気が消えてくれたので、気持ちも軽くなり、手も軽くなる。

 スプーンを持つ手は震えることなく、自分が望んだ位置にあるチャーハンの一部分をすくい上げることができた。


 そして口に運び、味わう。

 さっきと味が変わっている気が……、間違いなく気のせいだ。


「あんた……いつも通り、通常運転で安心したわよ」


 言いながら指先をくいっくいっと動かす斬子。

 指先が示す方向に視線を移すと、そこには水があった。なるほど、水をよこせと?


 なんで前もって準備しておかないんだと、母親みたいな説教は、思ったがしなかった。

 これくらい、してあげてもいいだろう。


 傍にあったコップに水を注ぎ、斬子に渡す。

 ついでに僕も一杯、注いで、自分のチャーハンの傍に置いた。

(この時、僕はそばでなくチャーハンを頼んで良かった、と思った)


 渡してすぐさま水を飲んだ斬子は、一口で全部を飲み干し、「ぷはあ」と居酒屋にいるおっさんのような声を出して、コップをテーブルに叩きつける。

(もちろん、割ってはいない程度の、優しい叩きつけ方だ)


 斬子の顔を見れば、酔っているのかと思ってしまうが――水だ。酔うわけがない。


 しかし、この水にお酒が入っていなければの話だが――入っていないだろうな? 本当に。


「イライラするわ……」


 斬子は酔っているわけではなかったらしい。

 苛立ちで酔っているように見えただけだった。

 それはそれで、怒っていることなので、嫌なんだけど……。


「祐一郎」

「……はい」


 思わず敬語になってしまう。

 いや、斬子に向けて言う敬語は、珍しくもなかった。

 今みたいな状況では基本敬語だ。


 上下関係、出来上がってるじゃないか。


 というか斬子の精神状態がまったく分からない。

 静かに怒っていたり、優しくなったり、今は行動を起こして、怒りを表しているし。

 なにをそんなに怒っているのか……。

 聞くまでもないことで、聞けばさらに怒りを買っていただろうから、言わないで正解だった。


 僕だ。僕しかいない。いつもいつも、斬子を怒らせるのは僕なのだ。


 意図はなくとも、僕には人を怒らせてしまう性質がある。

 昔から。ただ僕が怒らせていることを自覚していないだけなのかもしれないが。

 性質、と言うほど、呪われた体質ではないはずだ、僕は。



「イライラ、イライラ――あーもうっ! イライラする!」

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