第12話 今を知る

「う、――ちょっと苦しいかも」


 それでちょっとなのか……。


 げぷー、と息を吐く遥。

 それは女の子として見せてはいけない一面なのではないか。


 とは言え、見ていたのは僕だけなので、気にしていないのだろう。

 そういうところは無防備なのな。

 注意しようとしたが、僕にされたくはないだろうし、外面は良い妹だ。

 そこについては誰よりも意識を向けているはずだ。ぼろを出すことはないだろう。


「食べ終わったなら――じゃあ帰るか」


「うん――って、その前に!」

 と、進む僕の手を引っ張ってくる妹。


 後ろに体重がかかる僕は、バランスを崩したが、妹に圧し掛かってしまう最悪の事態は防ぐことができた。踵で全ての体重を支え、加えて、踏ん張る力も上乗せさせる。

 おっとっと、と心の中では言いながら、体は真っ直ぐになる。


 意外にも大変だったが、それは表に出さず、「なに?」と聞く。


「なに? ――じゃないって。さっき、お兄ちゃんが死にそうな顔をしてたから、心配して、こうして一緒に、久しぶりにクレープを食べてあげたのに……。それを――」


「ああ、ごめんごめん。僕、そんな顔をしてたのか……」


 僕は、どうやらぽっかりとなくなっていた空白の時間に、妹と会っていたらしい。

 外ではあまり話しかけてこない妹が、こうして話しかけてきたということは、相当、僕はおかしな顔をしていたのか。見てみたいものだ――興味本位で。


「すっごくすっごくっ、死にそうだったよ。今にも自殺してしまいそうなくらい」


「そりゃ重症だ」

「ほんと重症だよ……。それで、どうしたの? なんかあった?」


「いや……」


 なにかあった、と言えば、あったけど――、言う、言わない以前に、なんて言ったらいいのか分からなくて、口を閉ざしてしまう。

 こうして閉ざしてしまうことが、相手を不安にさせてしまうことだと分かっているのだが、なかなか、口は開かなかった。


「……言いにくいことなら、いいけどさ」


 実際に言ってはいなかったけど、妹はその後に、

「わたしも、言えないことはあるし」と言っているように聞こえた。


 さて、こうして互いに隠し事をしているので、おあいこになったわけだった。


 ま、全てを打ち明ける親子がいないように、兄妹もいないわけだ。

 言うべき隠し事と、言わなくてもいい隠し事の二つが存在し、

 僕の場合は言ってはいけないことだと思う。


 今、遥の隠し事を暴くために行動をしているんだ、と本人に言う馬鹿はいないだろう。

 しかしここで直接、暴こうとしている妹の秘密を聞いてしまうのも手だ、とも思ったが、ここで本当の答えが出てくるとは思えない。

 やはり、頭が回っていないようだ。今、その案に賛成しそうになった。


「なんでもないよ」


 だからそう言った。


「そうなんだ。それじゃあ――帰ろうか」


 そう言って、妹は僕の前を歩く。


 それ以上、なにも聞いてはこずに、

 淡々と作業のように帰宅する妹。そして僕。


 そこに会話はない。

 妹は変わった。僕も変わった。

 関係は同じだが、やはり違う。


 あの頃とはなにかが違う。


 妹が僕を避けているように見えるのは、錯覚だろうか。

 そう思いたいが、そうでないことは、僕が一番、よく分かっていた。


 ―― ――


 家に帰って、夕飯を食べる。

 その時、遥に落ちると思っていた母親の雷が心配だったが、

 遥は出された夕飯を全て、綺麗に完食していたので、雷は自然消滅した。


 しかし、僕の驚きは雷云々ではなく、妹が夕飯を完食したことだ……。

 クレープを二つ食べたのにもかかわらず……。しかもおかわりまでしている。


 どんな胃をしているのか、開いて見てみたいものだった。

 思春期とか食べ盛りとかで説明できるようなことではない食べっぷりだった。

 それなのに体型は維持されている。太っている姿を見たことがない。


 理由がなく体型が維持されているならミステリーだが、

 理由はあるので、迷宮入りした謎ではない。


 理由――か。

 それは僕にはない、生活の一部になっているものだった。


 部活で誰よりも走っているから――。


 足らなくなったエネルギーをすぐに吸収するためなのだろう。


 当たり前の循環だ。

 動くから腹が空き、たくさん食べる。

 その蓄えたエネルギーは、運動によって消化され、

 再び足らなくなったエネルギーを得ようと腹が空く。なるほど。


 でも、部活はもうないはずだけど――、まあ、部活はなくともちょろっと遊びに行くことはできるのか。いるもんなあ、引退してもしばらくは遊びにくる奴。

 僕は引退したのなら、来るなよと思ってしまうのだが。

 しかし妹なら、嫌がられるどころか喜ばれることだろう。


 それくらいにはアイドルだろうし。


 引退しても、引退前と変わらず運動量が減っていないのならば、腹も空くことだろう。


 妹の大食いの謎はそうなっているのか――なんて。

 構造を理解して分かった気になるのは気が早い。

 僕は妹のことを、まだなにも分かってはいないのだ。


 ベッドの上で仰向けになるように寝転び、考える。


 妹が隠し事をしているのは、僕が妹と全然、打ち解けられていないからではないか?


 否定はできないことだ。

 僕からすれば妹は妹――過去から今、そして未来になっても、変わることのない家族の形だ。


 関係で、絆だ。

 踏み込むような会話をしなくとも、しっかりと信頼を感じているつもりだったが、

 妹の方はそう思っていないのかもしれない。


 僕が、遠ざかっているからか? 

 距離を感じてしまっているから、妹もそれに合わせて満足に言えないのではないか。


 そう考えてしまうと、

 見当違いの方向に思考が行っていたとしても、軌道修正は難しく、間違いに進んでしまう。


 僕の間違いは――間違いなくここだ。



 こんな思考をしてしまったのが間違いだった。


 妹ともっと近づこう。

 僕は過去の妹しか知らず、未来は当たり前に知らない――、しかし知っていなければいけない今を知らないとは、どういうことだ。

 説教はあと回しだ。

 今を知らないことで妹を傷つけてしまっているのなら、

 フォローをしなければいけないだろう。


 だからベッドから起き上がり、部屋を出た。 


 廊下の電気は点けずに、一階に下りた。

 時間の感覚が狂っていたが、どうやら今は日をまたいでいたらしかった。

 当然、両親はもう眠りに落ちている。

 妹はまだ起きているらしい。「ふんふーん」と鼻歌が聞こえる。


 がさごそとわざとらしく音を立てながら服を脱いだが……、気づかれなかったらしい。


 戸惑っている声を聞きたかったが、過剰に騒がれて両親が起きてしまったらヤバいので、結果的には、僕に風が向いているのか。

 いや、たとえ両親が起きてしまっても、戸惑っている声が聞きたかったものだが、すぐに聞けることになるだろうと思ったので、今は落胆よりも期待に胸を膨らませた。


 さて、行きますか。


 僕しか得しない楽園へと。

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