第11話 空白

「…………ちょ、待っ――」


 僕の引き止めの言葉は効果を見せず、彼女は駆け出してしまった。


 僕から遠ざかるように駅前へ消えて行ってしまう。

 追いかえることもできたが、体は動かなかった。

 いま、引き止めたところであの子を安心させるような言葉など僕には吐けない。


 これで良かったのかもしれない。良かったのだ、と納得した。


 ただ、これであの子とはこれっきり、との考えにはならなかった。


 逆に、気になってしまった。


 鞠矢ちゃんと、斬子――二人のことが気になった。


 最初はただ妹のことを知っているかもしれない、という不安定な情報からだった。

 妹のことが聞ければそれでいいと思っていたが、

 あの異常なまでの斬子の避けようを見てしまえば、嫌でも気になってしまう。


 目が離せなくなってしまう。 


 同時に、どうにかしたいと思ってしまう。

 原因だって分からないのにもかかわらず、だ。


 妹のことだって、満足に面倒を見ることができていないのに。

 自分のことでさえ、満足に面倒を見ることができていないのに。


 そして僕は思う――。


 斬子――。


 お前は、なにを隠している?


 ―― ――


 鞠矢ちゃんが去った後は、することがなくなった。

 なので今日はこれ以上、動くことはやめて、家に帰ることにした。


 ゆっくり、のんびりと。

 空を見上げながらテキトーにぶらぶらと町を歩いていた。


 いつもは真っ直ぐ帰るのに、今日はわざと遠回りしたり、行くつもりのなかった店に入ってみたりした。……僕らしくないな。


 そうなってしまうほどに、さっきの一件は、僕の中では大きかったということなのだろうか。

 僕の頭の中ではそればかりが回っている。

 今すぐにでも斬子と連絡を取りたいところだが、電話で話す内容ではないだろう。

 これは面と向かって話すことである。


 とにかく――明日だ。


 明日、斬子に聞いてみよう。

 そうと決まれば明日までは、今日のことを忘れよう。

 悩んでいても仕方がないことを悩んで、精神的に疲れたくはない。


 そんなわけで、無理やり忘れようと今は普段と違うことしているわけだが、効果が出ているのかは、怪しいところだった。


 でも、まあ、ぼーっとすることはできているわけだから、

 成功と言ってもいいのかもしれない。


 そして、駅前を何周かした頃か――。日が暮れ始めていた。

 そう感じたのは今のような気がしたが、いつの間にか空は真っ暗だった。


 時間の経過が早いな……。世界の動きが早いのか……? 

 いや、僕の感覚の方がおかしいのか。

 時間の点と点の間の過程が、すっぽりと抜けているのか。――こりゃ重症だ。


 夕方と思えば、気づけば夜になっていた。

 その間の記憶が無くて、今、ものすごく焦っているわけだが、溜息一つで、焦りを殺す。

 落ち着きを取り戻す。

 記憶がなくとも結局、空白の時間、僕は黙って歩いていただけだろう。

 なにもしていないはずだ、なにも。


 駅前――、屋台の横のベンチ。

 その横に僕はいる。座ることもないまま、立っているだけだった。


 なんで座っていないのか理由は分かったが、

(ちなみは理由は、若いのだから立てる内は立っておこうというものだ)

 今は別に座っていいのではないかと、自分ルールを無視しようと思った。


 足を一歩前に出したところで、視線の先――、僕は見知った顔を見つける。


「はい、お兄ちゃん」


 そう言って、クレープを差し出してきたのは妹――。


 遥だった。


 ―― ――


 ――は? と声を出しはしなかったものの、表情には出してしまっていたのだろう。


 妹が首を傾げながら、僕を見上げていた。

 すぐに表情を通常運転に戻し、妹の手からクレープを一つ受け取る。

 いちごがメインだった。妹の方は、ブルーベリーがメインだった。


 いや、冷静にクレープの描写をしている場合ではない。なぜ僕は妹と一緒に、いる?


 特別、珍しいことでもないかもしれないことだが。

 そりゃ兄妹だし、外で出会えば、こうして買い食いをすることもあるだろうけど……。

 僕たち、兄妹が、それをしていることがおかしなことなのだ。


 仲が悪いわけではない。

 家でも会話はするし、キャッチボールはテンポよく進む。


 互いに嫌っているわけでもないし、敵対しているわけでもない。

(もしかしたら妹は、実は僕のことが嫌いかもしれないが、会話の感じでそれはないだろうと判断した。もしも嫌いだった場合は、嘘をつくのが上手いな、と褒めたいくらいだ)


 そう――適度に仲が良いのだ。それだけなのだ。

 なんというか、標準的に仲が良く、

 色々と心配事を抱かれないような兄妹仲を見せているような感じだ。

 だから互いに踏み込まないし、踏み込ませない。

 ここまで、というラインをしっかりと分かっている。


 だから今の状況がおかしいのだ。

 こうして一緒に買い食いをしている――、僕たちの中でこの行為は、親密過ぎる。


 行き過ぎているのだ。

 なのにこうして行動に移ってしまっている――、これで、異常さがはっきりと分かった。


「お前は誰だ?」

「は?」

 妹が、なに言ってんのこいつ? みたいな顔で言った。


 おかしいのは妹の方だと思っていたが、

 そんな顔をされるとおかしいのは僕の方だと思ってしまうのだが、どうだろう? 


 確かに平常の精神状態ではなかったが、僕の方から妹を誘うとは思えない。

 実際に誘うより、僕の場合は妹のことは外側から眺めているだけで満足なのだ。

 だから直接、会う必要はないのだが。


 すると妹は、僕から視線を外しながらクレープを一噛み。

 クリームを口につけながら「もうっ」と息を吐く。


「わたしはお兄ちゃんの妹。

 そんなことまで忘れるほどに、ショックなことだったの?」


「え……」


 どきりとした。


 妹は僕がショックを受けていることを知っている……、もしかして、僕が妹のことを探るために鞠矢ちゃんに接触したこともばれているのか?


「なんでそんなにショックを受けているのか知らないけどさ、

 せっかくクレープ、食べさせてあげてるんだから、元気出しなって」


「…………」

 どうやら、ばれてはなさそうなので安心した。

「そっか、遥が奢って――」


「まあ、お兄ちゃんのお金なんだけどね」


「あ、僕のなのね」


 まあ、遥が奢ってくれるはずもないか。


 確かに財布が少し軽かった――、なんて些細な変化まではさすがに読み取れなかったが、ポケットの中に入っている財布の入り方が、若干、さっきまでとは違ったので分かった。


「いいじゃん別に。美味しいでしょ? クレープ」


「うん、美味しいけどさ」

「じゃあいいじゃん」


 クレープに噛みつく妹の横顔を見る。

 もぐもぐと食べているけど、これから夕飯ということを分かっているのだろうか。

 これで家に帰って、ご飯が食べられません、ってことになると、

 母さんが鬼に変身しそうなんだけど。


 僕はそのことも考えて、クレープは少しに抑えておくが。

 そしてこの残りは妹にあげるつもりでいるので結果、妹の腹は満たされ、夕食は恐らく入らないだろう。なので母さんの雷が落ちることは決定したわけだった。


 遥には悪いが、避雷針になるつもりは毛頭ない。

 自分でどうにかしてください、としか言いようがない。 


 避難することを考えながら、残り三口ほど、クレープをかじる。

 そして残りは、「はい」と妹に渡した。


 妹は「……ありがと」とお礼を言って受け取った。

 まだ自分のも残っているのに受け取ったものだから、両手にクレープがある状態だ。

 どんな大食い少女だ、と言いたくなる。


 そこから妹の食事は早かった。

 飲み物か、と思ってしまうほどに、口に入り、飲み込むまでが早かった。

 ごくごくと音を付け足したくなるほどに豪快だった。


 今時の女子中学生の基準を遥にしたとすると、

 世間の女子中学生は控えめに見えていそうだ。

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